猫のやぶにらみ

こよなく猫にあこがれる中年オヤジのブログです

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押尾コータロー

2007-03-19 | 音楽
カラオケとギター演奏を趣味とする友人にすすめられて、押尾コータローのCDを買った。

生ギター一本とは信じられないような華麗なテクニックで、豊かでシャープな演奏を聴かせてくれる。

「浪速が産んだ世紀の天才ギタリスト」ということで、すでに相当有名な方らしいのだが、例によって、私はまったく知らなかった。こんな素晴らしいギタリストのことを教えてくれた友人に心から感謝している。

最近私は、オーディオ趣味が嵩じてきており、「曲」を聴くというより、「音」を聴いて楽しむという傾向が強くなりつつある。

どういうことかというと、例えば、私の大好きな井上陽水。「夢の中へ」や、「帰れない二人」などの名曲がやはり最高だ。しかし、家ではまったく聴かない。家でCDを聴くときは「永遠のシュール」という、大したヒット曲など収められていないCDをよく聴いている。というのも、このCDはとても「音」がいいので、聴いていて大変心地よいからだ。

こういう聴き方をしだすと、ちょっとやっかいなことがおこる。発作的に、「力強く、シャープで、しかも繊細なアコギの音が聴きたい!」とか、「壮麗なパイプオルガンの音を大迫力で聴きたい」などと思ったりし始めるのだ。

我が家のCDラックには、奥さんがピアノ弾きという影響から、クラシックのピアノ曲が圧倒的に多い。そうすると、作曲者や演奏家による好みもさることながら、そのCDの録音状態や、使用ピアノの方に関心が向くようになってきた。

ある時、どうもこの音色は演奏者の弾き方だけの違いとは思えない、という音に出くわして、それがベーゼンドルファーの音だったということを突き止めたときは、我ながら、「うむ、わしの耳もかなり良くなってきたわい」と自画自賛したものだ。

さて、押尾コータローだ、私が買ったのはデビューアルバムの「Starting Point」と、「Dramatic」の二枚。

普通ならとりあえずデビューアルバムだけ買って様子を見るところだが、私の友人が一生懸命練習して聴かせてくれた「太陽のダンス」という曲が「Dramatic」の方に入っていたので、こちらも合わせて購入した。結果は、大正解! 二枚とも素晴らしいCDです。感動しました。

しかし、一つ頭にきたことがある。この二枚のCDともに、CCCDというロゴ付なのだ。何のことだか知らずに、注意書きを見てみると、なんと、このCD、パソコンに取り込むことは不可、ということらしい。CCCDとは、コピーコントロールCDの略なんだそうだ。要するに不法コピーを禁じるために、パソコン取込を出来なくする処理が施されたCDというのだ。

ということはiPodで聴くことができないということ!!

私は、まあ、iPod持ってないので、別にいいけど、息子と娘が相当がっかりしてます。iPodのヘッドフォン、ちょっといいやつに取り替えて携帯音楽ライフを満喫している彼らの落胆振りはよく理解できます。

あまりにセコいぞ、東芝EMI!!





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宮城まりこさんの文体

2007-03-07 | 経済・社会
日経新聞の人気連載「私の履歴書」を執筆中の宮城まりこさんの文章が、素晴らしい。

企業経営者や学者、政治家、芸術家等々、各界で功なり名を遂げた有名人が自ら筆をとって、その半生を振り返る「私の履歴書」は私も長く愛読している。中には退屈極まりない連載もあるけれど、現在進行中の宮城まりこさんの「私の履歴書」は出色である。

私は宮城まりこさんのことはほとんど何も知らない。「ねむの木学園」園長という肩書きで書いておられるが、それがどういう「学園」なのかということも知らない。

そんな宮城さんの連載に目を奪われたのは、その文章が、というより、その文体が素晴らしいと感じたからだ。

文体とは何か、と言われても明快な答を持ち合わせている訳ではない。しかし、いろんな書き手の書いたものを読んでいると、その内容とは別に、書き手に特有の、一貫した「文体」というものがあるように思えてくる。

では、「文体」と内容というものは截然と区別できるのか、というと決してそうではなくて、これは渾然一体、不即不離の関係にあると思う。頭の中に何かしら表現したい内容というものがあって、それを直接取り出して見せるわけにはいかないので、例えば文章というかたちで表現する。

それを読む人が最初に目にするのは、文章であって、内容ではない。あるいは文章というかたちで表現されようとした内容、と言ってもいい。

私を見る人は洋服を着た私を見るのである。素っ裸の私こそが本当の私だとどうして言えよう。私が選ぶ服装には私の何か「内容」にかかわるものが大なり小なり表現されているのに違いない。

文体のことを英語では Style という。宮城まりこさんのスタイルは上品で、気高い。丁寧だがすましていない。優しげだが、決して弱くない。凛とした美しさに満ちた文体である。

日経新聞という、面白くもおかしくも無い経済専門紙の紙面に、このような文章が掲載されるというのは、画期的なことである。毎日、この連載がとても楽しみだ。

・・・ということを奥さんに話して聞かせたら、「宮城まりこね、吉行淳之介と暮らしてたんだから、きっとそれで文章が上手いのよ」と言った。

そうなんですか、それは全然知りませんでした。しかし、そんなこと関係ないと思いますね。夫が野球選手だったら奥さんまで野球が上手になりますか?逆の場合もありますよ。うちの奥さんはピアノの先生だけど、私は全然、弾けないし。。。

ということで、宮城まりこさんのあの素晴らしい文体は、彼女の素晴らしい人格の発露によるものであると、私は信じて疑いません。もちろん、その人格形成において吉行淳之介氏が何らかの影響を及ぼした可能性は否定できませんが、そのあたり、この連載でどのように扱われるのか、ますます楽しみになってきました。
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