猫のやぶにらみ

こよなく猫にあこがれる中年オヤジのブログです

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「投資家保護」の原則を忘れるな

2006-01-30 | 経済・社会
ホリエモン騒動が連日のように報道される中、またぞろ、「識者」の方が、「株式投資は自己責任ですからね」というセリフで話を締めくくるとうケースをよく目にするようになってきました。私はこの言葉に納得できません。

「自己責任原則」とも言われるこの言葉、一体誰が、どこにそんな「原則」を作ったのでしょうか。

しかもこの考え方はアメリカ発祥で、彼の地では従来から当然視されているのに、「わが国ではまだまだ根付いていない(従って、もっと普及しなければ)」などという文脈で語られることが、しばしばです。これは明白な誤りだと思います。「自己責任原則」とは、英語で何と言うのか、私は聞いたことがありません。

株式投資を含む証券取引の根本ルールは「証券取引法」に書かれています。このことは日米ともに変わりないはずです。

証券取引法の第一条には、「この法律は、(中略)、投資者の保護に資するため、有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、且つ、有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とする。」と書かれています。ここに書かれた「投資家保護(investor protection)」の精神こそが、証券取引法が定め、要求する様々なルールや制度の根本にあるのだということを忘れてはなりません。

車や家電製品と違って、有価証券という、見ても触ってもその実態が容易につかめない紙切れを、命の次に大事なお金で大量に売買するのが、証券取引市場ですから、通常の「モノやサービス」の取引に比べて、はるかに厳しく、一般投資家(消費者)を守るために、発行会社(供給者)と証券会社(取扱業者)に対して、様々な厳しいルールを定めているのが証券取引法なのです。

一般投資家を騙す可能性の高いのは、まず第一にその有価証券を発行している(しようとしている)会社自身と、直接顧客に接してセールス活動を行う証券会社です。プロであるこの両者が、一般投資家を騙したり、食い物にしたりしないように、つまり、「投資家保護」のために、様々なルール、仕組み、制度が築かれています。そのようなルールの大本がが証券取引法であり、その背骨は「投資家保護」の精神だということです。

では、投資家は一体何から「保護」されているのでしょうか?投資家が相場の変動によって被る損失から保護されるという意味でないことは明らかです。

投資家は何に責任を負い、何から保護されるのか、ここがあいまいであってはならないと思います。

投資家は自らの投資判断とそれがもたらした結果に対してその責任を負います。いかなる法もルールも、投資家が自ら下した投資判断の結果に対して、保護を与えるものではありません。

しかし、投資家がその投資判断を下す際に、発行会社や証券会社が、ルールに反して、嘘の「情報」を提供したり、本来提供すべき「情報」を隠したりしていたとするならば、そしてそのことが原因で損害を被ったとするならば、それは投資家の責任ではなく、ルールを破って投資家の投資判断を誤らせた発行会社や証券会社の責任です。

投資家は自らの投資判断に責任をもつ。そしてその結果に自ら責任を負う。投資家がそのような責任を負うからには、その投資判断の元になる「情報」が、投資家を欺くものであってはなりません。まさにこの点について、証券取引法は、投資家を守るために、様々な仕組みや制度を用意し、そのような情報提供者に対して、厳しいルールを課しているのではないでしょうか。

アメリカに「自己責任原則」などというものはありません。そもそも「自分に責任があります」などという「原則」がアメリカにある訳がないではありませんか。アメリカではもっと正確に、次のように言います。「投資家は自らの投資判断に責任を負う」と。しかしそれは、「一般の投資家の投資判断に影響を与える、必要十分な情報がきちんと開示されている」という、証券取引法が要求する大前提が充たされていることが条件です。

つまり「適切な情報開示という大前提⇒投資家が自ら下した投資判断⇒それにともなう結果⇒投資家の責任」という図式です。

一方、こうした大前提が充たされていない場合はどうなるでしょうか。その場合でも、「株式投資は自己責任だからしょうがない」、などと言って、アメリカの投資家が泣き寝入りするでしょうか?証券取引市場の番人、SECが手をこまねいて何もしないでしょうか?投資家も監督者たるSECもそんなことは許しません。

