白寿を目指す抗衰老ライフへの誘い

慣れ親しんだ新容器野菜養液栽培に別れを告げ、新たに取組んだ老人の終末課題の経過発信を続けさせて頂きます。

―飢えの無い清貧の暮らしー

2016年09月01日 | 日記

今の日本は、お金さえあれば手に入らないものは無い程便利な世の中であります。欲しいものが自由に手に入れられる幸せは、物欲を満たしてくれる幸福感ですが、物欲には際限がありませんから、一度、何でもお金で叶うと思ってしまうと、金銭に対する執着心を人は一層強く持つようになります。

しかし、お金は中々思う通りにはならないのが世の常であり、分別を持たなければ、物欲を満たせない不満は人を不幸に陥れて仕舞います。

この世の中には金がいくらあっても手に入ら無いものがあり、増してそれを知ったなら、人は耐え難い失望感に襲われて、この世の無常さに打ちのめされます。

 

ー日本での買い物 使った金額が2000万円!-WebImagesより

実は、先日の東京新聞の日曜版の図解シリーズに、今年が没後800年となる鴨長明の「方丈記」が取り上げられて掲載されていました。 

京の下加茂神社の最高位の神職の次男として生まれた身分の鴨長明、時は丁度平安朝から鎌倉時代に変わる変遷期であって天変地異にも見舞われ、将来も嘱望されていたのですが、様々な経緯や不運続きが重なって神職には就けず、50歳で出家し、54歳で京を離れた郊外の「方丈(1丈四方)の庵」に移り棲み、62歳で亡くなりました。

丁度その前の58歳で書かれたとされている方丈記、清少納言の「枕の草紙」、吉田兼好の「然年草」と並ぶ、日本の三大随筆の1つと言われています。

 

―京都の上賀茂神社 楼門―WebImagesより

その方丈記に書かれていますが、鴨長明は若い頃ころから 「安元の大火」、「治承の辻風(竜巻)」、平清盛の「福原遷都」、「養和の飢饉」、「元歴の大地震」などの大きな災厄に遭遇し、世の無常を感じての出家であったと言われ、京を離れての終の棲家となった 「方丈の庵」へ移り棲む事となったのです。

その住まいは大変簡素で取り外して移動組み立てができると言う、僅か1丈(約3M)四方しかない粗末な作りであり、今で言う 「スローライフ」「断捨離」「持たない暮らし」、その原点と言えるものでは無かったかと新聞では書いています。

その住まいを、鴨長明は方丈記の中で、仮の庵は穏やかなものであり、何も恐れることが無く、狭いと言っても床に臥すことも出来るし、座るところもあり、我が身一つを宿わせるに何も不足は無いと申しています。

身の程を知り、世の中の習いを知れは、余計な望みや財など持たず、自分に必要なものしか持たない生活の静穏さ、ひたすらそれを望んで何も憂いの無い事を楽しみにしていると、その心の思いを語っています。

 

―復元展示されている方丈の庵―Wikipediaより

その 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとに水にあらず‥‥」ではじまる、800年前に書かれた方丈記にある鴨長明の心境、それに重ね合わせ、今日の高齢化社会にあっての老境に入った己の日常生活、どんな生活信条を以って余生を送るべきかと想い馳せながら、僭越でですが今の世相に就いて一言申して見たくなりました。

今の日本は少子高齢化社会と言われ、老人が多くなる一方で人口は減少しているのであり、消費の落ち込みによる長引くデフレ現象に合わせての経済不振に苦しむ状況にあります。

国の施策は、ひたすら民間消費の回復によるデフレ現象からの脱却と、好景回復を望む経済成長路線への転換の模索であり、逼迫する国家財政の中にあって赤字国債に頼りながら、何と税金の払えない人達にお金を配って使わせる、空からお金を蒔くような消費税増税の懐柔策? ヘリコプターマネーの散布をお試みて居ります。

 

ーヘリコプターマネーとは?-WebImagesより

それでも依然として景気改善の見えて来ない今日の消費低迷、増えている年金生活者から見れば、単なる金詰まりでは無く、今や大方のものは、略大なり小なり足りているので買う必要が少ないのであり、買っても余計には要らない、最早ものには、余り執着しないもの離れ、まさに「断捨離」が老齢化社会のトレンデイに成りつつあると見受けます。

その上、欲しいものがあっても、立ち留まって一寸考える余裕も生まれ、少々足らなくても何時かは慣れるとする単なる諦めとは違った、何か大らかな気分で居られる、生活感覚が生まれているようにも感じられます。

鴨長明の言っている 「物」や「財」は、ものへの拘りの所産であり、心境が変われば、「物」や「財」が己の真の生き方に、どれ程に不甲斐ないものであるか、モノを持たない「清貧」に馴染む心の安らぎが、生きる上で如何に大切か、彼はそれをつくずくと語っています。

「貧すれば貪する」と良く謂れますが、お隣り中国の観光客の方々のお金にものを言わせての日本での「爆買い」、日本の高度成長期の姿を彷彿させるものがあり、ものを余計に持たない余裕に、矜持さえ持つようにもなっている日本人には、最早不要不急な買い物に見えて、狂奔する昔の日本の幻景のように映っているのでは無いでしょうか。

