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鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ああ、やっぱり?

2007-04-13 06:46:40 | 提案・要望

 昨日は歓送迎会で、酔っ払ってはいたのですが、それだから手を抜いて、酔っ払っていること、楽天が逆転勝ちしたことを書いて「投稿」したのですが・・・。

 

 確かに、いつものように「投稿が完了しました」という表示がなかなか出てこなかったので、どうしたのかなと思っていたのですが、何とかなるだろうと気楽に考えていたのですが・・・。

 ダメでした。  

 

 そういうことで、12日は休みとなってしまいました。

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①9日の広瀬川

2007-04-09 22:39:18 | 提案・要望

 風のない少し曇り勝ちでいて陽射しも刺したりの春らしいもやもやしたところのある一日でした。

 

 定点観測の広瀬川は、昨日と同じ水量で濁りはほとんどありませんでした。

 昨日も書きましたが、このあたりの川底は岩盤で、とっても滑りやすいところです。一年に一回は転びます。それが今のところかなり小石で埋まっていて、滑りにくくなっています。

 このままいって、ここの小石にコケがついてくれればいいのですが、果たしてどうなることやら・・・。


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④おまけ・今日の広瀬川

2007-04-02 23:25:36 | 提案・要望

 写真は定点観測のところから、澱橋の北側を見たところです。

 画面の左側はコンクリートの堤防を土砂で覆い、ゆったりとしたスロープにしたものです。

 その奥の橋の橋脚付近は、今回の工事で畑がつぶされ、平らにならされたものです。斜面(法面)は何かでカバーして、養生しているのでしょうか。

 

 何にしても、来週が楽しみです。


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③今日の広瀬川

2007-04-02 23:19:57 | 提案・要望

 またまた申し訳ありませんが、できれば①から目を通していただければありがたいです。

 今日は新年度を迎えての歓送迎会がありました。今日は1回目で、あと来週は2回歓送迎会があります。というわけで少々酔っ払ってブログを書いてきたわけです。

 酒は好きですが、強くないのが玉に瑕?です。 

 

 写真は、私が勝手に第一堤防といっているところの新旧比較です。写真の手前の草に覆われている部分が、昔からのコンクリートでできた堤防で、中央から奥のほうが砂(土)で覆われ、スロープが緩やかになった堤防です。

 このままでは、大水が出れば当然のこと、雨でも流されてしまうでしょう。この上に植栽するのか、針金のフェンスみたいなもので覆ってしまうのか、分かりません。まあ、何にしてもこのままにしておくと言うことはないでしょう。

 次の工事は新年度の予算で行うのでしょうか。


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②今日の広瀬川

2007-04-02 23:09:39 | 提案・要望

 写真は、①からみたすぐ下流部のものです。遠浅になっていました。前はすぐに深くなっていたのですが。

 

 4月29日に予定されている(多分)ニジマスの放流日には、ここから並んで竿を出す風景が見られるのでしょうか。まあ、安全な釣り場とはなりました。

 でも、にじますは放流されても、しばらくはそこにとどまってはいますが、慣れてくると回遊をはじめ、全体的に下っていきますので、実際に一杯釣れるのは、やはり、橋の下流部ということになるのでしょう。

 

 ここではできれば、川の中に大中小の石を入れて欲しいものですが、それは無理な注文ということでしょう。


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届きました。

2007-03-25 23:06:01 | 提案・要望

 今日能登半島沖地震で被害に会われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。被害に会われた皆様におかれましては、一刻も早い復旧をお祈り申し上げます。

 

 今日午前中に岡野釣具店からシマノの渓流竿が届きました。早速開けて見ました。軽いものです。仕舞い寸法が1メートルちょっとなので、かなり短く感じました。

 竿は、シマノの「天平本流7 硬調75-80ZE」(50cmズーム)です。シマノの中では一番安い竿です。前にも書いたようにあくまでも、ニジマスの放流用に買ったものです。

 でも、説明書によると、50cmクラスまでのヤマメ・アマゴ・サツキ・イワナ・ニジマスまで、幅広く対応する本流竿ということす。

 過去の広瀬川の放流されたニジマスで 一番大きかったのは40cmオーバーでしたので、丁度いいかなと思っています。

 

 嬉しかったのは、写真のようなかわいいアユのストラップが送られてきたことです。6センチ×3センチ弱の小さな木製のストラップですが、いい記念になります。お守りにしようかなと思っています。(木彫り製品の「遊木」が1つ1つ手作りで仕上げたものだそうです。)

 一緒に写っている「純正さなぎ粉」の袋は、同封の説明書によると、岡野釣具店の原点みたいなもののようです。

 両親が釣具店を始めた当時、秋川や多摩川で魚を釣るための練りえさがなかったため、蚕のさなぎを石臼で挽いて販売した時のものだそうです。最初は2坪の店舗から始めてここまできたようです。あきる野市は父親の生まれ故郷だそうです。

 

 このところとても暖かい日が続いていますが、一昨日までの3日間はそれでも2月のほうが暖かかったのです。昨日は逆転と言うか、これでいいのですが。(左側2月、右側3月)

 21日:12.7度 > 9.9度

 22日:11.2度 > 10.8度

 23日:12.7度 > 11.5度

 24日: 3.9度 < 12.6度


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水五則

2007-03-24 23:40:59 | 提案・要望

 いやあ、凄いのひとこと!浅田真央、安藤美姫。よくもあんな重圧のなかほぼ完璧に踊れるというか、滑ることができるものです。

 前に滑った選手の転倒が続き、本当に怖いものだと思って、日本人の二人の選手が転ばないで最後まで滑れるのか、心配でしたが、二人とも文句のつけようがないくらい滑りきったということは、いくら会場が日本だとは言っても、大したものです。ただただ感服、敬服しきりです。

 (ライブかなと思ってみていたのですが、妻が録画放送だと言ったのを聞いて少しがっくりでした。)

 

 「水五則」というのを、皆さんはご存知でしたか?広瀬川についていろいろ検索していたら、宮城県河川課のホームページに出会い、平成16年度から「治水講座」を実施していることを知りました。

 講座の内容を近々お知らせしようと思っていますが、講座開催の趣旨として「『水五則』(伝・黒田孝高(如水))に学ぶと題して、今後の河川行政を担う職員の人材をはかるとともに、宮城県公開講座として、県民の方々に、宮城県の河川行政をしっていただき、ともに今後の宮城県の河川行政のあり方を考えるために実施してまいりました。」とありました。

 ここでいう「水五則」というのが、私は恥ずかしながら始めて知ったのですが、なかなかといっては失礼でしょうか、いいことを言っているのです。

 奥深い言葉で、吟味に吟味を重ね、咀嚼する必要があるようですが、とりあえず今日はその「水五則」をお知らせします。

 

一 自ら活動して、他を動かしむるは、水なり

二 常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり

三 障害にあって、激しくその勢力を百倍にし得るは、水なり

四 みずから潔うして他の汚濁を荒い、清濁あわせいるるの量   あるは、水なり

五 洋々として大海をみたし、発しては霧となり、雨雪と変じ、霰と化す。凍っては、玲瓏たる鏡となり、しかも、その性を失わざるなるは、水なり

 

 どうです、凄いではないですか。16世紀の人間がここまで喝破している。偉いですね、昔の人は。

 

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もがみ川釣りマップ

2007-03-22 22:41:23 | 提案・要望

 祝!銀メダル 高橋大輔。

 世界フィギアスケート選手権2007東京大会で、見事高橋大輔選手が第二位、銀メダルを獲得しました。日本人男子では初の快挙とか。大したものです。あの重圧のなか、自分の力を出し切ったのですから。

 先に滑った選手たちが大声援を受けている中で、じっと出番を待つ、そして自分の出番で力を出し切る。凄いことだと思います。

 それなのに、こちとらはアユ釣りの全国大会では、2回とも力を出し切れなかった、悔いばかりが残ったものです。

 

 今日釣具店に寄ってきました。新しいカタログがないか見たのですが、面白いものがありましたので、紹介します。

 『山形県 もがみ・川釣りマップ』です。

 山形県の母なる川、最上川の下流域の3漁業組合のPRパンフレットです。

 小国川漁業協同組合・最北中部漁業共同組合・最上漁業協同組合の3組合です。大きさはB1版でしょうか。アユの解禁日は7月1日です。

 

 小国川漁協の範囲は、小国川と白川、アユの日釣り券は1800円、年券は9000円。遊漁証取扱所は25箇所もあり、オトリ鮎取扱所も14箇所もあります。さすが、天下の小国川です。

 

 最北中部漁協は、新田川、銅山川、角川の3河川とその最上川との合流点が組合の範囲のようです。アユの日釣り券は1500円、年券は7500円。遊漁証取扱所は12箇所、オトリ取扱所は1箇所(個人宅、もしかして組合長かも)のみです。

 

 最上漁協の範囲は、鮭川、真室川、金山川、大沢川です。最上川は鮭川との合流点の上下800メートルが当漁協の範囲(区域)です。アユの日釣り券は1600円、年券は8000円。遊漁証取扱所は13箇所、オトリの取扱所は3箇所です。

 

 日釣り券は、1500円、1600円、1800円とアユの多いところ、組合がしっかりしていてアユの管理もしっかりしているところが高くなっているといっていいでしょうか。年券は、いずこも日釣り券のちょうど5倍となっています。

 (広瀬川は日釣り券が1500円に対し、年券はたったの4000円です。安いですね、アユが少ないからか?)

 

 無料対象者は、3漁協とも小学生・中学生は無料なのですが、肢体不自由者の取扱は、「最上」と「最北中部」が”無料”なのに対し、「小国」は1~3級の人のみ”半額”になっています。

 

 作製は、最上地域敢行協議会(新庄市)でした。

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最期を信じて・・痴呆性老人と暮らして(その4)

2007-03-21 22:17:43 | 提案・要望

 初めての方は、申し訳ありませんが、2月13日、3月8日、14日、16日分を読んでから、読んでいただければより理解が深まるのではないかと思いますので、よろしくお願いします。

 

【平成12年(西暦2000年)】

⑯10月7日;

丸首が着られなくなった母のためあったかくゆったりとした服を買う

 

 体の自由が少しずつきかなくなってくるし、体に触られるのが何よりも嫌いで、抵抗する母の着替えは毎日大変です。

 もうこの頃はおしめを当てていたし、毎朝おしっこでびしょぬれになってしまいます。下着はもちろん、パジャマも濡れるし、シーツまで濡れてしまい、朝は下着からシーツまで取り替えなければなりませんでした。

 少しでも着脱が楽なように、頭から被るような服や下着は敬遠し、前合わせの、しかもホックとかぼたんよりもマジックテープがついている服を揃えるようにしていました。

 そのために、妻には介護のほかに買い物でもいろいろ苦労をかけました。(そういうことがあるから、頭が上がらないわけです。)

 

⑰10月15日;

白石へ母を連れてく兄妹で楽しい時間過ごさせようと

 

 もう何回も出てきたと思いますが、白石市は母の生まれたところで、実の兄が健在でした。

 母は4人兄弟姉妹の長女で、男は兄のみ、二人は妹です。でもこのときは一番下の妹は、一番若いのにいろいろ苦労して一番早く亡くなってしまいました。

 親孝行のつもりで、母を連れて行っていたわけですが、何よりも実の年老いた兄と妹が、あまりかみ合わない話を一生懸命しているのはそれなりにいいもので、それをそばで苦笑いしながら聞いていたりしました。

 帰りには庭になっていた甘柿をもらってきたりもしました。私は甘柿が大好きですので。

 

⑱10月15日;

出かけても何処に行くかは言えぬ母それでも戻る今は何とか

 

 まだ足腰は健在でしたから、家の中はよく動き回りました。本当にじっとしているということがないのです。

 少しは落ち着いて静かにしていてくれればいいのにと思っても、願っても、母は聞いてくれません。すぐに動きます。経験したことのない人には分からないかもしれませんが、本当に家族はいらいらします。

 たまに、ほっておいて、外に出すこともありましたが、多分「うちに帰る」とか言っていたのかもしれません。どこにある?と聞いても答えられるはずもありません。

 ただ、全く一人で外に出すわけにはいかないので、距離を置いて後をつけていきます。幸いにも道路の真ん中を歩くことはなかったので、その点はよかったのですが。

 

⑲10月25日;

要支援介護保険の認定で来月から行くデイサービス

 

 介護保険の実地調査や介護認定審査会の審査に基づき、母は「要支援」と認定されました。

 介護保険法の施行により、介護サービスを受けるためには要支援か要介護(1から5まで)の認定を受ける必要があります。

 母の結果は、一番軽い要支援でした。それで、介護サービスを受けられるようになったもので、保健所で聞いた、すばらしいケアマネージャー(介護支援専門員)がいる近くのデイサービスセンターに通所することにしました。

 今両親等の認知症(痴呆症)で悩んでいる人がおりましたら、迷わずにケアマネージャーに相談することを進めます。介護保険担当の部署に言って聞けば教えてくれます。

 

⑳11月4日;

今夜また母をこれでもこれでもか追い詰め怒鳴り泣かせて悔やむ

 

 これは多分夕食後の歯磨きのときのことと思います。今になって冷静になって振り返ると、何でこんなにも歯磨きに拘ったのかと反省しています。

 既に母の歯は、そう入れ歯になっていました。上下とも総入れ歯です。夕食後は、洗面所に母を連れて行って、自分で入れ歯を取り出させ、磨かせました。

 たまには自分からきちんと磨く場合もあったのですが、大半は洗面所の前に連れて行っても、何をしたらいいのか分からないのが普通でした。

 コップと歯ブラシを見せて、歯(入れ歯)を磨くのだといっても、なかなか分かってくれません。代わってこっちが磨こうとすると、抵抗します。入れ歯をとろうとしても、怖くてなかなか取れません。噛み付こうとするからです。

 手を上げてかかってくることくらいならまあ軽くいなせるものの、噛み付こうとする場合にはこっちも怖くなります、かっとなってしまいます。

 それで、洗面所でバトルが始まるのです。口で罵倒し、母を泣かせ、そして自己嫌悪に陥ってしまう。この繰り返しでした。

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(その3)川との境

2007-03-18 23:37:21 | 提案・要望

(その1)から見てください。

 この写真は(その2)から続くものですが、川の表面から見ると、かなり高く感じます。

 しかも、急な傾斜です。コンクリートや石を使って、護岸工事をするのではないかと思います。コンクリートの造作物である下水の吐き口とつなげる形にするのでしょうか。

 しかし、これではちょっと傾斜が急過ぎます。この下の川は浅くはないので、このままでは危ないと思いますが。

 同じ護岸工事するのであれば、那珂川のように緩やかな階段状のものにしてほしいです。ただ単にゆるい傾斜ではなく、4から5段くらいの階段状にすることによって、かなりスペースができるし、親水にも合致すると思うのですが。

 まあ、無理でしょうね。ただ気になるのは、工事の概要を記した掲示物が見当たらないことです。


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(その2)元の畑の今

2007-03-18 23:26:51 | 提案・要望

 畑は今は全く見る影もないです。

 2台のショベルカー、ブルドーザー、ダンプカーで整地されつつあります。

 それだけではなく、木も何本か切られてしまい、残るは2本だけとなりました。りっぱな胡桃の木もあったのに、切られていました。

 写真は、西側からやや見下ろしている感じで撮影しましたが、川のほうに行って見て、あっやぱりと思いました。(その3)に続きます。


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(その1)2冊目です。

2007-03-18 23:21:21 | 提案・要望

 お墓参りの後、夫婦で生協へ買い物。生協の隣にある本屋に入って時間をつぶして、「氷結の森」を買おうと手に持ってカウンターに向かうも、何か引き戻そうとするものがありました。

 それでスポーツ雑誌コーナーに向かいました。そしたら何とあるではないですか。

 学習研究社発行の「アユの友釣り 最先端 2007」が。これで2冊目。定価は税込みで、1680円です。

 特集が3つあります。

 一つは、「名人が教える!友釣りが上手くなる達人芸」と題して、有岡只祐のおもり活用術、吉田健二の空中輸送、鈴木幹弘の背バリほか。

 二つ目は、「トーナメント会場でアユを釣る」と題して、相模川、酒匂川、藁科川、興津川、那珂川の紹介、

 最後は「大アユ釣り攻略講座 なぜ今大アユか?」と題して、軟派な技で硬派の大アユを仕留める大作戦、大アユはここを狙え!、竿は持ち替えないで仕掛けと度胸で勝負、鬼怒川は大アユ釣りのメッカ、オモリ使い俺流アイデア、の紹介です。

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寒い日が続きますが・・・

2007-03-17 23:37:07 | 提案・要望

 3日くらい前から、不覚にも体の底からこみ上げてくる咳が止まりません。辛いです。止めようとしても止められないのです。これは寝ていてもこみ上げてきたりして、体力を消耗します。

 幸い熱はなく、体もそんなにだるくもないので、出勤しています。今日はさすがに自転車で行く気にはなれなかったのでバスを利用しました。寒いからです。

 天気予報では、2月中旬と同じとか言っているので、調べてみたら次のようでした。最高気温の比較です。4日から16日までの比較。左が2月で、右が3月です。

 

 4日 : 5.3-<-11.8

 5日 : 8.8-<-9.4

 6日 : 14.5->-12.5

 7日 : 7.5->-4.9

 8日 : 9.6->-7.5

 9日 : 9.5->-6.6

 10日 : 6.3-<-8.0

 11日 : 7.2-<-9.4

 12日 : 7.0->-2.0

 13日 : 7.8->-5.9

 14日 : 2.8-<-6.8

 15日 : 8.5->-7.3

 16日 : 7.0-<-8.8

 

 13日間の比較だけですが、3月の方が高いのは、4,5,10,11,14,16日の6日、つまり7日は2月の方が高い、3月のほうが低いということになります。

 あよそ信じられないことではないでしょうか!!特に6日は2月も3月も高いのですが、2月は何と14.5度を記録しています。

 折角去年の春から風邪を引かずにここまできたのに、そして妻より今年は全く風邪を引かないねとお褒めの言葉をいただいたりしたのですが、年度末を迎えて体調を崩してしまいました。

 昨日は東京で今年の初雪を観測したといいます。明治9年の観測開始以来、こんなに遅く降ったことはないということです。

 

(話は全く変わって)昭和20年3月16日は、栗林忠道中将が最期の総突撃を前に硫黄島から訣別電報を発した日です。改めて電文を読んでみてもいいのではないでしょうか。

 

 戦局最後の関頭に直面せり  敵来攻以来、き(漢字が探せません)下将兵の敢闘は真に鬼神を哭かしめるものあり  特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し 宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは小職自ら聊か悦びとする所なり  然れども飽くなき敵の猛攻に相次いで斃れ 為に御期待に反し 此の要地を敵手に委ねる外なきに至りしは 小職の誠に恐懼に堪へざる所にして 幾重にも御詫び申し上ぐ  今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し 最後の敢闘を行はんとするに方り 塾々皇恩を思ひ粉骨砕身も亦悔いず  特に本島を奪還せざる限り 皇土永遠に安からざるに思ひ至り  縦ひ魂魄となるも 誓って 皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す  茲に最後の関頭に立ち 重ねて衷情を披瀝すると共に 只管皇国の必勝と安泰を祈念しつつ 永へに御別れ申上ぐ 

 国の為重きつとめを果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

(三首の辞世の句のうちの一首目)

 

 昔の人は?本当に言葉や字句をよく知っています。というか今の我々が知らなすぎるということなのでしょうか。感心するばかりです。

 沖縄戦で自決した海軍の太田実指揮官の訣別の電報も胸を打つものがあります。「沖縄県民かく戦へり・・・後世特別のご高配あらんことを・・・」でしたか、「特別のご高配」どころか、永久に本土に成り代わって米軍基地を押し付けられ、差別され続けてきたではないですか。此れでいいのでしょうか。

 沖縄は日本から独立すべきですね。独立して、米軍を追い出すべきです。独立まで行かなくても、関税特権を持ったりして何とか自立してほしいなとか勝手に思っていますが。

 

 翌17日はロサンゼルス五輪馬術で金メダリストの西竹一中佐が戦死したことになっていますが、これははっきりしたものではないようです。16日に訣別電報を発し、26日に総攻撃を敢行して、組織的な抵抗が終わったことになっています。

 

 しかしですよ、未だに硫黄島には、一万人前後の日本軍の将兵の遺骨は土のなかに埋まったままなのですよ。

 これは硫黄島に限らず、南洋諸島の島々、インドネシア、フィリピンにおいてもそうですが、世界第二位の経済力かなにか知りませんが、戦後の復興・繁栄は戦死者のお陰だとか言いながらも、肝心の遺骨はほったらかしにしておく、それでいて英霊だとか言いながら靖国神社に参拝したりしている、こんな馬鹿なことがあっていいのでしょうか。

 私に言わせれば本当に英霊と思い、敬っているとは到底思われません。口先だけです。国民も国民ですが(犬死させられたのに、そう思いたくないために目をそむけている)、何年かかっても、いくらお金がかかっても、本当に平和国家をつくろうと思うのであるならば、戦没者の遺骨を徹底的に収集すべきです。

 長くなりました。この件はいづれまたの機会に。

 

 

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最期を信じて・・・痴呆性老人と暮らして(その3)

