猫のやぶにらみ

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二大政党制は日本の本来の姿!?

2009-09-22 | 経済・社会
ついに民主党が政権交代を成し遂げて、日本にも本格的な二大政党制が訪れようとしている。あの郵政選挙のときでさえ、民主党に一票を投じた(郵政民営化には大賛成だったが)やぶ猫としては、まことに嬉しいことである。

ところで、一部には「果たして日本に(政権交代可能な)二大政党制は根付くのか」という懐疑的な見方があるのも事実である。これはまあ、今後、10年ー20年たってみないと分からないことではあるが、これに関連する、興味深い見方を披歴された方がいらしたので、紹介してみよう。

時は昭和15年8月、日中戦争たけなわのこの時期、近衛首相率いる政府は来るべき太平洋戦争に備え、国を挙げて戦時体制を強化しようとしていた。「高度国防国家建設」のため、「官民共同の挙国的国民組織」結成についての構想を発表したのである。これがのちに「大政翼賛会」となって、当時の二大政党、政友会と民政党は消滅した。

近衛のこの構想を耳にして、昭和天皇は「議会軽視につながりはしないか」と懸念を示し、こう言った。

「我が国の歴史を見るに、蘇我、物部の対立抗争以来、源平其の他常に二つの勢力が対立している、この対立を議会において為さしむるのは一つの行き方で、我が国では中々一つに統一ということは困難の様に思はる」

「天皇」という立場から見た日本史観とはこのようなものなのかと感心した。

もちろん昭和天皇の上記の認識は事実とは異なる。300年近く続いた徳川幕府の治世を挙げるだけでもそれは明らかだ。もっともそんなことは先刻承知の上での発言だろう。昭和天皇は「幕府」というのは、要するに一党独裁だと(正しく)認識しており、それは日本という国柄の本来の姿ではないと切って捨てたのだ。

近衛の大政翼賛会構想が「幕府」のような存在になって天皇家を軽んずることを危惧したのか、それともナチスドイツのように一気にファッショ化が加速することを危惧したのか、その真意は想像するしかないが、英国流の立憲君主たらんと生涯自らを律していた昭和天皇にとって、日本のあるべき姿として、一党独裁が好ましからぬ体制であるということははっきりしていたのであろう。

戦後、自民党は長く政権にあり過ぎた。長い太平の中で、徳川幕府と同様、腐敗し、人材の枯渇にあえぎ、時代の変化についていけなくなってしまった。

民主党の政権が今後、どれだけ続くか分からないが、長くても10年で十分だと思う。自民党にも大いに頑張ってもらって、二大勢力が互いにぶつかり合うという「蘇我、物部の対立抗争以来」の日本の歴史の本来の姿(!)を取り戻して欲しいものだ。

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