猫のやぶにらみ

こよなく猫にあこがれる中年オヤジのブログです

「千住家にストラディヴァリウスが来た日」

2005-12-11 | 読書
日本を代表するバイオリニストの一人、千住真理子さんが所有しているバイオリンは、あのストラディバリウスの中でも「デュランティ」と呼ばれる、名器中の名器だそうです。

アントニオ・ストラディバリの手により1716年に製作されて、「249代ローマ教皇クレメンス14世に捧げられ、教皇逝去後は、その側近~フランス貴族~スイスの大富豪のもとを渡り歩き、約300年間、誰にも弾かれることなく、眠り続けていた」というこのバイオリン。所有者であったスイスの富豪の名をとって「デュランティ」と呼ばれる。

数年前にそのスイスの富豪が亡くなって、その遺言により、新たな所有者探しが始まった。その「幻の名器」が千住真理子の手に渡るまでの、運命的経緯を、千住真理子の母が綴った本が「千住家にストラディヴァリウスが来た日」だ。

千住真理子の母は、大学教授の妻であり、日本画家の長男と、作曲家の次男、そしてバイオリニストの末娘をもつ女性である。夫はすでに亡くなったが、それでも何不自由なく、つつましやかに、子供たちのそれぞれの活躍を楽しみに、暮らしている。

そんなある日、博物館級の名器で、オークションにかければ恐らく天文学的な値段が付くことは疑いないストラディバリウスの一件が、伝えられる。娘から初めてその話を聞いたとき、母は思う。

「一瞬、胸が騒いだが・・・しかし、富豪でもなんでもない我が家は、昔から大金にはまったく縁がない。私ごときがしゃしゃり出る資格はない。だめだめ、冷静に頭を冷やしてかからなければ、と自分にいい聞かせる。やはり、この話自体が、幻なのだ」

その後、運命的な、しかし必然的でもあっただろう経緯を経て、実際にこの一本のバイオリンが千住真理子の手に渡るのだが、母が本書のタイトルにそう書いたように、これは「千住家」の、つまり母、兄妹そして今は亡き父、さらには祖父母・・・まさに千住家のDNAが総動員されて、そのようにしからしめた結果としか思えない。

ストラディバリウスのバイオリンは、楽器自身がその所有者を選ぶという。そしてその所有者の運命に大きな影響を及ぼして、次なる所有者を求め、その手を離れて行くと。

300年間の時空を超えて、このバイオリンは、はるか極東の島国に伝わる千住家のDNAに共鳴し、自ら千住真理子の腕に抱かれることを望んだかのようだ。そして、それに応えるように、千住家のDNAは、この名器を奏で続ける運命を真理子に背負わせる道(それは決して生易しいものではない)を選んだのである。


グールドと「草枕」

2005-07-05 | 読書
先月、貴乃花騒動に関連して一筆書いたが、その中で夏目漱石の「草枕」を引用した。

「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される・・・」というアレである。その10日ほど後に、ミュージック・バトンなるものを渡されて、自分のお好みベスト5を選んだが、その一つとして「グールドならなんでも」と書いた

まさか、そのグールドの愛読書が「草枕」であったとは全然知らなかった。日本のグールドファンには周知のことであったらしいが、まことに不覚であった。

早速、その間の事情を詳しく追った「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールドという本をゲットして読んでみた。すると、いきなりこう書いてある。

「生前、めったに他人を招き入れることのなかった(グールドの)トロントの自宅のベッドのそばからは二冊の本が見つかった。彼には千五百冊の蔵書があったが、この二冊だけは手元においていた。両親から贈られて何度も読み返してぼろぼろになった聖書とともにあったのは、書き込みをした夏目漱石の『草枕』だった。」

グールドは亡くなる15年前、35歳の時に「草枕」と出会い、以後、一貫してそれは愛読書であり続けたという。グールドは英訳本を二冊と、なぜか日本語版を二冊、合計4冊の「草枕」を所有していたそうだ。その上、カナダのラジオ番組に出演して「草枕」の第一章を自ら朗読して放送したというからその入れ込みようはただごとではない。