「自己責任原則」なる言葉は発行体や証券会社(さらに行政!)にとって都合の良すぎる言葉だと思います。要するに「お前さんの自業自得だろ」と言っている訳です。「騙されるお前さんが(も)悪いんだ」と言っている訳です。だとすれば、次に続くべき言葉は、「だから言わんこっちゃない、素人は手を出すんじゃないよ」となるのが筋でしょう。

話は本来逆であるはずです。騙された方が悪いのではなくて、騙した方が悪いに決まっています。証券取引法の「投資家保護」の精神に則って、「プロの悪行に対してはそれを予防するために厳しいルールを設け、運用しています。万一それでもルール違反があれば、厳正なる処罰をもって対応しますので、皆さん安心して証券取引に参加して下さい。」と、呼びかけるべきでしょう。

「投資家の自己責任の徹底」などというお題目を唱える識者は、投資家に対して自虐的な泣き寝入りを強いているだけで、結果的に「騙す側」の手助けをしているということに気づくべきです(あるいは初めからそれを企図しての事かも!?)。

「それを言い募る側」にとって一方的に都合の良い、この怪しげな「原則」がこれ以上大手を振って一人歩きすることを止めて、「投資家保護」という証券取引法の本当の「原則」が、本来占めるべき正当な位置を占めるよう熱望してやみません。
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スコティッシュ・フォールド

2006-01-29 | うちの猫
数ある飼い猫の品種の中で、私が最も惹かれるのは、スコティッシュ・フォールド(Scottish Fold)です。めちゃめちゃ可愛いと思います。

うちで飼っている3匹の猫たちは、いずれも雑種で、拾ったり、貰い受けたりして我が家にやってきた猫たちです。子供の頃、実家で飼っていた猫も皆そうでした。つまり、私は血統書付の立派な品種の猫を飼ったことがないのです。

私は、猫というのは、まあ、何かの「ご縁」があってその家にやって来るものだと思っていますので、「お金を出して買う」ということは、今後も多分ないと思います。従って、スコティッシュ・フォールドとも縁がないと思っていたら・・・。


我が家特製「はちわれフォールド」

えー、はい。これはもちろんウチの○○ちゃんです。ちょっとスコティッシュ・フォールドしてみました。耳を前に倒すだけですから、そんなに嫌がられることもなく、あっという間にスコティッシュ・フォールドに変身です。

なんでこんな写真を撮ったかというと、スコティッシュ・フォールドの仔猫、「クリスくん」が、あまりに可愛いいので、つい、うちの猫で試してみたくなったというわけです。

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King Kong

2006-01-21 | 映画
監督はピーター・ジャクソン。大ヒット作「ロード・オブ・ザ・リング」でアカデミー賞を総なめにした彼が、得意のCGを駆使してどのようなスペクタクルを見せてくれるのか。そしてもちろん主演女優のナオミ・ワッツ。はたして一体どんな「絶叫」ぶりをみせるのか。

映画「キングコング」を観にいってきました。次から次へと、息つく間もなく、これでもかと言わんばかりに繰り広げられる「一大活劇」でした。賛否両論はあるようですが、とにかく私にとっては「あっという間の3時間」でした。

それにしてもナオミ・ワッツ、1968年生まれというから今年はもう38歳ですよ。とてもそうはみえませんでした。彼女の演技で印象に残るのは「絶叫」ではなくて、「まなざし」でした。物言わぬコングと彼女が見つめ合い、そして確かに語り合っている、そんな印象を強く受けました。その意味でコングの表情がとても豊かに表現されていることには驚きました。作りは一体どうなってるんだろうかと不思議に思ったほどです。



