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デモの最中
(
Unknown
)
2010-06-22 00:45:26
渋谷で仕事中でした。
一瞬、賑やかな声が聞こえて慌てて外に出ました。
ちゃんと届いてましたよ。
からだ以外はあの日代々木公園でした。
Unknown
(
nao
)
2010-06-22 11:08:43
リアル。
次は参加したいです。
ユーモアとセンスあるデモ。
Mi amorcita
(
RNA
)
2010-06-22 12:28:35
お疲れ様でした。
やっぱり愛があるね。三宅さん!
すべてはそこだと いつも心が言っています。
私も YOU GOーーーーーーーーー!!
ありがとう。
革命は遊びでやれ!
(
福井浩(PEACE NOT WAR JAPAN)
)
2010-06-22 19:33:31
代々木公園、本当にありがとうございました。
少なくとも非常に濃い、温かなお客さんと、ネットの後ろのたくさんの人々の存在に勇気づけられました。
僕らのようなある意味政治活動の素人が、ああいった活動の器を作ることで、なんか能天気に面白そうにやってるな~と、ふつうの若い人たちが興味を持って、既成概念にとらわれることなく、輪の中に入ってきてくれることを期待しています。
今までの社会活動の概念から言うとお遊びと笑われるかもしれませんがね。
しかし、あの日曜日の場は、きらきらとしたすごく透明なオーラに包まれていました。
本当にありがとう!
そんなことを考えていたら、気になる転送メールからのメッセージが届いたので、長いですが引用します。
ある意味、今回のお祭りの意義を示唆したような内容で驚きました。
以下
転送メールより
(沖縄タイムス、琉球新報6/11『現論』)
沖縄・安保・戦後を問う
(社会運動の立て直し必要)
鳩山由紀夫前首相による米軍普天間飛行場の移設問題の結論、そして退陣を見て、私は不思議な感覚にとらわれた。「もはや戦後ではない」と言われる時代に育ったはずなのに、いまだ戦後の米軍占領下の真っただ中にいるような気がしたのだ。
沖縄本島に暮らす人たちは毎日、終わりのない戦中戦後の中でこの65年間を生きてきたに違いない。私はタイムマシンで過去に戻されたわけでなく、「もはや戦後ではない」という高度経済成長時代が幻だったのではないか、と思った。その証拠に、今の日本は借金大国である。
(卑屈と傲慢)
家庭内暴力や弱者に暴力をふるう人間は外の世界でおとしめられ、自らの存在理由を発見できないものが多いとう。
日本人の沖縄への態度は、日本人が長い間米国に従属し、独立心と思想を持ち得なかった結果のような気がしてならない。
民主党でさえ陥っている米国への卑屈さと沖縄への傲慢は何故なのか、私たちは戦後65年目でいよいよ、その根本理由に直面しなければならなくなっている。
1879年、明治政府は軍事力で琉球に侵略し沖縄県とした。琉球は中国の冊封国であり薩摩に年貢を支払ってはいが、他国に支配されることのない独立国だった。
1879年の出来事は、近代国家日本による最初の植民地支配の一つであり、朝鮮半島などの植民地支配がそれに続く。
日本が米英に宣戦布告して間もなく、米国は日本の敗戦を見越して沖縄を含む植民地の分配を計画していたという。結果的に、ポツダム宣言受諾とともに日本は米国の軍事体制に組み込まれ、沖縄返還(これもおかしな言葉だが)後もそれは強化され続けた。
憲法9条は戦力の不保持を明記し、日米安全保障条約の第5条は、日本領域における武力攻撃が「自国の平和及び安全を危うくする」場合に共同して対処する、と書かれている。
しかし今や自衛隊は日本領域どころか、税金を使ってどこへでも出かけて行く。
抑止力には軍事でない抑止力があり、同盟には軍事でない同盟があるはずが、すべて軍事にすりかえる。
法的根拠がないから「思いやり予算」と名付けた軍事目的の在日米軍駐留経費負担は、平均年額約2千億円になる。
選挙による政党政治には限界がある。
内閣府参与となった湯浅誠氏は雑誌「世界」6月号で社会運動と政権の関係に言及し、妥協の産物としての政策を「政府の判断」としか見なければ、人々は裏切られた感覚を持つであろう、と書いた。
そのとおりだ。
裏切られている。
しかしそれは政府の主体性の過大評価であり、社会運動の弱さの反映である、と続ける。
そして複雑で困難で厄介な方法であっても、政党からの自律性をもった社会運動が不可欠だ、という。
(一 揆)
植民地差別のもとに65年間も膠着してしまった基地問題を動かすには、確かに社会運動が必要だ。
人々の安全が脅かされた場合、江戸時代なら一揆が爆発した。( 中略 )
現代人は個がばらばらに生活していて共同体を持たない。そういう時代に社会運動を継続するには何が必要なのか。
これは沖縄だけのことを言っているのではない。基地問題はもはや全国の問題なのだ。
所詮まだ「戦後」であるなら、私たちはいったん1960年まで戻ってみるべきだろう。基地問題の本質は日米安保条約である。
1960年の国会では延長も破棄も解消も議論され、学生たちも真剣に考えた。
「言ったことを守らない」と民主党を責めるばかりで安保については何も議論しない現代とは大違いだ。
継続的な社会運動に立て直しこそ、「戦後」を終結させる突破口なのではないか。
(田中優子・法政大教授)
この書簡を送ってくれた佐藤さんは九州のふつうの主婦の方。
しかしそのホームページには、世界のあらゆる矛盾とその裏に潜むシナリオが明らかにされています。
ぜひ訪れてみてください。
驚かされ、行動せずにいられなくなります!