厭世的で「世間」との折り合いのつけ方に苦労した二人の芸術家。漱石の方は途中で(こころならずも?)少し日和ったような感じがしないでもないが、グールドはひたむきだった。それだけにグールドの方が幸せだったと言えるかも知れないし、あるいは、そうでないかも知れない。

生涯独身だったグールドは自分の死後、その全財産を「救世軍」と「トロント動物愛護協会」に贈るという遺言を弁護士に託していた。

グールドは人間嫌いだったかもしれないが、どうやら動物は嫌いではなかったようだ。猫を飼っていたことがないのかどうか、是非、知りたいものだ。

<参考>
Wikipedia「グレン・グールド」
松岡正剛「千夜千冊」


のだめカンタービレ

2005-06-17 | 読書
クラシック音楽と私の最初の出会いはバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」である。映画「海底2万マイル」の中でノーチラス号のネモ船長がパイプオルガンで演奏していたアレである。小学生の頃のことだが、大王イカとの戦いのシーンとともに、強烈な印象を受けたことを憶えている。

だからといってそれからクラシック好きになったわけでは、もちろんない。田舎の悪ガキにそんなものは縁がなかった。

少しはクラシックに興味を持つようになったのは、学生時代に知り合った彼女がたまたま音大でピアノをやっていて、そのまま奥さんになったからだ。そういうきっかけでも無ければ一生縁のない世界だったかなという気がしないでもない。どうもクラシックというのはとっつきにくいのが最大の難点だ。

こうしたやむを得ぬ事情で少しはクラシック音楽に興味があるので、「のだめカンタービレ」という少女漫画を読んでみた。こちらのブログで紹介されていて、たいへん面白そうだったからだ。

まったく「スラムダンク」みたいに愉快なマンガだった。クラシック音楽はとっつきにくいと思って喰わず嫌いな人には是非このマンガをお薦めしたい。ぐっと身近に感じられてとても楽しい。読後、さっそくクラシックのCDやコンサートチケットを買いに走る人もかなりいるのではないだろうか。

ところで、舞台になっている音楽大学だが、うちの奥さんが通ってたところをモデルにしているような気がしてしょうがない。それとも音大というのはどこも似たりよったりなのか?

このマンガ、現在も大人気連載中ということだが、もっともっとヒットしてクラシックピアノを習いたいという人が増えることを期待しております。作者の二ノ宮 知子さん、頑張れー!

Ε ε

2005-05-21 | 読書
このキャラクターは一体、何者かご存知だろうか?

手塚治虫の「鉄腕アトム」の中で、一番の傑作、「地上最大のロボットの巻」に出てくる「エプシロン」だ。

世界最強のロボットとして作られた「プルートウ」が、アトムなど世界各国で一番強いと言われる7人のロボットと戦い、次々と破壊していくという物語だ。圧倒的な強さで5番目までのロボットとの戦いに勝ったプルートウの、6番目のターゲットがこの「エプシロン」なのだ。

このエプシロンのキャラが他のロボットたちとまるで違っている。エプシロンはオーストラリアのロボットだが、その職業は「保育士」であり、職場は「州立保育園」だ。この物語の初出は昭和39年ということを考えて欲しい。男の子たちにとってロボットといえば、怪獣と同じで「強く、勇ましい」のが通り相場だ。それなのに悪役プルートウの第六番目の相手(最後は勿論アトム)として立ちはだかる重要な役回りのロボットが、心優しくハンサムな「保育士」ロボットなのだ。

しかもこのエプシロンは「光子エネルギー」つまり「光」という無尽蔵のエネルギーを糧にして動くユニークなロボットだ。これはアトムなど当時(!)最先端のロボットが原子力エネルギーだったことと考え合わせると実に意味深長ではないか。

この物語の初出当時、家の隣が本屋さんという素晴らしい環境に恵まれ、「少年」と「少年画報」は毎号欠かさず購入してもらっていた。そういうこともあってか、週刊の「サンデー」「キング」「マガジン」は全部立ち読み御免であった(後にジャンプとチャンピオンが加わる!)。