人知れぬ孤島でキングとして暮らしていたコングが、強欲な人間の手によって都会へ連れ去られ、見世物にされ、怒り狂い、暴れて、殺される。その不条理な運命の中で、小さな、しかし、とても大切な、「守るべきもの」を見つけたコング。そのことこそが、実は、最も不条理なことだったのだ・・・orz
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芭蕉

2006-01-20 | 経済・社会
「おもしろうて やがてかなしき うかいかな」 芭蕉

昨今のホリエモン騒動を見ていると、ふと芭蕉の句が思い浮かびます。

「鵜飼い」ならぬ、ファンドを悪用した資金と株の「迂回」という手法を使った錬金術を駆使していたようです。今後どうなるのか知りませんが、逮捕、拘留という展開にでもなれば、なかなか寝つかれない夜を過ごすことになるのでしょう。

「のみしらみ うまのばりする まくらもと」

六本木ヒルズと兜町の喧騒から離れて、静かに瞑想する時間だけは増えることでしょう。

「しずけさや いわにしみいる せみのこえ」

脳裏に去来するのは、怒りか、はたまた自責の念なのか。思い浮かぶのはお追従者や裏切り者たちの顔か、それとも愛する人や真の友の顔(もしあれば)なのか・・・。事業を拡大し、日本を、そして世界を動かす夢、夢・・・。

「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」

たとえ捕まって有罪になったとしても、アメリカと違って、日本の証取法違反の刑期は比較的短いので、身体さえ元気であれば、まだ若いですから、いずれまたおもしろい話題を提供してくれるつもりかもしれません。さすがにもう興味わかないですけど。

「たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる」
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目の色が変わった

2006-01-08 | うちの猫
昨年の10月に我が家へやってきた子猫の「すず」。今ではすーちゃんと呼ばれて狼藉の限りを尽くしながら元気に育っています。

ところで、すずがうちにやってきた頃(推定生後3週間くらい)と、今を比べると一つ、大きな違いがあります。体重は2倍以上になったし、体つきも丸々としてハリネズミみたいだったのが、ずい分細長くなって猫らしくなってきました。しかし、一番大きな違いは、目の色です。

これは一体どういうことなんでしょうか?猫というのは成長とともに目の色が変わるものなんでしょうか?

とにかく見てください↓これはすずが我が家に来た頃の写真です。

灰色がかった青色の瞳がとても愛らしいです。「お願い、野良には戻さないで、いい子にしますからこの家に住まわせて」と言ってます。


ところが日が経つにつれて、この瞳の色が変化してきました。今ではこんな感じです↓。

どこにでもいる普通の猫の目の色です。顔つきも精悍になってそのやんちゃぶりが伝わってきます。「あの2匹の姐さん猫がウザイ。カリカリじゃない餌が欲しい。何か文句あっか!」と言ってます。

同じ猫とは思えません!

何かだまされたというか、してやられたという気がしないでもありません。ところで、こういう風に子猫の頃に目の色が変わる、というのは何が原因なんでしょうか?一般的なことなのか、珍しいことなのか、それも気になります。あの灰青色の瞳はもう戻ってこないのでしょうか・・・。
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30分で別世界

2006-01-05 | 未分類
いつもは温暖な当地も、昨年末の寒波ではぐっと冷え込み、今年の冬は大変だと心配でした。しかし、年が明けるといつも通りの穏やかな天気の正月でした。

そんな我が家から車で高速に乗って30分、九重(ここのえ)インターで降りると、こうでした。


高速を降りて「四季彩ロード」を30分ほど走ると、目的地の湯坪温泉に到着です。細い道路の両側に旅館と民宿が数件づつ並ぶだけのひなびた温泉場です。

何年か前に一度泊まりに来た事があるのですが、とても気に入ったので再訪することにしました。「懐古乃宿 萬作屋」です。

前回来たときと比べて料金は若干値上がりしておりましたが、それにしてもここの費用対効果は特筆すべきものと感じ入ります。特別豪華というわけではないですが、自家製の胡麻豆腐とか、風呂吹き大根に豆乳プリン、馬刺しに落ちアユ等々、14品!の夕食が楽しいです。