http://anatakara.com/petition/index2.html
はじめまして
(
tetu
)
2010-07-05 17:09:19
仮に原発にミサイルを打ち込まれる可能性があるのであれば、一基でも攻撃を喰らったら壊滅するのであれば、その一発を阻止する為のミサイル防衛システムが必要となってくるのではないでしょうか?
まあ確かに、攻撃の仕方はミサイルだけではありませんし、
もっとも、原発が無いのが一番良いのですけどね。
お久しぶりです。
(
kousuke
)
2010-07-07 23:00:39
原発→ミサイル防衛→憲法改正・・・なんておもしろくない流れなのだろう。
国家のためだから仕方ないって?
面白いって重要だよ、面白い、楽しいって、より良い未来のための肥料だと思う。
もちろん、甲本ヒロトさんの言うように、楽と楽しいは対極の物だけど・・・
冷戦のが終わり、大人達は夢を見なくなった気がする。俺たち大人が、夢を理想を語らなくなったから、小さい子供が、将来の夢は聞かれて、公務員と答えるんじゃないのかな。
もっと、俺たち夢、理想を語っても良いんじゃないのかな?その大人たちの言葉が子供の心に豊かさを与えると思ってます。
安全な馬鹿の時代は終わりだ。
これからは、吉祥寺Guyの時代だ(最後は三宅さんの言葉です、あたかも自分の言葉かのように使っちゃいました。スイマセン。)
最後に、質問です。誰か教えてください。
今の現行の原発を全て撤去したとして、日本のエネルギーはまかなえるのでしょうか?
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一瞬、賑やかな声が聞こえて慌てて外に出ました。
ちゃんと届いてましたよ。
からだ以外はあの日代々木公園でした。
次は参加したいです。
ユーモアとセンスあるデモ。
やっぱり愛があるね。三宅さん!
すべてはそこだと いつも心が言っています。
私も YOU GOーーーーーーーーー!!
ありがとう。
少なくとも非常に濃い、温かなお客さんと、ネットの後ろのたくさんの人々の存在に勇気づけられました。
僕らのようなある意味政治活動の素人が、ああいった活動の器を作ることで、なんか能天気に面白そうにやってるな~と、ふつうの若い人たちが興味を持って、既成概念にとらわれることなく、輪の中に入ってきてくれることを期待しています。
今までの社会活動の概念から言うとお遊びと笑われるかもしれませんがね。
しかし、あの日曜日の場は、きらきらとしたすごく透明なオーラに包まれていました。
本当にありがとう!