先述の感想は、もちろん最近再読しての感想であって、当時のものではない。しかし、長じてもなお、このエプシロンのことが最も印象に残るロボットであり続けたことは事実だ。

うちの次男坊に「トビオ」と命名しようとした時は、各方面からの猛反対にあい実現しなかった。女の子が生まれたらエプシロンにちなんだ、ある名前にすると決めていたが、最後に女の子が生まれて、これは実現した。

鉄腕アトム (13)

その娘が自分の名前の由来を尋ねてきたので、この本を取り寄せて読ませてやった。まあ、まんざらでもないような顔をしていた。


チェシャ猫はなぜ消える?

2005-05-06 | 読書
「不思議の国のアリス」に出てくるチェシャ猫には二つの大きな特徴がある。

①ニヤニヤ笑っている
②突然姿を消したり現れたりする

このうち、①の方の解説はよく目にするが、②の方については、キャロルは一体どうしてこんな荒唐無稽な特技!?を思いついたのか不思議に思っていた。

まず①の方について。
当時のイギリスにはもともと「チェシャ猫みたいにニヤニヤ笑う」という成句があったそうで「アリス」に出てくるチェシャ猫も「耳から耳までとどくくらい」大きな口でニヤニヤしている。
作者のルイス・キャロルの出身地はイギリスのチェシャ州なので、キャロルにとって猫が「ニヤニヤ笑う」のは当たり前のことだったのかもしれないし、英国人にとっては少なくとも「チェシャ州の猫」がニヤニヤ笑うということについては、何も不思議ではなかったのかもしれない。

一方、突然、姿を現したり、消えたりするという特技の方はキャロル独自の発案のようだ。こんな突拍子もないことを、キャロルは一体何にヒントを得て考え出したのか。それを教えてくれるのが「チェシャ猫はどこへ行ったか―ルイス・キャロルの写真術」という本だ。

ルイス・キャロルの本職は数学の先生だが、大変熱心なアマチュア・カメラマンとしてもよく知られていたそうだ。この本では、そんなキャロルのカメラ趣味が「不思議の国のアリス」や「鏡の国のアリス」に及ぼした影響を丹念に考察している。

日本でいえば明治維新前後の頃、当時、最新テクノロジーの一つであった写真技術の黎明期に、ルイス・キャロルは自分のスタジオまで作ってしまうほどの写真オタクだったのだ。



暗室の中で「現像液に浸したガラス板の上に『像』がぽーっと浮かび上がってきてくれればよし」「しかし、いつもそうして『像』が現れるとはかぎらない。現れるはずの『像』が現れずに消えてしまった!ということだって、再三起こっていたはずだ。そんなとき、ガラス板の上には失敗をあざ笑うが如きニヤニヤ笑いだけが残されたような、そんな気分に(キャロルは)陥ったのではあるまいか。(チェシャ猫とは)なんとも写真術的な猫であった」と著者は書いている。

ところで、キャロルは少女の写真を撮影するのが趣味だったので、ロリコンだったかどうか?という議論がある

本書はそのような議論に立ち入ってはいないが、キャロルが撮影した写真は多数掲載されている。その中の、本書の最後に掲載された一枚の写真を見ると、「あちゃ、これはいかん」と思った。もちろん、彼の文学作品の価値がこれによって影響を受けるわけではないとは思う。ただ、もし、コイツがカメラを持って、自分の娘に近づいてきたら、私ならぶん殴る。。。


「ハーバードからの贈り物」

2005-03-12 | 読書
先入観と偏見というのは抜きがたいものだ。この本を読んで改めて思い知った。ハーバード・ビジネス・スクールの教授たちがMBAコースの学生たちに向けて、その最終講義で贈るはなむけのメッセージを収録した本、「ハーバードからの贈り物」を読んで、自分の先入観と偏見の強さを反省した。