2007-03-16 22:44:55 | 提案・要望

 今TBSのテレビ「金スマ」を見ています。奥田瑛二の奥さん安藤和津のお母さんのことをやっていました。

 お母さんは「脳腫瘍」ということで、人格も変わり、歩けなくなっていくとともに、介護が大変になっていくということを如何にして乗り越えて行ったか、感動的に述べられていました。

 妻と一緒に、お互い黙ったままで食い入るように見ていました。

 

 今日は、3月8日、14日についで3回目となります。こういうやり方でいいのかどうか、迷いながら書いています。

 

【平成12年(西暦2000年)】

⑪ 8月1日;

調査員家庭訪問母の痴呆介護保険の介護度いくら

 丁度介護保険法が施行されたのが、平成12年でした。介護保険は、要支援か要介護か、要介護の場合は介護度が1から5までの、どれに該当するか審査してもらうことになります。

 審査は介護審査会が行うのですが、その審査のための資料を作成するために、調査員が実地に訪問して本人や家族に聞き取りをしたり、本人の状態をじっくり見ていくわけです。

 そういう制度ができたのなら、早めに申請しておこうと考えたのでしょう。この日介護保険の調査員が来てくれました。

 母もこの時点で80歳を越えていましたし、いろいろと持病があり、近くの内科にも通院していました。いわばかかりつけの医者のアドバイス等もあって、申請したのかもしれません。確か、医者の診断書も必要だったと記憶しています。

 

⑫ 8月16日;

母検査広南病院妻と行く八十分でようやく終了

 かかりつけの医者のアドバイスだったでしょうか、脳の検査が必要だといわれ、脳の専門病院である広南病院を紹介され、車で診察を受けに行ったものです。

 CTかMRIをとったのでしょうか、はっきりは思い出せません。(過去の日記を探し出してみれば詳しいことはわかると思いますが、そういう肉付けはしないで、記憶を頼りに思い出しながら書いています。ご理解願います。)

 

⑬ 8月29日;

検査した母の診断予想通りアルツハイマー型痴呆症

 検査の結果は、予想通り「アルツハイマー型」でした。皆さんご存知のように、痴呆症には「脳血管型痴呆」と「アルツハイマー型痴呆」があります。

 脳血管型は治る可能性があるのですが、残念ながらアルツハイマー型は現在の医療では治療は不可能と言われていました。薬を飲んでも、症状の進行を遅らせるだけということでした。

 検査の結果を現実として受け入れなければなりません。受け入れた上で、最善を尽くしていくより他はありません。自分に言い聞かせました。

 

⑭ 9月6日;

確実に進むわが母痴呆症アルツハイマー治る見込みなし

 現実は厳しく容赦のないものです。この頃は、夜になってもきちんと寝てくれなくて、家族はいらいらさせられ、睡眠不足気味でした。

 というのも、一旦はベッドに入ってくれたものの、我々が寝ようとする頃に起き出したり、騒ぎ出したりするのです。騒いでもベッドに入ったままならまだしも、起き出して歩き回るのです。

 そうなると、最初は妻と二人で一回に降りていって、ベッドに寝かしつけたり、頻繁になってくると、妻と交互に下に下りていって、引き戻したり、寝かしつけたりするようになりました。

 部屋から出たかどうかは、音で分かるようにしました。ふすまを開けて廊下に出るときに、必ずマットのようなものを踏ませるようにしました。マットに上がれば、音がして2階にも分かるようにしたわけです。多分徘徊老人用の商品です。

 

⑮ 9月13日;

泣いた母泣かせた母を泣いたまま放っておけるこの心は何

 この日何があったのかは思い出せません。だけど⑭のようなことが何日も続いたり、ベッドに戻そうとしても抵抗して言うことを聞いてくれなかったりしたときには、お恥ずかしいことながら、怒鳴りつけました、実の母親を、夜中に。

 母には感情は残っていますから、母も悔しかったりして泣きました。なんでこんなことをする!といいながら。なんでこんなことをされなければならないのか!といいながら。

 でも、私は外にも聞こえるくらい大きな声で怒鳴ったりしました。何で言うことを聞いてくれないのか、何でおとなしく寝てくれないのか、何で寝せようとするのに抵抗し、暴れるのか、そういう自分の母親をみていると、自分が情けなくなって怒鳴りつけ、そしてそういう怒鳴りつける自分が嫌になり、自己嫌悪に陥ってしまう。

