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祝島行メモ 5)20代を通して僕がライブで世間的には「革命的アジテーション」と呼ばれるところの当たり前のことを叫んでいたところ、島根や山口の原発反対の意見を持つ若者たちがチラホラ犬式ファンに存在して、切実なハナシやそこへ関心の高まって行く彼らを垣間みていくことになる。
6)かつて廣島で味わった鮮烈な原爆の負のイメージと重なって、やはり原発というのは怖いものなんじゃないかという直感があったので、Shing02くんの書いた論文『僕と核』などを読んだり、ちょこちょこネットで原発について調べたり、目に留まることが多くなっていた。
7)zeit geist など観てて分かる単純な世界の構図からいえば、結局原発も、戦争と同じく、大きな資本がお金の論理で推し進めているハナシに過ぎないと思った。そして何より、チェルノブイリ事故の記憶が、31歳の僕にはまだ、かろうじてあった。
8)ロシア副首相が2000年4月に発表したように、86年のチェルノブイリ 原発事故の処理にあたった作業員86万人のうち、実に5万5000人以 上がこれまでに死亡し、残る生存者も87%が発病しているという」 『燃料電池が世界を変える』広瀬隆著・NHK出版
9)僕がサーフィン道の門出を緩やかにくぐらせてもらったのは、御前崎の海だった。波乗りの天国のような美しい海の数多のポイントに囲まれた太平洋にせり出す突端の岬の町には、浜岡原発があった。シャーク、とローカルが呼ぶポイントの3キロ先は温排水の出口で、其処の水は他より生温かった。
10)吉祥寺の常連だった仲間が一人、地元の敦賀に帰って原発の作業員になった。時には日本中の原発に遠征して清掃をしている。犬式を愛してくれる彼と彼の仲間は、僕らを敦賀にブッキングして、呑み屋の重なるビルの上の小さなライブハウスで素晴らしいライブをさせて貰った。
11)シャッター通りと化した、ツアー先で嫌というほど見せつけられる光景がその町にもあり、人々に向かって「原発は要らない」とは簡単に云えない雰囲気が横たわっていた。クウキを濁してまでそれを云う情熱も知識もまだ僕には備わっていなかったし、訴えたい事は他にもたくさんあった。
明日に続く
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