タイトルや能書きをみると、実に鼻持ちならない本だという気がするではないか。今回そうであったように、信頼できる人による書評をたまたま目にすることがなければ、私の先入観と偏見は通常、このような類の本を手にとらせることはないと断言できる。良い意味で見事に予想を裏切る良書であったのだ。

ハーバード・ビジネス・スクールの教授といえば、彼(彼女)ら自身がすでにその学問分野での、押しも押されもせぬ成功者である。その成功者が、ビジネスの世界でこれから大きな成功を勝ち取るための能力と意欲に満ち溢れた20代後半の学生たちに、門出を前にして、どのようなお話しを語り聞かせるというのか。

大企業の経営幹部や起業家として、ビジネスの世界で成功することを目指す、多くのエリート学生を長年教えてきた教授たちは、その教え子たちのその後の人生行路を注意深く見守っててきたことは疑いない。もちろんすべての卒業生が大きな成功を手にした訳ではないだろう。目もくらむような成功を収めた者もあれば、挫折した者もあっただろう。

本書に収録された15人の教授による15のメッセージは、それぞれの教授自身の体験に基づいた独立したメッセージだが、共通したところもあるように思う。いずれの教授も、通常の講義では成功のためのツールとして、自分の専門領域における知識を、思う存分学生たちに叩き込んだのだろう。しかし、これらは必要条件の一つに過ぎず、決して十分条件ではない、ということを最後に伝えたかったのだと思う。

「他人への思いやり」とか、「感謝の心」とか、そんな誰もが一度は「親」にお説教されたことがあるような(従って、『ウッセーな』と大抵聞き流してしまったような)教えが、ハーバード・ビジネス・スクール流に(先入観を持たないで下さい)語りかけられてくるのである。

私は本書の中の一人の教授の話に特に感銘を受けたので、うちの奥さんと娘に読み聞かせてやった。奥さんは涙した。娘は、もちろん、ものすごく迷惑そうな顔をしていたが、私は後悔していないのである。。。

「100万回生きたねこ」

2005-02-28 | 読書
昭和52年というと今から28年も前のことですが、あの有名な絵本「100万回生きたねこ」が出版された年です。私が読んだのはそれより何年か後のことでしたけど、もうすっかり中身は忘れていました。たまたま先週、行きつけのガソリンスタンドに、古くなったその絵本が置いてあるのを発見したので、久しぶりに読み直してみました。

やっぱりこの絵本は「お子様向け」の絵本じゃないですね。ちょっとびっくりしてしまいました。当時から確かに、「大人向け」という評判はあったように記憶しますが、この年になって読み直してみて、初めて分かりました。これは絶対「大人向けの絵本」だ!

どんなに優しい飼い主に飼われていても、主人公の「とらねこ」は決して幸せではありませんでした。だれのねこでもない、のらねこになった時初めて、「とらねこ」は自分のねこになったのです。自分のことが大好きな「とらねこ」はのらねこになって、恋をして幸せにくらします。そしてその幸せが失われたとき、初めて「とらねこ」は泣くのです。

本当の自分ではない人生を、たとえ100万回生きたとしても、たった1回の、本物の自分の人生にはかなわない。100万回の、幸せでもなければ悲しくもない人生よりは、たった1回の、幸せで、そして悲しい人生の方がよほど生きるに値するじゃないか・・・。

優しいお母さんたち、この絵本はお子さんにではなく、仕事に疲れたお父さんに読み聞かせてあげて下さい。

「イタリア魅惑のビーチ」出版記念ライブ

2005-02-09 | 読書
天下の自由人、机直人(つくえ・なおと)さんが開く、楽しそうなイベントのご案内です。

机直人初著作「イタリア魅惑のビーチ」出版記念

::::::::::ムジカ・メディテラーニオ Musica Medditerraneo 地中海の輝きと調べ:::::::::::

3月18日(金)19時30分開場、20時開宴、22時まで
於 表参道アニヴェルセル(港区北青山3-5-30 Tel 03-3478-5488)
150席限定。お祝い券(着席可能。記念品付)1万円、参加券(立食立ち見)5千円