そんなことを考えていたら、気になる転送メールからのメッセージが届いたので、長いですが引用します。
ある意味、今回のお祭りの意義を示唆したような内容で驚きました。
以下
転送メールより
(沖縄タイムス、琉球新報6/11『現論』)
沖縄・安保・戦後を問う
(社会運動の立て直し必要)
鳩山由紀夫前首相による米軍普天間飛行場の移設問題の結論、そして退陣を見て、私は不思議な感覚にとらわれた。「もはや戦後ではない」と言われる時代に育ったはずなのに、いまだ戦後の米軍占領下の真っただ中にいるような気がしたのだ。
沖縄本島に暮らす人たちは毎日、終わりのない戦中戦後の中でこの65年間を生きてきたに違いない。私はタイムマシンで過去に戻されたわけでなく、「もはや戦後ではない」という高度経済成長時代が幻だったのではないか、と思った。その証拠に、今の日本は借金大国である。
(卑屈と傲慢)
家庭内暴力や弱者に暴力をふるう人間は外の世界でおとしめられ、自らの存在理由を発見できないものが多いとう。
日本人の沖縄への態度は、日本人が長い間米国に従属し、独立心と思想を持ち得なかった結果のような気がしてならない。
民主党でさえ陥っている米国への卑屈さと沖縄への傲慢は何故なのか、私たちは戦後65年目でいよいよ、その根本理由に直面しなければならなくなっている。
1879年、明治政府は軍事力で琉球に侵略し沖縄県とした。琉球は中国の冊封国であり薩摩に年貢を支払ってはいが、他国に支配されることのない独立国だった。
1879年の出来事は、近代国家日本による最初の植民地支配の一つであり、朝鮮半島などの植民地支配がそれに続く。
日本が米英に宣戦布告して間もなく、米国は日本の敗戦を見越して沖縄を含む植民地の分配を計画していたという。結果的に、ポツダム宣言受諾とともに日本は米国の軍事体制に組み込まれ、沖縄返還(これもおかしな言葉だが)後もそれは強化され続けた。
憲法9条は戦力の不保持を明記し、日米安全保障条約の第5条は、日本領域における武力攻撃が「自国の平和及び安全を危うくする」場合に共同して対処する、と書かれている。
しかし今や自衛隊は日本領域どころか、税金を使ってどこへでも出かけて行く。
抑止力には軍事でない抑止力があり、同盟には軍事でない同盟があるはずが、すべて軍事にすりかえる。
法的根拠がないから「思いやり予算」と名付けた軍事目的の在日米軍駐留経費負担は、平均年額約2千億円になる。
選挙による政党政治には限界がある。
内閣府参与となった湯浅誠氏は雑誌「世界」6月号で社会運動と政権の関係に言及し、妥協の産物としての政策を「政府の判断」としか見なければ、人々は裏切られた感覚を持つであろう、と書いた。
そのとおりだ。
裏切られている。
しかしそれは政府の主体性の過大評価であり、社会運動の弱さの反映である、と続ける。
そして複雑で困難で厄介な方法であっても、政党からの自律性をもった社会運動が不可欠だ、という。
(一 揆)
植民地差別のもとに65年間も膠着してしまった基地問題を動かすには、確かに社会運動が必要だ。
人々の安全が脅かされた場合、江戸時代なら一揆が爆発した。( 中略 )
現代人は個がばらばらに生活していて共同体を持たない。そういう時代に社会運動を継続するには何が必要なのか。
これは沖縄だけのことを言っているのではない。基地問題はもはや全国の問題なのだ。
所詮まだ「戦後」であるなら、私たちはいったん1960年まで戻ってみるべきだろう。基地問題の本質は日米安保条約である。
1960年の国会では延長も破棄も解消も議論され、学生たちも真剣に考えた。
「言ったことを守らない」と民主党を責めるばかりで安保については何も議論しない現代とは大違いだ。
継続的な社会運動に立て直しこそ、「戦後」を終結させる突破口なのではないか。
(田中優子・法政大教授)
この書簡を送ってくれた佐藤さんは九州のふつうの主婦の方。
しかしそのホームページには、世界のあらゆる矛盾とその裏に潜むシナリオが明らかにされています。
ぜひ訪れてみてください。
驚かされ、行動せずにいられなくなります!
http://anatakara.com/petition/index2.html
まあ確かに、攻撃の仕方はミサイルだけではありませんし、
もっとも、原発が無いのが一番良いのですけどね。
国家のためだから仕方ないって?
面白いって重要だよ、面白い、楽しいって、より良い未来のための肥料だと思う。
もちろん、甲本ヒロトさんの言うように、楽と楽しいは対極の物だけど・・・
冷戦のが終わり、大人達は夢を見なくなった気がする。俺たち大人が、夢を理想を語らなくなったから、小さい子供が、将来の夢は聞かれて、公務員と答えるんじゃないのかな。
もっと、俺たち夢、理想を語っても良いんじゃないのかな?その大人たちの言葉が子供の心に豊かさを与えると思ってます。
安全な馬鹿の時代は終わりだ。
これからは、吉祥寺Guyの時代だ(最後は三宅さんの言葉です、あたかも自分の言葉かのように使っちゃいました。スイマセン。)
最後に、質問です。誰か教えてください。
今の現行の原発を全て撤去したとして、日本のエネルギーはまかなえるのでしょうか?