というわけで、スクランブル交差点でライブをするという好機に恵まれた。

「民主党は、僕は監視する側ですが
 一人の男として、キナ昌吉を応援に来た。」

と喋り始めて

二曲唄いながらあれこれ喋った。

祝島から昨日帰って来たこと。
原発よりも基地よりも、自然は優先されるべきものだということ。
いまさら、オカネのハナシをしているバヤいではないこと。
その他、もろもろ。
なんてこたない、いつものライブと変わらない。
そして、聴衆のおじさんやおばさん達の顔が輝く。
女子高生が足を止める。
外国人が前のほうに寄って来る。

夕方のスクランブル交差点が、満員のフロアになったあの瞬間。
通りすがらの人々と心を合わせられた、あの刹那。

これがまつりごとだと、思った。

日本のことじゃない。
僕やあなたのことなんだ。

キナさん、よろしくお願いします、じゃない。
あなたがどうしたいのか、なんだ。

「政治に踏み込む」とか大げさなことじゃない。
日常にある、ごく当たり前のことなんだ。
民主主義国家、ってことになってるんなら、
国家も警察も国会も、国民の使い用である。
使われてどうする。


基地のことも、原発のことも。
経済政策も。

多くの市民が当たり前に社会運動すれば、
政治を凌駕する、大きな力になる。



明日は、急遽、キナさん陣営より那覇での打ち上げ演説での応援を頼まれたので、
いってきます。
キナさんは、よく勉強されている。
それ以前に、ミスティックマンだ。
シャーマンであり、チンピラだ。
ルードボーイであり、
あの故ボブ・マーリーが直筆のファンレターを送ったというスターである。

子供にも分かる簡単な言葉で詩的にまつりごとを表現できる、
古代からの司祭タイプだ。
人間として、当然信用に足る。
陰も陽も含めて、始めて信用に足る。

友達だ。
友達として応援する。


すべての武器を楽器に。



戦争産業と、それにつながる金融産業、そこから派生する多くの
「オカネ優先」の論理が生み出す此の世の不条理を
「音楽」のように愉しく、ミナで学び考え、そして在るべきほうへ動いていきたい。


憲法
第一条 愛
第二条 話し合い(喧嘩上等)

以上




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