photo : 3hours before open @ nbsa+×÷vol.3 gakuya "ROOM A" 今日さんざ苦労して無線がつながりました。 光です。 ワイヤレスです。 ぴゅんぴゅんです。 でも来月からの請求が怖いです。 父ちゃん、マジ頑張って稼ぐかんな。 風ちゃんを保育園に行かせるには、 少し足りないのだ。 なんで東京の保育園は家賃くらいするのだ!!!! だからぴゅんぴゅんのネット環境で ガンガン仕事するのだ。 ぎんぎんのギターと ぴゅんぴゅんのパソコンで どんどん「意味」を生み出していくのだ。 そしたら風ちゃんもお友達とたくさん遊べるのだ。 母ちゃんも一日に少しは超ド級甘えん嬢×暴れん嬢の君から、 一日ほんの少しは自分の時間を持てるようになるのだ。 nbsa tokyoから何日が経ったのだろうか。 正直、もの凄く出がらしになっていて、 まだ手に力が入らない感じというか。 何も考えないようにしつつ、 結局ずっとnbsaのことを思い出しつつ、 運営者としてあがったりさがったりしつつ、 出演者としてあがったりさがったりしつつ、 何ヶ月もおろそかになっていた新居の整理を行っていました。 毎年そうなんですが、色んなことが重なって一気に終わるのが この秋口のパターンになってまして。 来年はスケジューリングを整えて、適度に突発的な事態が起きるように したいものです。苦手なことから意識していくようにしている今日この頃。 明日はシゲの結婚式があるので、軽井沢に行きます。 nbsaのその後が、今年もガヤついているようですが、 色んな意見を丁寧に寄越してくれるお客さんの、 このイベントに対する思い入れに感謝と当惑です。 つまり、このイベントの在り方そのものが生み出す、 軋轢点のど真ん中が今年は顕わになったからです。 奇麗事は言いませんが、この祭だけは 「全ての人にとって意義があり、楽しめる」ようにしたいので、 出来るだけ多くの改善点をあらわにしつつ、 しかしマイペースに前進していく所存です。 惑いも憂いもきっちり乗り越えて、 ただの「妥協点」じゃない、 nbsaという新しい生き様としての「概念」にすらなるような、 自立したファンタジスタたちの共存姿勢を探るような、 新しい在るべき世界のあり方を問うような、 だからこそグチャ混ぜスピリチュアルなスタイルをとっているのです。 でも、お客さんにもだたの「お客」としてこられても困るというのが本音です。 なんかこう、「特別な」お客さんで来て欲しいです。この日ばかりは。 個人的には、全裸もダイブもありですが、 nbsaは段々と人間社会の縮図のようになってきてまして、 今年はそれがいよいよ顕著な現象としてみられました。 色んな種類の音楽が混在するだけに 色んな種類の感性が集合して、 それがどういう風に空間を共有するかが、 来年のテーマになると思います。 色んな種類の音楽が混在して、 色んな種類の感性が集合して、 劇的にポジティブな空間を生み出してるステージから、 オーディエンスが何を感じられるか。 それが、来年のテーマになると思います。 簡単にいえば、 ダイブした熱血漢の男気を俺は買うが、 その着弾点にいたkeycoファンの女性が怪我をしたのも事実であって、 例えばそういった「やるせなさ」を与え合うのは、 誰の願うことでもなく、 しかし残念ながらそういった事例が幾つか報告されているということです。 「結果的暴力」は、加害者にその気がないぶん余計、 痛い思いをした人がやるせないんだわ。 具体的解決?そんなものはまだ思い浮かびません。 「ダイブ禁止」とか、そういう「禁止イズム」も好みません。 日本の学校や警察や政策じゃあるまいし。 でも今年は犬式を滞りなく演奏させたいという秋実るやQ-ILLが ステージ前列で仁王立ちしてくれてた気持ちは、 後できいて知ったのだが、頼もしかった。 こっちも「ルール作り」なんかしたくないし、 毎度その場の自分の尺度で大切なものを守って行動してるんだよね。 全ては、そこにいる人が自分で判断して考えることだと思いますから。 が、考えます。現実的問題としても。 「野郎のみんな。 女ごの感性ば分からんと、 人生は決してうまくいかないよ。」参照:【自分から自分へ贈る言葉】 太陽の女。男は影。 男女に限らず、さまざまな価値観のせめぎあう場所。 それが作りたかった場所でもあります。 イベントの規模・運営の拡大・洗練。 来場者の増加。 影響力の増大。 そうしたことが予想される今後ですが、 そうしたことをたくさん考えるのもいいのですが、 お客さんに何を伝えたくてやっているのか、という点も 「表現」としてのイベント、 「広まっていくイメージ・概念としてのnbsa」も、 在るがままに、 しかしなんとかもう少し整理をつけていきたいと 思っています。 「タダのイベントじゃないから、終電が無いやらヒールで足が擦れたやら言わないでね」 っていう部分も、お客さんが毎年学んでいってくれる部分でもあると思います。 (いや、終電には間に合うようにしたいと毎年奮闘はしてます。  が、出演者数の増加に伴い今年も難航。  押して御免、は僕は言わない主義。  その後の時間をどう楽しめるかも、夜の力量次第。  nbsaは、結構難易度高いよ。  でも、やっぱり可愛そうな子も出てくるから、  あんましいい加減でもいけないね、  と毎年15%ずつくらいは改善できてるんです。システムが。  来年は、「無理なくできるように」を合言葉に、  空間・時間を拡張する作戦を思い描いています。) インターネットでの様々なコミュニケーションツールを駆使して、 情報をやりとりして、 客席の倫理観を分かち合っていくことや、 出演アーティストに関わる意見を交換しあったり、 それこそが「文化」であり、 そうしたオーディエンスの自発的な盛り上がりが、 全出演者・関係者の最も願うことであります。 どうするのが、nbsaの客としてかっこいいのか、 出演者としてかっこいいのか、 かくかくの意見や感性を様々な議論で忌憚無なく、しかし愛をもってぶつけあい、 そうした生き様を一年間敢行して、 また来年会えるとしたら、 ぐっとすげー高みが待っているとも思います。 究極的には僕は丸太転がして死人が出るくらいじゃないと祭とはいえないと思いますが、 規格品に慣れてる現代人のためにも、ちゃんと考えてるぜ!(笑) でもゆっくりと、皆を野生に引き戻そうと画策しています。 都会人気取ってる大竹重寿首領なぞはもっと「スマート」な方向を向いてますから、 これがよく意見がぶつかるわけです。 でも、決して我々は互いの近似値など出しません。 全員の理想の最大公約数とでもいいますか。 nbsa+×÷は、そこを目指しています。 その過程・プロセスである364日こそが答えで、 1日の祭りは祭りなんです。 これからこのイベントがどう進んでいくのか。 それは「劇場型」でお見せしながらやっていこうと思ってますから、 まあそれもマイペースに、 ただし一生続くんで、 気長に、 よろしゅうです。 関わった全てに、感謝。 これからこのイベントが「何であるのか」を、 もう一度自分たちに問いかけて、 新しい方向へ進もうと思います。 そしてその答えは、 早くも来月の大阪にて 出始めることになります。 11・18 なんばハッチ。 nbsa+×÷osaka vol.1。 を楽しみに!


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