鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

和合亮一さん、~2

2019-02-12 16:45:10 | お知らせ

   

 (マンションの屋上でトンビが喧嘩をしていて、負けた方でしょうか、飛び去ろうとしているところです。)

 きょうは風も強く、かつ冷たく、寒さの厳しい一日となりそうです。 昼過ぎからか、特に風は強くなり、午後からの定例会に自転車で向かったのですが、風が強くて吹き飛ばされそうになりましたので半分以上は自転車を引いて歩きました。狭い道路で風に煽られ自動車の方nよろめいたりしたらお互いに大変です。

                    

 きのうはいつもよりも力を入れて私人の和合亮一さんを紹介したのですが、みなさんはあまり興味がなかったようです。アクセス数等は減少しました。でもきょうも続けます。和合亮一さんはきょうでお仕舞です。お付き合いください。

  (洗顔中か?)

 きのうの続きとなります。

 

 和合さんは20歳の時から詩を書きはじめ、去年50歳になったので30年間詩人として活躍してきました。何故詩に向かったのか。福島大学の文学部に入ったら、曜日ごとに開かれているどれかの自主ゼミに入らないといけないのですが、月曜日から木曜日までは交通整理のバイトをしていたので、そうすると自ずと金曜日しか参加できないわけで、その金曜日の自主ゼミがたまたま“詩”だったから。

 

 東日本大震災前の詩とその後の詩は全く異なっています。震災前の詩についていろいろ語ってくださったのですが、なんとなくわかったかなという感じだけで、本当は何も解ってはいないのかもしれません。でも、思い出しながら少しでも和合さんの気持ちをわかろうと努力してみたいと思います。

     

 生きることと死ぬことを言葉で書いてみようとしたのが試作の始まりだそうです。人間の内なるものは、理性で縛られるものではない。心の中は自由である、例えば夢の中のように、つながりは自由である。

 

 人間は分かりあえなさの中で、それでも分かりあえるのじゃないか。意味不明さに向かっていく青春のようなもの、その気持ちを忘れずに書き続けていると言うのです。

     

 震災前は“分かりにくいもの”を求めていくという姿勢で書き続けていたが、震災後は自分からも、また新聞等から頼まれて書いていく“分かりやすい”表現を求めていく姿勢が両立していると言っていました。

 

 その分かりにくいものを追い求めていくという姿勢で書かれたものが最新作の「QQQ」だと言っていました。

    

 これだけを読んでも何を言いたいのか、何がどう違うのか皆さんは全く分からないでしょうね、すみません。

 

 (上下の写真は広瀬川の本流右岸ですが、寒々とした感じを持ちませんか。雪は少ないですが、それだけに寒さはひとしおでした。)

 

 

 和合さんの講演は2時から3時15分頃まで、その後は東北学院大学の学長舞う本先生との対談という形でトークショーとなりました。松本学長が質問して、和合さんが答えるというものです。

Q;大震災は、和合さんの詩にどういう意味があったのか?

A;自然の中に生きている、共生の感覚。地の揺れの中で生きているという直感、理性ではなく。足で大地に立って生きていたんだという感覚

Q;今自分の詩を朗読してもらったが、自分の詩は声に出してほしいと思っているのか?

A;朗読前提で詩を書いている。先ず自分が声に出してみる。そして高まって来るものを書く。語り部の気持ちかな。

Q;声のトーンやペースは?

A;一番大事な先生は“お客さん”。自己陶酔ではなく、燃え上がっている自分に水を掛けたりすること、そこに人が気を向ける、注目するのではないか。(自己注:震災関係の詩を読んでくれた時、はっきりと声のトーンが下がりました。読み方が変わりました。トーンが上がると大事なものが逃げていく気がする、トーンが下がらないと真実は語れない、というようなことを言っていました。)

Q;オペラや神楽、校歌にも挑戦してるようですが、

A;新しいことをしたい気が強い。やりたいことは一杯あるが、同時に新しいものに目移りがしてしまう。誘ってくれる人が出会いのなかにいるし、いろいろ言ってくれる人がいる方が長続きする。震災から得た眼差し、「今みんな7.8歳になっている」

・・・・・・・・

Q;やっている本人が一番楽しいとはどういうことか?

A;楽しませることを楽しんでいるのではないか。

・・・・・・・・

・・人間の命の大切さを実感するためには、「想像力」を豊かに研ぎ澄ますこと・・

  最後に最新の詩を!

  「 八年 

 

夕食の献立は

あれこれと

考えているうちに

八年の歳月は

過ぎていった

 

あの日から

誰もいなくなった

台所がある

無人の家族の影は

考えあぐねている

この国の

塩の加減を

 

茶碗は白くて

夕焼けを映して

心のように

割れて

しまわないために

食器の棚に並んで

 

小さな皿も

サラダボウルも

コーヒーカップも

箸置きも

 

鍋がぐつぐつと

煮えてきた

ずっと

空っぽのままで        (2019)

 

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