きのうは、「東アジアは3.11をどう論じたか~東北復興へのメッセージ」という公開シンポジウムでの、玄侑 宗久さんの基調講演の要旨をお知らせしました。
きょうはその後のパネルディスカッションの様子をお伝えしたいと思っています。 でも、どこのシンポジウムでもそうですが、スピーカーが発表したあと、それを基にして活発に?討論するはずが時間がなくなり、一方的に話しをしてお仕舞というケースがほとんどで、今回もそのような状態だったのが非常に残念でした。
今回のシンポは午後1時から3時30分の2時間30分という長さです。でも、挨拶が3人もいて、それぞれが短くはなかったものだし、スピーカー4人の事例発表(問題提起)が予定よりも長かったこともあり、議論がほとんど行われなかった次第です。 そういうときには30分くらい延長してもいいのになあ(もちろん後が痞(つか)えていなければの話しですが)と思うのは私だけでしょうか。
今回のシンポではじめて聞いたのですが、横文字ばかりです。 モデレーター、スピーカー、ディスカッサント、という言葉が出てきます。 司会進行者、事例発表者、討論参加者とかいうことはできなかったのでしょうか。
「東アジア」ということで、スピーカー(事例発表)は中国・台湾・韓国・日本の四ヶ国、ディスカッサント(討論参加者)は何と18人も揃えているのです。 内訳は、中国5人、台湾2人、韓国6人、日本5人という陣容で、ほとんどが大学の教授クラスです。 本当にもったいないことです。
モデレーターは東日本大震災復興構想会議委員で学習院大学教授の赤坂憲雄氏です。 3月11日の震災では、日本人だけではなくアジアの人々もたくさん被災している。 日本人だけではないということ、このことを忘れるべきではないと強調していました。関東大震災の記憶があるが、今回の震災は東アジアで共有されるべき災害であると。 確かにそういう観点がぬけていたなあと反省させられました。
4人のスピーカーの中からひとり、韓国の新聞の編集委員である趙 容來(CHO,Yongrea) さんの話しを紹介します。
”韓国にとって東日本大震災とは”と題して、次のように言っています。
≪ ””韓国では地震がほとんど起きないため、今回の地震と津波は非常に衝撃的で、12日の9社の新聞朝刊の見出しは、『最悪の地震、気を失う日本列島』(1社)、 『最悪の強震と津波、日本列島を飲み込む』 (4社)、 『日本列島、驚愕・混沌・悲嘆』(1社)、 『日本最悪の日』(1社)、 『日本沈没』(2社) というもので、日本列島全域で起きた問題であるかのように捉えた。
放送も、津波の凄まじい情況を伝え、恐怖と不安感を刺激しているようで、日本全体がそのような被害を被っていると思わせぶりな報道だった。
日本のメディアの報道ぶりは、非常に落ち着いて淡々としていて、国家の利益と社会の安定のためなら刺激的で扇動的な報道を最大限自制するという日本のメディアの特徴を改めて認識した。 それと比べて、韓国のメディアは過剰報道、扇動的報道という問題がある。
原発事故については、日本の政府や報道機関は正確な情報を伝えなかったのではないか、海外の専門家たちは事態の深刻さを指摘したにもかかわらず、日本政府は正確な事実を言わなかったようだ。 日本の報道機関は驚くほど冷静さと落ち着きを維持したが、政府が真実を言わなければ、日本のメディアは政府に対してもっと突っ込んだ取材を行うべきだった。 政府が発表した内容だけを伝えているような日本のメディアの姿勢は問題である。
韓国の報道機関は「放射能雨」という刺激的な言葉を使って、危険性を大々的に報道したが、これも韓国メディアの扇情的な報道と関係深い。
そういう中でも重要なのは、日本の原発事故は海の向こうの情況としてではなく、韓国人の日常生活と密着しているということ。
大震災の時に被災者たちが秩序正しく、極限状況の中でも冷静さを失わず、整然として耐えていたことは韓国では大変高く評価された。”” ≫
3枚の写真は、浄土真宗本願寺派の寺院が経営していた幼稚園(今は廃園)でのボランティア活動の様子です。(うちのお寺は浄土真宗ではありますが、東本願寺派です。) 「きぼう」と「きずな」という大きな縦看板が歩道に面して立てかけられています。 園庭にはいろんな車が駐車しています。 地道に活動しています。 頭が下がります。