 そういうことを繰り返す毎日だったと思います。


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鮎づくし

2007-03-15 23:27:59 | 提案・要望

(その1)

 昨日の昼、近くの本屋に立ち寄ったら、ありました、ダイワの「鮎マスターズ20」が。

 いよいよこれを皮切りに、いろいろな特色のある鮎の雑誌が発売されていきます。楽しみです。楽しみが待っています。

 今までは、「鮎マスターズ」は定価が1,000円でしたが、今年からは1,200円と2割アップしていました。ページ数も増加していますが。というか、『記念大会特別増ページ号!!』と銘打っているために、ページが増えた分経費が掛ったということのようです。

 メインは、「20thを制した岡崎孝『勝利の法則』」であり、鮎マスターズ2006の詳報が掲載されている他、20回記念ということで『メモリアル特別企画!!』と銘打って、1)競演!鮎マスターズ”厳選”七番勝負、2)次世代イノベーション~瀬釣り攻略~、3)村田満「終わらない挑戦ーその後の10年」、4)座談会「われらの時代と今」(本間正俊・伊藤稔・西角喜昭)、5)データで見る!鮎マスターズ20年史、も掲載されています。

 写真をみているだけでも楽しくなります。

 

(その2)

 今日の東京新聞夕刊です。本当に胸躍るような写真が掲載されていました。遡上している鮎の写真の説明に曰く、「昨年より10日以上も早く多摩川で遡上を早めたアユの群れ(川崎市中原区)」と。

 東京湾で育った体長6センチ前後の「江戸前アユ」の遡上が始まったというのです。

 暖冬のためか、今年の遡上開始は昨年より2週間ほど早いとのこと。

 手元の資料によると、読売新聞ですが、4月21日に写真と記事が掲載されていました。「東京湾で育った『江戸前』アユの稚魚が春の多摩川で元気に遡上する姿を見せている。・・・、体長6~7センチに育ったアユが、・・・」という記事ですが、体長は同じです。

 今年は去年よりも一ヶ月も成長が早く、遡上も早くなっているということになりますか。

 

(その3)

 今日午前、幼稚園の修了式に来賓として呼ばれて出席してきました。節分の鬼役で暴れた幼稚園です。

 #いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう・・・・# 懐かしい音楽が流れてきました。

 ああ、まだこの音楽が使われているのだなあと感無量でした。私の二人の子どもが保育園を卒園するときにうたいました。いい歌だなあと思いました。だから私も覚えました。

 約20年近く前になりますか。年をとるはずです。

 今日修了式を迎えたのは29名の園児です。男の子11人、女の子18人。29名の園児がひとりひとり壇上に上がって、園長先生から修了証を受取ります。受取る前にお辞儀をしますが、それが中途半端じゃないのです。深々とお辞儀をするのです。

 園長先生から「おめでとう」といわれて、修了証を受取ります(左手から差し出して、右手を添えて両手で受取ります)が、受取った後ひとりひとりがはっきりと「ありがとうございます」というのです。

 そして親の方に向き直って、ゆっくりと壇を降り、赤い毛氈の上を歩いて(15メートルくらいですか)、向かい側に立って待っている、自分の子の晴れ姿を見て感動しているお母さんやお父さんのところに行って、修了証書を渡します。渡すときにお母さん(出席者は圧倒的にお母さん)に言うのです、「三年間ありがとうございました」と。

 いやあ参ってしまいました。泣かせる演出です。たまりません、我慢ができません。こちらまで感動でもらい泣きです。

 最期を締めくくるのは「別れの詩(うた)」です。これもよくできていて、感謝の言葉が組み合わされていて、うたも曲も徐々に徐々に盛り上がっていくのです。

 声も次第次第に大きくなっていき、曲も別れに相応しい、そして将来に夢と希望を抱かせる曲となっていき、最後には手話さえ交えながらの大合唱となりました。

 そして、一人一人が親の前をゆっくり通って、園長先生とタッチをしながら教室にもどっていきました。

 久し振りに心が洗われる想いをしました。園児に感謝です。

 

 ここまでなら、一体どこがアユなのだとお思いでしょう。これからです、アユの登場は。

 29名の卒園児の名前を見て、嬉しくなりました。ひとりは『あゆ美』、もう一人は『鮎遊(あゆ)』と言う名前の園児がいたのです。女の子は18人ですが、そのうち二人に”あゆ”と言う名前がついていたのです。

 

 鮎三昧でした。

コメント (2)
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