鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、7年2ヶ月

2018-05-11 16:11:27 | 思いつくまま

    

                  (朝8時55分頃)

 きのうの天気・気温と比べるときょうの気温の変化は一体何なのでしょうか。アメダスの毎正時ごとの気温によると、朝の7時では、10.1度(10日)と11.2度(11日)、お昼では12.4度と20.5度、午後3時では12.9度と23.3度となります。

    

 

 きのうより10度くらい高くなっています。 しかも明るいのです。そうそう朝5時頃かな東の空から吹き抜けに暖かそうな明るい日差しが、眩しいくらいの陽射しが射しこんでいました。思わず嬉しいということよりも感謝したくなりましたね、お天道様に。

 

     

 さっきのラジオでは最高気温が24.3度で7月上旬並みの気温だと言っていました。あしたも暖かいようで結構なことでございます。

 

 (水量が少ないんです。もっと増えてほしい。あと広瀬川への稚鮎の放流は終わったのでしょうか??ほぼ毎日通っていますが、澱橋付近からの放流はまだみていません。もっとも朝からずーといるわけではないので、もう放流は終わっているのかもしれませんが・・・。)

       

 

 きょう午後からある施設で定例会があったのですが、自転車で向かった時は少々暑いくらいでしたが、建物の中に入ったら何か冷え冷えとするのです。きのうまでのことを考えると仕方がないですね。

                    

 きょうは朝から天気が良すぎたからか、霊のところには猫はいませんでした。そのかわり分流には久し振りにいろんなものが見受けられ、虫や昆虫もやはり暖かい日差しが嬉しいのだなと実感した次第です。昆虫もニンゲンも関係ないです。

               

 堤防にいったころからもうウグイスの鳴き声が聞かれ、カラスも鳴いていましたし、分流沿いには蝶々やトンボもゆっくりと舞っていました。気候がいいからか虫たちも心なしか動きがゆっくりなのです。春の日差しを楽しんでいるかのようです。

 舞うのは何も蝶ばかりではございません。こういうものも舞うのです。 綿毛です。分流はもとより本流にも一杯舞い、川面に浮かんでいます。

 

 そうそうやはり春なのですね、ツバメではないのですがカラスの巣をみつけました。きのうは三本木の道の駅でツバメの巣を二つ見つけました。一つにはツバメの子どももいました。それが見えました。

 

 きょうは中洲の大木にカラスの巣をみつけました。何かカラスの動きがおかしいなと思って追いかけていたら巣にたどり着いたということです。前にも巣を見つけましたが、あの時はトンビの巣だったかな、やはりカラスかも。

                     

 アゲハチョウは分流の最下流の左岸へチにいました。春ですね、この蝶を見るとそう感じます。 ただ、まだ小さいな。

 

                       

 そしてこの長を見つけたときに丁度いい具合にカジカガエルの鳴き声も聞こえてきたんです。いいタイミングでした。異議なしです。まわりには誰もいません。この自然の中にたった一人、とっても得した気分になりました。

 

  

 きょうは5月11日。あの日から7年と2ヶ月が経ちました。マスコミの取り上げ方も少なくなりましたし、正直言って私もどうしたものか、とくに忙しいときには悩みます。地元の住人なのに、はずかしいとも思います。

 「中間被災者」としての中途半端な立場が余計に落ち着かなくさせます。でもなあまだ10年にもなっていないのです。忘れるにはまだまだ早すぎます。もっと個人個人であの日に立向わないといけないような気がします。

 加計のみと会い、他とは会っていないとか、3回も会っているのに首相補佐官として首相に報告はしていないとか、「最大限誠心誠意一生懸命答弁したつもり」なんて言うに及んでは、ここまで権力に近付くとニンゲンは堕落するのかと痛感した次第です。柳瀬何某を見て、こういうニンゲンにだけはなりたくないですね。みちのくに住む一市井のニンゲンとしては。

 それにしても大川小学校の津波訴訟です。とうとう石巻市と宮城県は最高裁へ上告しました。最高裁は基本的には書面審査だけなのでしょうが、実際にはどういう動き、審理をするのか、何人の裁判官で審理するのか、気を抜けませんが、両者の行動は残念でした。

 仙台での裁判では原告団はこういう横断幕をmって裁判所に入りました。

 『先生の言うことを聞いていたのに』 そうなのです、避難マニュアルがどうのこうの言う前に、なぜ校庭に50分も居続けたのかです。 校庭に集まった児童の中から『山に逃げよう!』という声が何回か出されたようです。

 そうなのです、ゆっくりでいいから一年生から裏山に避難しておけばよかったのです。先生方だってそう思った人がいたはずです。日頃から子どもたちはこの山とは馴染があったようですし、登れなかったことはなかったはずと現場を見た感じでも言えます。

 もっと地元の子供たちを信用していたら、あのとき迎えに来た親たちがもっとたくさんいて、親達も子どもも先生方にもっと強く発言主張していたら ・・・・・。それとももっと自由にして山に逃げる組と三角地帯に逃げる組に分けたりしていたら、・・・・。

 子どもたちの自由にしていたら、ここまで悲惨な結果には絶対になってはいなかったでしょう。全ては先生方の支配下にあったことの結果です。子どもたちにとって先生方は絶対です。逆らえません。

 子どもたちは不平不満があってもじっと我慢して校庭にいたわけです、いなければならなかったのです。自分の判断で動けなかったのです。動いてはいけなかったのです。 その結果大惨事が起きてしまったのです。

 いくら考えても悔やまれます。私でさえこうですから、親にとってはこんな気持ちでは済まないでしょう。先生方の判断決断が明暗を分けたのです。はっきり言って全ては先生方の責任です。児童の安全を守る義務があるからです。そのために児童は先生方の管理下、支配下にあるのでしょう。

 本当にかえすがえすも悔やまれます。残念です。無念です。 津波が来るかもしれない⇒来るとしたら川を遡上してくる⇒高いところへ逃げる⇒川沿いは危険、山しかない、ということに何故ならなかったのか。

 それと生き残った先生の処遇です。病気を理由に証人や参考人として裁判所で発言していません。原告は証人として発言してほしいと言っているのに、被告側はがんとしてそれを認めない。裁判所の方も躊躇している。

 遠藤純二先生です。先生の証言さえあれば、校庭で何があったのか、子どもたちや先生方の言動はどうだったのかかなりの程度で把握できるはずです。先生だって正直に知っていることを話せば精神的にも少しは気が楽になるだろうに。誰も先生を攻めたりはしないでしょうに。ただ事実を知りたいだけなのです。

 結局は私の思考も堂々巡りをしてお仕舞なのですが、悔しさだけは変わりません。まとまりのない文章ですみません。読んでいただいてありがとうございます。

 

 合掌

 


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