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文学理論を振り返る by リチャード・ローティ

2008-07-04 07:00:00 | 日記
Looking Back at Literary Theory 文学理論を振り返る
Richard Rorty

p63
 1970年代に、アメリカ文学部の教師たちは、デリダとフーコーを読み始めた。文学理論と呼ばれている新しい学問分野の下位区分が形成された。有益に理論化されうる文学テキストの概念が、文学教授たちが彼らの好きな哲学書を教えるのを簡単にすることを助け、文学専攻学生が哲学トピックによって論文を執筆するのを簡単にした。文学理論は、また、文学でよりむしろ哲学学科のために、文学学部での仕事を創出するのを助けた。

 私がプリンストン大学の哲学教授からバージニア大学の人文科学の教授に異動することは、この文学理論の進展を利用したものである。のちに、私は比較文学の教授として、スタンフォードに行った。肩書きの変更と、同僚の変化は、私の提示する内容を変更することにはならなかった。私が提示していたこととは、ストレートな哲学コース、ヴィトゲンシュタインやダビッドソン、そしてときにハイデッカーやデリダのような非分析的哲学者を扱っていたことである。彼らは、私が書くことに影響を及ぼさなかった。私は、たとえ私がプリンストンにとどまったとしても、ヴァージニア大学とスタンフォード大学に向かって書いた大部分の本の記事を書いた。

 しかしながら年を経て、私は上昇流というより、弱まっていく流れに乗っていたのだと理解してきた。文学理論(それにとって、私は、自分自身が貢献者といわれるのに気づくと困惑したものであるが)は、徐々になじんでいった。
文学部の人々は、すべての果実ジュースがニーチェ、ハイデッガー、デリダの知的伝統から絞り出されてきたと思い始めている。
フーコーはデリダの後を引き継いだ。すべての文学専攻学生が知っておくべきひとりの哲学者として、デリダのあとを引き継いだ。カルチュラルスタディ(文化研究)は、文学理論を脇に押しやった。この事実は、文学部の中の理論は、哲学教師のために使えることがより少ないということを意味する。プラトン、カント、ニーチェ、ハイデッガーについて、多くを知ることなく、デリダを理解することができない人でも、哲学的バックグラウンドなしにフーコーを理解することができる。

 私は、哲学がアメリカの文学部で短い間でも流行したという事実を利用できたことをうれしく思うが、しかし、この流行はファッション以上のものではなかった。
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文学研究者が哲学書を読むべきだという説得力ある理由は、存在しない。文学研究者が哲学について何かを知っていることは良いことだ、というのは確かなことだ。また、文学研究者が他のたくさんのことがら、たとえば、人類学や精神分析や宗教について知ることもまた、よいことだ。文学研究者は、理想的には、いくつかの異なるジャンルの文学を読むべきだろう。文学研究者は、いくつかの異なる言語をよく知っていなければならない。また、文学研究者は、社会政治史は現在の政治問題の十分な知識を確実にすべきだろう。

 しかし、研究者がすべての分野を研究することはできない。多くの第一級の文芸批評は、一カ国語のみ話す人々、また大量の小説を読むがほとんど詩を読まない人、政治に関心が無い人、哲学的な教養のない人、また、歴史的出来事へのセンスがほとんどない人の手によって書かれてきた。よい批評には、人が読んできた本のあるものをはずませる内容がある。読んできた大量の本、そして、さらに多様な内容について、より以上の興味を深めテイクのが批評である。しかし、優先順位の自然な順位がなく、最初に読むべき本について決定するための案内となる方法論的な指針のセットがない。自分の嗅覚に従うことがすべてである。人が文学批評をよりよく行うようになるために、特別な種類の本とか特別な哲学本を読む必要はない。

 ポストニーチェ哲学の信奉者やヨーロッパの哲学は、哲学よりむしろ文学部を通して英語話者世界の大学に入って行ったことは、弁証法的な必要からでなく、むしろ歴史的な事故といえる。それらの学部がデリダとフーコーの本のための入港の場として間に合った主な理由は、彼らの誰でも1970年代までに、新批評のマルクス主義批判そしてフロイト批判でひどく退屈していたという理由があったからだ。フレデリック・クリューズの「困惑するクマのプーさん」を読む大学院生は、クリューズがパロディ化した本の記憶を離れたものは何も書かないと決意したものだ。新しいグル(導き手)がどうしても必要となった。