 

ー高度経済成長のシンボルとなった東海道新幹線―WebImagesより

日本の消費社会が支え来た高度経済成長、右肩上がりの消費拡大へ向かっての市場競争時代であったのであり、本来の必要性を超える高級品化、未だ十分に効用を持つ財を、陳腐化させる新製品の次々の登場による新需要の開拓、ひたすら市場拡大を図って来たのが、世界に誇れるジャパノロジーの仕業でありました。それが自由市場経済イコール市場競争経済にしたのであり、その勝者だけが繁栄を謳歌できる構図を作って来たと申せます。

競争があれば当然生まれるのが競争の敗者であり、競争参画も覚束なかった構造的弱者であり、今日指摘されている格差社会の増大となった犠牲者達であります。

日本は、ポスト経済成長時代での終焉処理の軟着陸に時間が掛かり過ぎたのであり、その間に移り変わるグローバル経済時代の流れに、更に翻弄され、今尚はっきりした然るべき経済再構築への出口が見え来ない結果で起こっているのが、長く続く消費低迷であり、経済不振であると思っています。

今や政府は、国内消費の健全回復を演出でも喧伝し、マクロ経済での成長路線への転換を政策課題の成果にしようと奔走しています。

それが常識ある国民の目線からすれば、経済繁栄で残された様々な社会構造の変化、其処に生れた歪みの弊害が今も災いとして残っているのであり、先ずはそれから正されるべきです。

競争社会のもたらした勝ち組と負け組の社会格差の拡大は、その中でも大いなる弊害であり、勝者の論理での是正感覚では事の解決にはなりません。

 

ー今では懐かしい昔の交通渋滞風景―WebImagesより

毎日の食事にも事欠く貧困層の拡大等、繁栄の陰で生まれている敗者、社会的落伍者の貧困化構造、如何に捉えて是正するかは、今や日本に限った事では無く、自由市場経済下では、国それぞれの事情があってもグローバルレベルの緊々の解決すべき政治課題である筈です。

「衣食足りて礼節を知る」の譬えがありますが、先の大戦で飢えを体験した年齢世代だからこそ、人を飢えさせる事等、あってはならないと強く感じています。

今や住む所から食べ物に至る迄、貧富格差が進んで儘ならぬ歪みを生むに至って居り、今日の日本の底辺で起こっているそうした社会現象、勝者の論理からすれば、「働かざるもの食うべからず」であり、人それぞれに事情があっても、足らない自助努力の結果であって、社会での落ちこぼれは怠惰がもたらす所産とでも、内心は言いたいところでしょう。

それがあってか、低所得者層の可処分所得に占める課税負担額の増大を知って居ながら実施する消費税の一率増税、如何見ても呆れます。

富裕層には無縁でしょうが、国民に衣食に窮して礼節を失わせる様な事は、決してあってはならず、収入の殆ど占める食品や生活必需品に区別無く掛ける消費税、財務官僚の徴税感覚に従うのでは無く、当然他とは切り離して全廃し、少しでも安価で潤沢に購入できるような施策を執るべきあり、それが政治の責任ではないでしょうか。

多分、今日の複雑極まる市場経済構造の下にあっては、選択課税方式は実施上の難題が多くて官民挙げての抵抗が想定されますし、消費税推進の立役者の財務官僚からすれば、課税品目の選択廃止や縮小等、税収減に直接繋がるので受け入れ難いとするでしょう。これこそ国民の総意を以って解決すべき課題であり、国民がそれをどこまで分かっているかであり、肝心な政治選択を決して衆愚に任していけないのです。

 

ー新宿中央公園での炊き出し行列―EWebImagesより

扨て、先のブログ「見えて来ない日本の農ある暮らしで触れた日本版ダーチャの導入の話も亦、安倍内閣の提唱する1億総活躍社会への参画、その意欲があって望むなら、自ら土を耕して自分で食べるものを自分で作る自助努力、その楽しみを体験させる提案であり、試して観る価値があるかと思って書いたのです。

此処で話がまた一寸元に戻りますが、鴨長明の考え方には、必要最小限の生活で充分とする合理主義がそこにはあり、それもこれも個人の生き方の問題ではあります。 

貧しくても慎ましく生きる 「清貧」の暮らし、自然への負担は及びますが、今日の社会では、人ひとり毎に住むだけで、社会的負担、費用が生じます。

 

ーホームレスのテントは非課税ですが‥!-WebImagesより

窮屈な事ですが、人は居ると係る費用があり、誰もが払うのか、適正費用はいくらなのか、所得額によって違うのであり、先日、菜園のある外房の固定資産税だけではなく、居住していなくても自治体として用意した住民費用が掛かっているとあり、その一律の負担住民税の納税令書が送られてきました。まるで住民税の2重取りですが、致し方ありません。それを慰めてくれるのは、菜園で作る無農薬の自給野菜の自然負荷費用との想いですが 「飢え」の無い「清貧」の暮らしなら、鴨長明の「方丈記」の理想の現代版と言う事なのでしょうか‥‥。

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