沖縄の問題について、世論が形成されていない日本では、
マスコミの情報の真偽ばかりが取り沙汰されて、
主体である国民は実際のところ自分の意見を持っていない人が多いと思う。
流れて来た情報に触れた時に、リアクションしているのみだ。
実は、その直感的なリアクションにも大切な要素があって
それが現代社会では軽視されがちなのだが、
ただ、それだけだと狂騒的な集団心理に落ち入りやすい。
やっぱり、自分で調べて、考えた意見を、人と交わって成長させていかないとならない。
警察も法律も国会も、使い方次第。
主権者は国民であり、忘れがちだがそれは私自身、あなた自身なのである。
「~内閣府参与となった湯浅誠氏は雑誌「世界」6月号で社会運動と政権の関係に言及し、妥協の産物としての政策を「政府の判断」としか見なければ、人々は裏切られた感覚を持つであろう、と書いた。(略)
しかしそれは政府の主体性の過大評価であり、社会運動の弱さの反映である、と続ける。
そして複雑で困難で厄介な方法であっても、政党からの自律性をもった社会運動が不可欠だ、という~」
下記の記事、「社会運動」という使い古された言葉が改めて印象に残った。
で、俺たちがライブやイベントでやっていることって、既にもの凄いエネルギーを発した立派な社会運動だと思った。
オーガニックなライフスタイルへの探求や、消費する電力の発生源への意識、食生活を通じた根本的医療の知識、子供を尊重した空間作り、など、
これからの社会を心身のバランスのとれた暮らしやすいものにする試みが溢れている。
お金よりも貴いものが、たくさん集って、そして交換されて交感している。
そこら界隈を彩る音楽や踊りや絵や写真や文章表現、ひきこもごもが、知的に開かれた感性を象徴していけたら良いな。
「沖縄問題において、日本人の声ってのは、俺んちに聞きにこない世論調査と、参議院選挙の一票でしか顕わせないのか?デモとか、集会やって実際に何万人が集っちゃう。USTでそれをさらに何万人が観てる。しかもライブが最高。っていう状況を作れば海外メディアも注目するよね。」
http://twitter.com/MIYAKE_YOHEI
とりあえず下の記事、面白いからご一読あれ。
(沖縄タイムス、琉球新報6/11『現論』)
沖縄・安保・戦後を問う
(社会運動の立て直し必要)
鳩山由紀夫前首相による米軍普天間飛行場の移設問題の結論、そして退陣を見て、私は不思議な感覚にとらわれた。「もはや戦後ではない」と言われる時代に育ったはずなのに、いまだ戦後の米軍占領下の真っただ中にいるような気がしたのだ。
沖縄本島に暮らす人たちは毎日、終わりのない戦中戦後の中でこの65年間を生きてきたに違いない。私はタイムマシンで過去に戻されたわけでなく、「もはや戦後ではない」という高度経済成長時代が幻だったのではないか、と思った。その証拠に、今の日本は借金大国である。
(卑屈と傲慢)
家庭内暴力や弱者に暴力をふるう人間は外の世界でおとしめられ、自らの存在理由を発見できないものが多いとう。
日本人の沖縄への態度は、日本人が長い間米国に従属し、独立心と思想を持ち得なかった結果のような気がしてならない。
民主党でさえ陥っている米国への卑屈さと沖縄への傲慢は何故なのか、私たちは戦後65年目でいよいよ、その根本理由に直面しなければならなくなっている。
1879年、明治政府は軍事力で琉球に侵略し沖縄県とした。琉球は中国の冊封国であり薩摩に年貢を支払ってはいが、他国に支配されることのない独立国だった。
1879年の出来事は、近代国家日本による最初の植民地支配の一つであり、朝鮮半島などの植民地支配がそれに続く。
日本が米英に宣戦布告して間もなく、米国は日本の敗戦を見越して沖縄を含む植民地の分配を計画していたという。結果的に、ポツダム宣言受諾とともに日本は米国の軍事体制に組み込まれ、沖縄返還(これもおかしな言葉だが)後もそれは強化され続けた。
憲法9条は戦力の不保持を明記し、日米安全保障条約の第5条は、日本領域における武力攻撃が「自国の平和及び安全を危うくする」場合に共同して対処する、と書かれている。
しかし今や自衛隊は日本領域どころか、税金を使ってどこへでも出かけて行く。
抑止力には軍事でない抑止力があり、同盟には軍事でない同盟があるはずが、すべて軍事にすりかえる。
法的根拠がないから「思いやり予算」と名付けた軍事目的の在日米軍駐留経費負担は、平均年額約2千億円になる。
選挙による政党政治には限界がある。
内閣府参与となった湯浅誠氏は雑誌「世界」6月号で社会運動と政権の関係に言及し、妥協の産物としての政策を「政府の判断」としか見なければ、人々は裏切られた感覚を持つであろう、と書いた。
そのとおりだ。
裏切られている。
しかしそれは政府の主体性の過大評価であり、社会運動の弱さの反映である、と続ける。
そして複雑で困難で厄介な方法であっても、政党からの自律性をもった社会運動が不可欠だ、という。
(一 揆)
植民地差別のもとに65年間も膠着してしまった基地問題を動かすには、確かに社会運動が必要だ。
人々の安全が脅かされた場合、江戸時代なら一揆が爆発した。( 中略 )
現代人は個がばらばらに生活していて共同体を持たない。そういう時代に社会運動を継続するには何が必要なのか。
これは沖縄だけのことを言っているのではない。基地問題はもはや全国の問題なのだ。
所詮まだ「戦後」であるなら、私たちはいったん1960年まで戻ってみるべきだろう。基地問題の本質は日米安保条約である。
1960年の国会では延長も破棄も解消も議論され、学生たちも真剣に考えた。
「言ったことを守らない」と民主党を責めるばかりで安保については何も議論しない現代とは大違いだ。
継続的な社会運動の立て直しこそ、「戦後」を終結させる突破口なのではないか。
(田中優子・法政大教授)