 『グラマトロジー』と『言葉と物』は、まさに時を置かず英語に翻訳された。この翻訳は、まったく適切なものであった。デリダとフーコーはただ輝けるオリジナルな思想家としてだけでなく、英語使用の文学部の中で誰も知らなかった知的世界からやってきた思想家であった。(ボールドマンとジョージ スタイナーのようなヨーロッパからの亡命者を除いて)誰もデリダやフーコーについて知らなかった。デリダやフーコーの本を読むことは、人々に新しい地平が開かれるという感覚を与えた。大学院において、分析哲学のコースに退屈し当惑していた文学専攻の大学院生たちは、突然、知的な世界が向こうにあることを発見した。彼らの哲学教授が決して今まで話したことのない世界があることを。その世界を調査することは、大きな楽しみだった。

 デリダとフーコーにより(そして、ほぼ同時に発見されたニーチェとハイデッガーによって)文学部で発生する興奮は、これらの本が提供していた文学の性質についての新しい理論によるものではなかった。しかし、不運な用語としての「文学理論」は、ある不幸な大学院生たちを錯誤させ、彼らが理論をテキストに適切に適用することによって価値ある論文または本を書くことができたと思わせた。
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この信念は、驚くほど退屈な、かろうじて読むに耐える大量の記事と本を生み出した。幸いにも、テキスト解体は今やキリストの形やヴァギナのシンボルを見つけるの同じくらい時代遅れになっている。クリューの『ポストモダンのプー(2003)』は、『プーパープレックス(1965)』がそうであったように、うまくいけばこの時代の終わりの予兆をマークするものとなるだろう。

 マルクスとフロイトがそうであったのと同じく、デリダとフーコーは、誤用されたとしても簡単に生き残ることが出来る輝けるオリジナルな思想家である。彼らの本は哲学聖典の一部になるだろう。文学理論をマスターすることによって文学テクストについていかにうまく書き表すかを学ぶことができたという不運な考えは、徐々にすたれていった。法理論が法律実践のために存在するのと同じく、文学理論は文芸批評の実践のための随意の存在と見なされるだろう。

類似を考慮してみよう。ある数学の分野は、数学学部よりもむしろ哲学学部で、「記号論理学」という名のもとに、典型的に教えられている。これもまたひとつの偶発の歴史なのだ。1930年代の哲学専攻の英語圏学生が、リアリズム対理想主義、プラグマティズム対合理主義、そして、さまざまなそれらの間の不毛な論争。ラッセルとカルナップが発表したように、記号論理学は哲学を再び活発で興味深くしそうだった。まもなく、そうなった。しかし、1950年代半ばにヴィトゲンシュタインの『哲学探究』が出版されることによって、記号論理学は、鈍くさい時代遅れになった。

しかしながら今でも、ほどんどのアメリカの哲学学部で、博士号を取る前には、(論理学の)ゲーデルの結論について何事かを知っておく必要がある。(たとえ、キルケゴールとれびなすの関係の論文を書く予定であるとしても)これは、単にカリキュラムの惰性の問題である。同じような惰性は、確実に残るだろう。2050年の比較文学部で、博士号資格審査に関する理論セクションに、まだ存在しているであろう。多くの未来の学生たちには喜ばしいことである。彼らが理論コースを選択したまさしくそのとき、哲学専攻学生は、現在記号論理学の必修コースに要求されている多くのことをはずすことができる。残りは、もうひとつの不可解なカリキュラムのハードルを乗り越えるためにベストをつくすだろう。このハードルとは、20世紀のある地点に立てられたものであり、21世紀のある地点で解体されるであろうハードルだ。

 私がそのように見なしていることではあるが、比較文学部と哲学学部双方とも、学生がどんな種類の本を好んで読むのかということについて、豊富な提案を受け入れる場所で無ければならないし、彼らの嗅覚に従うままにしておくことが必要だ。これらの学部のメンバーは、彼らの規律の性質について心配すべきでないし、どんな特徴が作られるかについても心配しなくてよい。彼らは、集合論で定理を証明するとか、ハイデッガーとレビナスの間の意見の相違について判断を下すことが、本当に哲学をしていることとされるかどうかを心配する必要はない。真の比較言語学者としてあるために、少なくともひとつの非ヨーロッパ言語を、いくつかのヨーロッパ言語と同じくらいに知っている必要があるのかどうかについて、詮索される必要もない。
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専攻分野を構成する確実に準備されたものについて、気にしすぎては行
いけない。知的な好奇心をもつ学生を見いだすことと、大学院での研究を認めてやり、そのような学生が彼らの好奇心を満足させることを、今手助けするということについて、まさしく心配してやるべきなのだ。