■ 演目と出演者

フラメンコ: Tera アンダルシアの熱情と妖艶

アフリカ太鼓: Pelos マリ発人力グルーヴ三人組のとどろき

ベリーダンス: Kanari エスニック文化のメッカNYより

能楽: 梅若晋矢   能楽界次世代の旗手

■スライド・ショー&トークおよび冒頭番外仕舞:机直人

■地中海料理ビュフェ式プレミアム・メニュー:アニヴェルセル・フレンチ・シェフ

地球が発する快い波動を求めて<写真家>へと転身した机直人。まずイタリアのディープ・サウスでは地中海の輝きと歴史、そして離島のライフスタイルに魅せられる。吸い込まれるような海辺の絶景が見る者の全身に波動を送り込む瞬間=モーメントを写真と紀行文で収めた初の著書『イタリア魅惑のビーチ』(東京書籍刊)の出版を記念する4カ国饗宴ライヴ・パーティを開催します。♪☆♯

「写真家に転身してからの7年間、本能と感性の赴くままに彷徨した、イタリア、ギリシア、トルコ、スペイン…。その土地で僕が出会ったのは絶景だけでなく心を揺さぶる音楽そして熱くも典雅な舞踊でした。そして帰国後、日本には世界に誇る舞台芸術<能>があることを発見します。その感動の一端を日本の皆様へ伝えたい。」by 机 直人

「ノラネコの研究」伊澤雅子著

2005-02-04 | 読書
「ノラネコの研究」、という本を紹介していただいたので、早速読んでみました。「小学中級むき」という断り書きのある絵本です。手に取った瞬間、一気に親近感が湧いてきました。表紙の真ん中に見慣れたにゃんこのアップが描いてある。そう、主人公の「ナオスケ」はうちの○○ちゃんとまったく同じ、白黒の「はちわれ」にゃんこです!!

著者の伊澤雅子さんは琉球大学の先生で動物行動学者だそうです。その伊澤先生がただひたすら一日24時間ぶっつづけで「ナオスケ」の後を追う。なんのへんてつもない、町のノラネコ「ナオスケ」。その一日の行動の観察記録を軽妙な筆致と、明るい絵で紹介した絵本です。

しかし、文字通り24時間ノラネコの後を追う伊澤先生って、相当変わってますね。相手はノラネコですよ。時々見失うこともあるし・・・。大体ネコってよく寝ますよね。この日、「ナオスケ」は24時間のうち、18時間寝ていましたその間、伊澤先生、じっと待ってるんですよね、道端にしゃがみこんで。

前に紹介した野澤教授といい勝負ですね。学者って、余技で本を書くにしても、やっぱりこのくらい入れ込むものなんですね。脱帽です。

はちわれの虎はなぜいないのか?

2005-01-29 | 読書
同じネコ科なのに、ライオンやトラにはなぜ、三毛とか「はちわれ」とか、サバトラなど、色んな毛色をもつものがいないのか? 不思議に思ったことはありませんか? 三毛のライオンはともかく、「はちわれ」のベンガル虎なんて最高にかっこいいと思うので是非見てみたいと思っているのですが・・・。



この疑問に答えてくれたのが、ネコの毛並みという本です。著者の野澤謙、元中京大学教授は「家畜遺伝学者として、大型家畜の起源の問題でも国際的に有名な方だが、無類のネコ好き」なのだそうだ。


同書によると、「野生動物の毛色というものは、彼らが生きている環境の色彩や明暗に対応して、できるだけ目立たないように保護色となっているのが普通である」「ごくまれに色変わり固体が生まれてもそうした固体は生存へのハンディキャップを負うことになり、自然淘汰はこれを集団から除去するように働くから、集団中に多種多様な毛色が共存するというような事態は生まれにくい」とのこと。

つまり、ネコに毛色多型(多様な毛色が発現すること)という現象が見られるのはネコは「野生」ではなく、ヒトと共生することによって、自然淘汰の圧力が緩和された結果だ、というのである。

「飼い主一人一人で毛色への好みが違っていることや、珍しい毛色をもったネコを特に貴重視する人類の性向が、多様な毛色変異を維持する効果」をもつに違いない、というのである。