そしてもちろん、お風呂。今回は「バラ風呂」を堪能させていただきしました。


さ、明日から仕事、仕事。。。
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餅つきあなどるべからず

2006-01-03 | 食べ物
去年の暮れは餅つきに挑戦しました。

バスケの仲間が「餅つきやろう!」と突然言い出して、家族も含めて総勢20人ほど我が家の庭に集まりました。

臼、杵、もち米10キロ、あんこ、よもぎを持ち寄り、蒸し器は新に購入しました。庭にレンガでかまどをこしらえて、薪をくべる。女性軍はもち粉をたっぷりテーブルに撒いて準備万端ととのいました。

ところがいくら薪を燃やしてももち米が蒸しあがらないのです。

まてど暮らせど出来上がりません。試食してみるといつまでも芯が残っている。これではいかんと水をかけると、べちゃべちゃになってしまう。火力に問題はないし、蒸気もがんがん上がっているけれど、どうしてももち米がちゃんと蒸せない。あーでもない、こーでもない、と皆勝手なことを言いますが、餅を「ついたことある」という者や「丸めたことある」という奥さんは何人も居るものの、「もち米を蒸したことある」という人は居なかったのです。

昼前から始めて試行錯誤の繰り返し、へとへとに疲れて、兎にも角にも全部終了したのが5時過ぎでした。



出来上がった餅は餅とは呼べない代物であったことは言うまでもありません。ただ、これは餅のはずだという先入観を捨てて、全く別の和菓子だと思えばそれはそれで結構美味しいものであったということは事実です。ちょっと焦げ目がつくくらいに焼いて、ほお張ると、硬い表面は香ばしくパリパリとおせんべいのようだし、内側の柔らかい部分には芯が残っていて、絶妙のアルデンテです。あんことよもぎはプロのお店からわけていただいたものなので、「お餅」と思わなければこれはこれで全然美味しいわけです(やせ我慢ではありません)。

餅つきあなどるべからず。次回こそはきちんと「餅らしい餅」をつきたいと一同決意も新に家路についたのでした。
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年男だー!

2006-01-02 | ネコ的思索
新年明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いいたします。

今年は戌年。私は年男です。暮れの忘年会から、「来年は年男だー!」と多くの友人とともに、能天気に気勢を上げて新年になだれ込みました。そんな節目の新年正月に遊びにきた友人が、とんでもないことをぬかしやがったのです。

私「おー、よう来たのー。俺もお前も今年は年男やけん、いいことあるぞー!」
彼「そらそうやけど、あと一回りすれば還暦っちゅうことやろ。俺は別に嬉しくもなんともねーけど」
私「・・・」

私は愕然としました。ショックで言葉がでませんでした。

①そんな計算わざわざする?
②そらそーかも知れないけど、こちらが盛り上がってる時にそんなこと言わなくてもいでしょ。
③どうしてそういうこと思いつくわけ?

まったく思いも寄らぬ彼の一言にお屠蘇気分も吹っ飛び、超高齢化社会の中で、あと一回りで還暦を迎えようとしている自分の立ち位置にふっと思いをめぐらせて、軽いめまいを覚えました。

彼とは小学校1年生の時からの付き合いなので、こういうことを、こういう風にさらっと言う男だというのは重々承知なのですが、今回のこの一発はかなり効きました。

ちなみに彼は、出るとこに出れば泣く子も黙る、バリバリの公認会計士です。
彼自身は多くを語りませんが、彼に引導を渡された会社経営者は少なくないと仄聞しております。

ま、よく考えてみれば、還暦は還暦で大いに目出度いわけだから、その時はその時で、みんなして盛大に祝えばいいのですよね。さっそく気を取り直して、再び気勢をあげるやぶ猫を、彼は何か哀れむようなまなざしで静かにみつめるのでした。。。




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