 ホーン・ソーシーは文学性が比較文学の学科にとって主要であると示唆しているが、そのような自由放任主義の態度は、私を懐疑的にさせる。私には、概念上の明快さを探求することが哲学学科にとって主要であるという考え方についても、同じような懐疑がある。分析的哲学者がしばしば主張する、論理の研究とはそのような明快さのためになると思っているところの哲学、ということだが。たとえ、文学性という専門用語をなんらかのことに用いる必要がまったくないとしても、いくつかの異なる言語で書かれた文学的なテキストの間にあきらかに大幅な差異があると私が思っていることに関して、比較文学専攻の学生は研究をなしえることがあるだろう。意味のないマントラとしての概念上の明快さを考慮したあとでなら、あなたは、非常によい哲学論文を書くことができる。大変優れた分析哲学でさえも。

 私は、人間性の核心を確定できる何事かより以上に、大学の学科の中心として同定できうる事がこれまでにあったかと疑っている。ダニエル・デネットが言ったことであるが、それ自身は、語りの重力の中心点として最良のもとと考えられる。自分自身と同じく、大学の学科は、歴史を持っている。しかし実体はない。大学の学科は、たえず自分自身の履歴を書き換えることによって自己像を更新している。いわゆる危機とは、中心的ことがらにとってあきらかに重要でないものと、明らかに外部の闇の中心とを動かす。生物学、人類学と精神医学の重心は、これらの学問が50年前であった地点にはない。現代スコットランドの哲学の重心は、ブラジルの哲学の重心からははるかにかけ離れている。規範的存在としての、アウエルバッハとジラールの後を継いだのがスピヴァクとバーハであり、比較文学部の重心は、かなり移動した。比較文学の中心点が2050年にどこにあるかは、誰にもわからない。

  我々は、大学学科の移り気や流行の転変を喜ぶべきだろう。なぜなら、ただ一つの選択肢となるものは、衰微しているスコラ哲学だからだ。自然科学の危機が、時に粗暴な事実との遭遇によって起こるのに対して、人文科学において、そのような事実はない。
そう、古典、哲学または比較文学のような学科においてのパラダイム変動は、典型的な輝ける因習打破主義的な本に対する反応といえる。『悲劇の誕生byニーチェ』『言語・真実と論理by A.J. Ayer』『哲学的探求by ヴィトゲンシュタイン』『影響の不安by ハロルド・ブルーム』『グラマトロジーby デリダ』『歴史の詩学by H. ホワイト』などの本、、、
このような著作が書かれていく限り、流行の変化は起こりうる。私は常にそのようになるだろうと信用しているのだが。

   これらのパラダイム変動を引き起こす著作は、学科内の人がそれらの著作を翻訳する以上に、時々他の学科のメンバーによって書かれる。そして、学科Aが学科Bと学際的に協力することを必要とするということは、熱心な読者の結論のために魅力的である。
しかし、少なくとも人文科学において、学科全体の考えは、まだかなり疑わしい段階で、それは、学際性といわれる。
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例をあげるなら、分析研究と非分析的哲学の間の違いは、少なくとも、「おべんきょうすること」と「比較文学研究」の間の違いくらいに大きい。アウエルバッハとスピヴァクとのあいだは、ハイデッガーとカルナップの間の大きな差異くらいに違う。二つの種類のうちどの組み合わせでも両方のメンバーの著作を読むことで利益を得ることができるなら、だれであれ合理的にそうなるように頼むことができるのと同じく、あなた方はすでに学際的存在だ。

   50年時代を下った後、スピヴァクとともに書かれる比較文学の学科の性格の報告を思い浮かべてみると、現在ウェレクとともに書かれる比較文学を想像してみるのと同じくらい、風変わりに聞こえるだろう。もし、そうしないなら、スピヴァクに伴う何か悪しきものがあるという理由ではなく、何か悪いものの推移があるというのではない。そうではなくて、健全な人文学科が、かって1世代か2世代よりもっと多いなにものかとしてみなされている、ということだ。