刀 河内大掾正廣
刀 銘 肥前國河内大掾藤原正廣
初代正廣は初代忠吉の娘婿吉信の長男で慶長十二年の生まれ。忠吉の名跡を継ぐことを念頭に修業に励み、十九歳の時には忠吉とは作風を異にする相州伝互の目出来が藩主鍋島勝茂公の目に留まり、その高い技術が評価されて正廣の銘が授けられたという。年下の忠廣を補佐するなど忠吉家隆盛の陰の力となったことも良く知られている。
寸法長く反り適度に伸びやかなこの刀は、洗練味に溢れて品があり、掻き流された樋によって一段と姿が引き締まっている。小板目鍛えの地鉄は微細な地沸が付いて肥前肌の特質が顕著。淡く地景が入って板目がうっすらと浮かび上がる。互の目の刃文は直焼出しから始まり、丸みのある焼頭が軽やかに抑揚変化して連続し、帽子はわずかに刃方に倒れて先小丸に返る。粒子の揃った小沸主調の焼刃は、肌目に沿って刃縁がほつれ掛かり、淡く匂の広がる刃中には長く足が射し、これを切るように砂流し金線流れ、互の目に虻の目状の葉が入って肥前正廣の特色が示されている。
刀 銘 肥前國河内大掾藤原正廣
初代正廣は初代忠吉の娘婿吉信の長男で慶長十二年の生まれ。忠吉の名跡を継ぐことを念頭に修業に励み、十九歳の時には忠吉とは作風を異にする相州伝互の目出来が藩主鍋島勝茂公の目に留まり、その高い技術が評価されて正廣の銘が授けられたという。年下の忠廣を補佐するなど忠吉家隆盛の陰の力となったことも良く知られている。
寸法長く反り適度に伸びやかなこの刀は、洗練味に溢れて品があり、掻き流された樋によって一段と姿が引き締まっている。小板目鍛えの地鉄は微細な地沸が付いて肥前肌の特質が顕著。淡く地景が入って板目がうっすらと浮かび上がる。互の目の刃文は直焼出しから始まり、丸みのある焼頭が軽やかに抑揚変化して連続し、帽子はわずかに刃方に倒れて先小丸に返る。粒子の揃った小沸主調の焼刃は、肌目に沿って刃縁がほつれ掛かり、淡く匂の広がる刃中には長く足が射し、これを切るように砂流し金線流れ、互の目に虻の目状の葉が入って肥前正廣の特色が示されている。
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