ふ~む、野生のトラに「はちわれ模様」は生まれそうにないが、ネコについては人類の好みによって、いずれもっと違った毛色が出現してもおかしくないような説明だな。。。

とにかくこの野澤先生、本業のかたわら、ネコの毛色を調べるフィールドリサーチを20年にわたって続けてこられたというから頭が下がる。目に留まるネコの毛色を専用のノート(野帳)に片っ端から記録していくのである。

「国内外を問わず出張先では用務を済ませた後、あるいはその合間にこの野帳をもって歩き廻る(この場合、市街地図ぐらいは携行した方がよい。収穫の多い日に限って、あちこち歩き廻るうちに自分がどこにいるのか判らなくなり、宿に帰れなくなったり、汽車やバスに乗り遅れてしまうことがあるからである)」「最近は多くの中小都市でレンタサイクルができるので便利である。徒歩よりはるかに能率がよい(レンタカーはいけない。どうしてもわき見運転になるし、ネコが多い狭い路地に入れないからである)

この先生、本当にネコ好きなんですね。。。

伊勢崎賢治氏にみる男の美学

2005-01-11 | 読書
伊勢崎賢治氏の書いた「武装解除 -紛争屋が見た世界」を読んだ。著者は国連やNGOそして政府の一員として、シエラレオネ、東チモールそしてアフガニスタンなどの紛争地域で活躍してきた方である。開発援助事業から武装解除プログラムの実行まで紛争地域の再生に係わる国際援助の最前線で働いてきたのである。ただし、伊勢崎氏は日本の役人コースにのってそうした地域を担当してきたわけではなく、まったく一人の民間人として、個人的力量と興味の赴くまま、振り返ればそのようなキャリアになっていた、という痛快な「実務家」である。そうした経歴を買われて現在は立教大学教授という肩書きも持つ。

国際貢献、ODA、PKO、自衛隊の海外派遣、憲法九条等々のテーマについて興味のある方は是非、本書を一読することをお薦めします。最前線でばりばり働いた「実務家」の経験に基づく貴重な示唆が得られることは間違いない。

とにかく、平和日本では想像もつかないような危険と隣り合わせの地域で活躍してきた同氏だけに、別のコラムでは危機管理についても研ぎ澄まされた感性を持っていることを明らかにしている。彼は危険な地域で死を「覚悟」して仕事をすることは自殺願望に等しいと切り捨てる。必要なことは死を「意識」することであり、対策をとることだ。「殉職」はそれに失敗した恥ずかしい結果であり、それを美化するのは自慰行為だ、というのである。だから、伊勢崎氏は自分の「嫁さん」に、自分が「何らかの理由で死んだ時、メディアにこう言って欲しい」と頼んであるという、「死んで一番恥ずかしいと思っているのは本人ですから、放っておいて下さい」

これはいい。しびれるセリフだ。早速我が家のカミさんに上記をそのまま言い渡したところ「あなたが死んだからって、どうしてテレビや新聞が来るわけ?」「有り得ない!」と言われました。だから、そりゃそーかも知んないけどォー、そういう問題じゃなくて、いざ、という時になって、慌てなくて済む様に、そのときのための「危機管理」、つまり心構えとして・・・。「バカじゃないの」

女には分からん男の美学、というものが確かに存在する。

ネコに関する史上最高の名著

2005-01-03 | 読書
小林まことの「What’s Michael?」という漫画をご存知だろうか?ネコとその飼い主の生態を余すことなく描写した名著で、私の猫的思索の根源となるエッセンスがここに詰まっている。多くの猫好きのバイブルとして知られる傑作だ。

猫を飼ったことのない人や、犬しか飼ったことのない人に是非読んでみて欲しい。サラリーマンのお父さんや、軍人さんなど、「組織」に属して一生懸命働いている皆さんすべてに
読んで欲しい!

みんなが、この漫画を読んで猫好きになれば、きっと今よりは平和で幸せな世の中になると思うよ、GDPは低下するだろうけど。。。