goo blog サービス終了のお知らせ 

当初、奄美のほうか、21日に博多港を出る船に乗って、トカラ列島のほうまで、皆既日食を経験しようとしていた。

しかし、20日に松江(島根)の原発ライブとの日程の兼ね合い上、船には間に合わないと、諦めた。

そこで、日食という「現象のみならず、宇宙的な大きなエネルギーの交錯を体感する」という多分に「精神的な」行為と、先祖の墓参りを同期させることにした。僕のルーツは両親ともに岡山だが、転勤族で海外生まれ、住んだ事は一度もない。だもんで、そういう影響もあって、大人になってからは、随分と足を向けて過ごして来た。

昨日、松江の健太の軽自動車を貸借して、山陰道から米子道に入り、そして岡山道から母親の郷里、総社に入った。
もはや縁故のもので生存しているものも少ない総社の駅前に、唯一ある旅館に宿泊している。
ジーちゃんもバーちゃんも居なくなった総社に来るのは初めてだ。いつもなら、あの家に真っ先に行ったのに。

旅館の部屋でこれを書いている。時刻は9時を過ぎたところだ。
およそ30分後くらいから、日食現象は始まり、10時50分台のピークを挟んで、正午くらいに終わるという。

むろん、完全な「夜」状態のやってくる皆既日食は日本の本島では拝めないが、部分日食はやってくる。
直接目で見ると目を焼くから、箱の小さな穴から投射した太陽や、木漏れ日が映す太陽を観察すると、部分日食が確認できるという。


僕は、その時間帯、特に観察用具をもって過ごすのではなく、その現象が起きている地場における己の「行為」に大事を置いてきた。随分と長寿だった祖父母が亡くなって以来、初めて墓に参る。部分日食のピークに、母の書いた分かりにくい地図をもとに、先祖の眠る裏山に登るつもりだ。

午後から倉敷のほうへ赴き、唯一生存している父方の祖母の入る施設へ、これまたそうなって以来初めて訪れる。認識症が進んでいるというが、会って僕と分かってもらえるだろうか。その後、父の実家の裏の山に在る祖父の墓に参る。僕は永らく親不孝もので、親戚にも足を向けて来た。

日食という「陰と陽の統合」の瞬間に30歳として最後の数日を過ごしている。
価値観と生き方における僕の中のバランスも、とりわけ二週間前のあの美しい満月の夜(月食)から今日に至るまでの日々の中で、日食(新月)を意識することで何かに導かれるように極と極が振幅を増大させてきた。

僕は色んな意味で、人生の転換点を今、正に、歩んでいる気がしてならない。


三宅ブログ | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

« 正しい知識そ... 巨大な陰陽マーク »


 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
Unknown (ウォーキング)
2009-07-22 11:36:50
皆既日食、感動しました。

残念ながら、テレビでの観察になりましたが、
自然の神秘に少しだけ触れた気になりました。

素晴らしいですね。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。