明日書きますとのたもうてから、沖縄でのキナさん応援が急に決まり、そのままツアーやらなにゃらで今日になりました。

初めて「参加」した選挙は、遠巻きながらにも凄い世界だなーと、ブッ飛ばされました。
世の中がどう在るのかが、また少し見えてきました。

直(じか)に見る。
って大事ですね。

そこに真実が見出せないとしても
自分の心は、確実に変化を起こします。

旅する自由。
これは、活かして生きたい。
万歳、平和なニッポン。
こうして口を開いても、秘密警察に拷問されることもない。
はず。。




少し間が空きましたので、補足説明しておきます。

さる7月上旬、ANTA MEDIA2号の取材で原発に揺れる町、山口県上関町の祝島を訪れた僕は
そもそも如何にして原発という厄介な問題に自分が注目するようになったかという意識の変遷をメモることから
取材のまとめを始めたのでした。

この非常に身近な核施設は、その存在の大きさにしては、
何故かそれについて考える機会もそれほどないままに過ごしてきたもので、
むしろ少年時代には、鉄腕アトムなんかとも相まって原子力エネルギーはクリーンで希望的な輝きすら
放って居たものです。

それがどうして、僕の中で「問題意識」の対象となったのでしょう。

ANTA MEDIA2号で、扱いたい問題の原点を探るために、意識の変遷を箇条書きにしていきます。

ツイッター上の呟きで表現したものをブログにまとめていましたが、
ツイート乱発も考えものだと思い、今回からブログのみにします。


祝島行メモ1
祝島行メモ2

その3

12)山梨や山形といった田舎で育ってから、16歳で東京へ出てくると、水や空気の質の悪さに敏感になる。また、自然の循環から切り離された気象現象に対する違和感も、正常に機能する。

13)そういうところへもってきて、アル・ゴア元米国副大統領による映画『不都合な真実』は、環境問題と人類のライフスタイルに対していつしか抱くようになって居たイメージと合致した。温暖化CO2原因説懐疑論とか、色々見解は存在していて、どれにも論拠があるが、とりあえず環境問題への意識を公に植え付けた業績は大きい。

14)『不都合な真実』から、化石燃料に依存するライフスタイルへの疑念が強まり、原発の可能性と安全性という部分に考えが行き着き、それは省エネという当然の課題と、循環可能な自然エネルギーもとい、もっと多くのものが循環可能な生活様式に対する知的欲求へとシフトしていくことになる。

15)それにしても、この地震大国日本において原発は安全なのか?安全なのならば何故、東京湾には作れないのか?東京のエネルギー消費量は国内で郡を抜いている。原子力電気の生産だけを地方に押し付けていては公平を欠くのではないか?この当たり前の疑問に明快に答えてくれる映像がある。映画『東京原発』からの抜粋。http://www.youtube.com/watch?v=3gFvgSFumog

16)色々となんだか、殆どの制度やシステムが国民の監視から逃れて滅茶苦茶やってきたっぽいことが解って来たこのクニで、原発の安全神話ってのだけ信じろというほうが難しいハナシで、それならナオサラ微に入り細に入った説明がなされるべきなのだが、工事の遂行という事実ありきでの広報にはまったく情熱が感じられない。

17)決定的だったのは映画『六ヶ所村ラプソディー』。山形に本籍を持つ僕には、東北訛りの人の語ることには一歩深い親近感を抱いてしまう。行政と経済界が、いかにして開発を推し進めてきたのか。札ビラと権力の前に、数百人の地元がどうひねり潰されていったのか。自然をダイナマイトでぶっ放しながら公共事業を行うことが経済のためになる、という古くさい理論の最たる狂気「原子力事業」。そこにあったのは、僕の最も嫌いな「やり方」だった。

18)核の怖さ以前に、そのハナシの進め方が納得いかない。国民的議論を投げかけても居らず、仮に議論が起きてもそれを集約する気もなく、「建てる」事業を推し進めるという結論だけが前提となっている電力会社と経済産業省の仕事の進め方には、「国民」という立場が無視されがちである。

19)既成事実を作成するために行われるのは、資金にモノを云わせた「県民の理解を得る」という名の洗脳である。着々と地元の政治界にも働きかけて、「合法的に」資金をばらまく。そもそも選挙制度自体、誰の思いついたアイデアやら、という話である。かくして推進派の町長やら議員やらが擁立されていき、過半数を超えた時点で「寄り切り」体制ができ上がる。

20)昨年9月頃、日本で最後の新規現場と云われる、55箇所目の上関原発工事は、地元の漁民の根強い反対に遭って27年間係争が続いているという話を聞く。ネットで調べてみると、浜辺にブルーシートを敷いて座り込みをするオバちゃん達が100人以上の電力会社作業員や警備員に取り囲まれている写真などが出てきた。記事には「今朝のことです。」と書いてある。

21)おいおい、チベット問題どころじゃないよコレ。もっと身近なところで、まさに同じことが起きているじゃないか!?そーか、結局原発っていう「クリーンエネルギー」も、近代国家にありふれた経済による国土の消耗と「先住民」の暮らしの「近代化」が目的じゃないか。などと憤るものの、今すぐ自分がどうして良いか解らず、とりあえず電気など消してみる。

22)僕とは全く違うベクトルから、しかし同じものに向かって、風車に突撃するドンキホーテのような気もちで、自己を主張してきた人々のドキュメンタリー映画『みつばちの羽音と地球の回転』(六ヶ所村ラプソディの鎌仲監督)で、目下電力会社と国を相手に目一杯闘っている祝島の人々のことを鮮烈に知る。


つづく


三宅ブログ | コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )