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【W杯劇勝】渋谷狂乱の夜 女性に群がる“痴漢ゾンビ”出現

2018-06-20 23:44:26 | 憎むべき性犯罪
【W杯劇勝】渋谷狂乱の夜 女性に群がる“痴漢ゾンビ”出現


2018年6月20日 11時30分

東スポWeb

 サッカーW杯ロシア大会で日本がコロンビアを2―1で破る奇跡の勝利を挙げた日本時間19日深夜、東京・渋谷は歓喜のあまりサポーターたちが大暴れ。痴漢が出現し、女性が襲われるなど、収拾がつかない異常事態となった。混乱状態に陥った夜の渋谷を本紙が徹底取材した。

 渋谷のスポーツバーは予想外の勝利に盛り上がった。前半3分にコロンビアのサンチェスがハンドで退場になると、「あいつ、帰国したら射殺されるぞ」と優勝候補ながら1次リーグで敗退した1994年米国大会後、オウンゴールを理由に射殺されたDFアンドレス・エスコバルの悲劇を思い出したのか、心配するサポーターも。

 あるクラブでは約400人がテレビ観戦。店の責任者によれば、今回の入場者数は4年前のブラジル大会より大幅に減少したという。同責任者は「前回のW杯は1000人くらい入ってウハウハでした」。それほどまでに期待されていなかった中での勝利に、店内は喜びと熱気に包まれた。

 サポーターたちがそれぞれの店を飛び出して向かった先は渋谷の象徴・スクランブル交差点。W杯ではすでに恒例になった交差点のバカ騒ぎは今回も同様だった。センター街側の騒ぎぶりは、遠目から見ると大量のゾンビの群れのような迫力がある。近づくと、「パリン!」「パリン!」とアルコールの瓶が道路に叩きつけられて割れる音が響き、渋谷はサポーター暴徒化の様相を呈した。

 横断歩道では信号が青になるたびに、ユニホームを着たサポーターらがハイタッチを開始。それに紛れて悪質な痴漢行為も多発。女性に群がるゾンビ化した男たちも現れた。

 彼氏と渋谷の店へテレビ観戦に来た大学2年の女性は、駅へ向かうために横断歩道を渡った時、将棋倒しに巻き込まれ、下敷きになった。

 この女子大生は「かなり押されて人が乗ってきて踏まれたので、靴が脱げた。ズボンの中に指を入れられた」と半泣きで彼氏に訴えた。それを聞いた彼氏はダッシュで靴を捜しに行き、靴は見つかった。

 前回大会で横行した女性の胸を触る“パイタッチ”も確認された。ジャンプしながら「ニッポン! ニッポン!」と叫ぶ円陣の中にいる女性の胸を、おもむろに近づきわしづかみにする痴漢も現れた。片方の腕で胸を守り、もう片方の腕でハイタッチしていた女性もいる。

 過激化した一部の男性サポーターは、交差点近くの地下道入り口によじ登り、赤い発炎筒をたいて喜びを表現した。

 負けたとはいえ、コロンビアサポーターもバカ騒ぎでは一歩も譲らない。宇田川交番周辺では、黄色のユニホームを着た30人余りがサルサの音楽を鳴らして酒盛りに興じていた。体形が“ボンキュッボン”の美女同士が抱き合って熱いベロチュ~を路上で披露するなど、負けてもラテンのノリを見せつけた。

 しかし、目つきの据わりだしたマッチョな南米男性らは両手を広げて、通りすがりの自動車を無理やり止めると、持っていたアルコールを後部座席の男性に強制的に飲ませた。続いて今度はなんとハンドルを握るドライバーにまで酒を飲ませようとする暴挙に。目と鼻の先に交番があるため、ドライバーも交番を指さして「交番! 交番! 飲めない!」と必死に攻撃を振り切った。

 ただし、過去の大会時に比べると盛り上がりのボルテージは低めだったという。以前は騒ぎのピークが3時間以上も続いたが、この日は1時間もすると人の数は減っていった。スクランブルの斜め横断を禁止してシステマチックな交通整理で対応した警察も、早期に斜め横断の規制を解除するなど安定モードの“試合運び”だ。

 センター街の衣料品店では、閉店時間を延長して日本代表ユニホームを販売したが、アテが外れた。「勝ったから売れると思ったけど、5着も売れなかった。1か月前から販売しているけど、全然売れてない。在庫がさばけるくらいには売れてほしいが…」とこぼしてシャッターを閉めた。

 列島が真に「熱狂」するのか否かは、日本時間25日午前0時のセネガル戦の結果次第だ。

NHK 「おじゃる丸」初代声優の告発に「ご指摘いただいているようなことはないと聞いています」

2018-06-20 23:42:49 | 芸能・スポーツ
NHK 「おじゃる丸」初代声優の告発に「ご指摘いただいているようなことはないと聞いています」


2018年6月20日 16時6分

スポニチアネックス

 NHKの木田幸紀放送総局長が20日、東京・渋谷の同局で定例会見を行い、同局の人気アニメ「おじゃる丸」で初代声優を務めた小西寛子(42)がツイッターを通じ、同局を告発している件についてコメントした。

 小西によると、本編用だと思って収録した音声が音声商品に流用され、販売されていたと主張。事前に知らされていなかったため、「これは何ですか」と事務所を通じ、同局側に問い合わせたところ、NHK側から「生意気だ!黙って言うとおりにしないとアニメ業界で仕事できなくしてやる」と言われたと主張している。

 小西は第3シリーズまで主人公のおじゃる丸を演じていたが、これ以降、同アニメの収録の話は来なかったという。木田放送総局長は「ご指摘いただいているようなことはないと聞いています」と小山側の主張を否定。

 それでも「かつてご出演していただいた方でもあるので、さらに関係先等に確認を進めているなど対応している」とまだ確認をしている段階であると説明。また、小西側と主張に開きがあることについては、担当者は「小西さん、事務所の方とはかつて番組を作らせていただいたということで、丁寧に対応させていただいている。事実関係については、私どもは番組を作っている関連団体を通じて関係先に聞き取りをしているが、相手方のご指摘のような事実は確認できていない。その点に関しては開きがあると認識している」と話した。

佐藤名人が3連覇=将棋・名人戦

2018-06-20 23:40:58 | ニュースまとめ・総合
佐藤名人が3連覇=将棋・名人戦



2018年6月20日 22時0分

時事通信社

 将棋の佐藤天彦名人(30)に羽生善治2冠(47)=竜王、棋聖=が挑戦する第76期名人戦7番勝負第6局が19日から山形県天童市で指され、20日、先手の佐藤が145手で勝ち、4勝2敗でタイトルを防衛し、3連覇を決めた。

 羽生の通算100期目のタイトル獲得はならず、豊島将之八段(28)の挑戦を受け現在1勝1敗のタイとなっているヒューリック杯棋聖戦に持ち越された。

若狭湾の海底で旧日本軍の潜水艦「呂500」発見

2018-06-20 23:39:23 | ニュースまとめ・総合
若狭湾の海底で旧日本軍の潜水艦「呂500」発見



2018年6月20日 19時34分

ライブドアニュース速報
九州工業大などによる調査チームは20日、若狭湾で戦後に処分のため海底に沈められた旧日本軍の潜水艦「呂500」を発見したと発表。同艦は、ドイツから譲渡された潜水艦Uボートだとされる。共同通信が報じた。

服役して初めて知った、刑務所の「現実」……『刑務所しか居場所がない人たち 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話』

2018-06-20 11:56:48 | ニュースまとめ・総合
服役して初めて知った、刑務所の「現実」……『刑務所しか居場所がない人たち 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話』


2018年6月20日 6時30分

ダ・ヴィンチニュース

 あなたは刑務所と聞いて、何を想像するだろう。

 さしずめ「和彫りの入った凶悪な面構えの者がゾロゾロ収容されていて、毎日乱闘が絶えない」といったイメージではないだろうか。しかし元衆議院議員の山本譲司さんが実際に刑務所で出会ったのは、認知症のお年寄りや重い病気の人、心身に障害がある人たちだったそうだ。

 2000年に秘書給与流用事件で逮捕され、1年2か月の懲役を栃木県の黒羽刑務所で過ごした山本さんによる『刑務所しか居場所がない人たち 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話』(大月書店)は、「まるで福祉施設みたいな世界」だった、刑務所の実像について紹介している。

 障害と犯罪には、果たして密接な関係があるのだろうか。山本さんに伺った。
■服役者の約2割が、知的障害者

 山本さんが刑務所での体験を描いた『獄窓記』(ポプラ社)を出版したのは2003年のこと。黒羽刑務所内で山本さんは、刑務官の補佐をする「指導補助」という役割を果たしていた。重い病気や障害のある受刑者の食事や入浴の手伝いから、排せつ処理までをおこなうのが山本さんの日常だった。ひどい痔を患う受刑者には薬を塗ったり、ゴミと排せつ物だらけの部屋を掃除したりすることもあったそうだ。

「2016年に新たに刑務所に入った受刑者約2万500人のうち、IQの数値でいうと、約4200人は知的障害者である可能性が高い人たちでした。最終学歴は中卒が4割で、義務教育さえまともに受けていない人も多くいます。知的障害がある受刑者は、おにぎりやパンの窃盗、あるいは100円ほどの賽銭泥棒で服役するなど、軽微な罪の人がほとんどです。30円の車上荒らしで、再犯だったため「常習累犯窃盗罪」という重い罪名をつけられ、3年も服役している人がいました。私は2006年に『累犯障害者』(新潮社)という、罪を繰り返す障害者の実態を描いた本を出版しましたが、その頃からようやく福祉関係者も、この問題に目を向けるようになったのではないでしょうか。あれから12年が経ち、徐々にではありますが、出所後の再スタートを支える出口支援制度も充実してきたように思います。しかし、まだまだです。昨年、ある累犯刑務所を訪ねた際に愕然としました。私が黒羽刑務所にいた当時の囚人仲間で知的障害のある人が、現在も累犯者としてその刑務所にいたんです。1人だけではなく、見かけただけで3人はいました。彼らは皆、十数年前に黒羽刑務所を出所したあと、5回も6回も出所と入所を繰り返しているんです。私自身、微力ながら、法務省や厚生労働省にも協力してもらい、この問題の改善に努めてきたつもりですが……。それに今も、毎週のように刑務所を訪れて、障害のある受刑者の社会復帰のお手伝いをさせてもらっています。でも相変わらず、刑務所を居場所にせざるを得ない人がたくさんいる。彼らは刑罰を受けているというよりも、冷たく厳しい社会から排除され、刑務所の中に避難してきているんです。これはやはり、社会全体の在り方に問題があるのではないでしょうか。そこで、こう考えました。社会の写し鏡と言われる刑務所の中で今起きていることを、もっと多くの人に知ってもらいたい。司法関係者や福祉関係者だけではなく、この問題に対して目をそらさずに見ることができる年代の人に伝えたい、と。それが今回、この本を出版した大きな理由です」

 ひとたび事件が起きると大抵のメディアは加害者の言動を取り上げ、「凶悪」な犯人像を作りだそうとする。しかし山本さんは、知的障害を持つ服役者は「凶悪」どころか、ある意味被害者なのだと語る。

「2006年1月に山口県の下関駅が放火され、4000平方メートルに及ぶ大火災となりました。この時捕まった当時74歳の男性には軽度の知的障害があり、彼は成人してからの54年のうち、約50年を刑務所や拘置所、留置場で暮らしてきました。子どもの頃から父親に虐待され、近所の子どもたちからもいじめられていた彼は、12歳の時に放火未遂事件を起こしました。補導されて当時の少年教護院(今の児童自立支援施設)に入れられましたが、まるで天国のように感じたそうです。なぜならご飯は食べられるし、暴力もなかったから。だから彼は『いじめや虐待から逃れるには、火をつけるふりをすればいいんだ』と思い込み、放火や放火未遂を繰り返すようになってしまったのです」

 この事件では懲役18年の求刑に対して、懲役10年の判決となった。山本さんによると、裁判前に面会した時、「シャバには戻りたくない。刑務所のほうがいい。いじめられないから」と言っていた男性は現在出所し、支援団体の人たちとともに穏やかに暮らしているそうだ。

「重大な罪を犯した人であっても、きっかけがあればがらりと変わるんです。だから社会はルールを破った人にペナルティを与えても、その期間を終えたら温かく迎え入れて包摂すればいいと思います。特に福祉事業者には、そうしてほしいものです。しかし給付金の関係上、軽度の知的障害者ばかりでは福祉施設の運営が成り立たないこともあり、彼らの居場所作りは難しいのが現状です」
■社会から孤立することで、犯罪に追い込まれる

 2003年に日本では福祉の基本スタンスが「措置から契約」に移行したことも、障害者の居場所が減ったことに関係しているという。措置制度の時代は障害者が福祉サービスを利用する際に、行政が利用先や内容を指定していた。しかし支援費を給付する制度にこの年から変わって以降、障害者が自分で福祉サービスを選び、事業者と個別契約を結ぶことになった。自分でサービスを決められるようになった反面、契約を断る福祉事業者も現れた。さらに2006年に「障害者自立支援法」が施行されて以降、軽度や中度の知的障害者の人たちに向けた福祉サービス費があがったり、サービスそのものが減ったりする結果を生んでしまった。

「戦後の日本は、精神や知的に障害のある人たちを、自宅に軟禁しておくのが当たり前のような時期がありました。けしからんことに、『座敷牢』も奨励されていたんです。そうしたなか、東京オリンピックがあった1964年、ライシャワー駐日大使が精神に障害のある青年に刺されて重傷を負う事件が起きます。事件後、マスコミは『精神異常者を野に放つな』的な報道を繰り広げました。結果的に、この事件以降、知的障害者や精神障害者は施設や病院に入れられ、隔離のような状態に置かれる時代が続くのです。しばらく我が国の中では、彼らの存在の可視化は難しくなりました。けれども当然の成り行きとして2000年以降、『障害者の地域移行』という国際的な流れのなか、障害者の自立が促されるようになりました。ところが今まで施設に預けられっぱなしだったのに、突如自宅に戻ってくることになった障害者を負担に思う家庭もあります。また地域も、決して温かくは迎えてくれない。このように社会に移行できたものの、家族にも地域にも疎まれることが、刑務所を居場所にせざるを得ない人を生み出してしまう結果に繋がるのです」
■障害があるからといって、罪を犯しやすいわけではない

 山本さんは、「知的障害者や発達障害のある受刑者のほとんどが、福祉や家族から見放され、挙げ句、何日も食事がとれないほどの困窮状態におちいり、窃盗や無銭飲食などに手を染めることになった」と言う。また、重い罪を犯した人の場合は、社会に蔓延する同調圧力に耐えられず、「空気が読めない」と虐げられ続けてきた辛さが、何らかの刺激によって犯罪に結びついたと見ている。しかし同時に「障害があるからといって、罪を犯しやすいというわけでは決してない」とも強調する。

「裁判で『反省しています』と言えれば刑が軽くなることがありますが、知的障害のある人は自分からそれが言えないことも多い。それに、法廷内の重い空気に耐えかねて、つい笑ったり、突拍子もないことを口にしてしまったりして、裁判官の心証を悪くすることもあります。一方で、裁判官はこうも考えているのではないでしょうか。『目の前にいる被告人の現在置かれている状況を考えると、社会に戻すよりも、寝床と三食が用意された刑務所に行かせたほうがいいだろう』と。これは、障害のある人に限ったことではありません。要するに、極度の貧困状態にある人には、刑務所というセーフティーネットを利用させようとするのです。ですから、障害のある人が大勢いる刑務所の現状は、『健常者よりも障害者のほうが、より生きづらい社会である』という我が国の現実を如実に物語っているのだと思います」

 障害のある服役者は決して「対岸にいる彼ら」ではなく、自分と同じ人間でしかない。だから「自分たち」「彼ら」と分けて考えるのではなく、同じところに目を向ける必要があるとも言う。

 山本さんは出所後、最重度の障害者が入所する福祉施設で働いていた。寝たきりで言葉を話さない人でも、同じ目線で接すれば、自分と同じく、喜んだり悲しんだりしながら日々の営みを繰り返していることがわかるという。重い障害があっても、「何もわからないかわいそうな人」ではなく9割9分は私たちと変わらないし、軽度の知的障害者に至っては、ほぼ何も変わらないことに気づいたのだそうだ。

「だから障害のある人を排除することは、ひいては自分を排除することにも繋がると言いたいんです。一見自分とは違うと思っても、同じところを探せばたくさん見つかるはず。その視点は残念ながら福祉現場にいる人でも欠けていることがあって、人によっては、まるで障害者をモンスターのように思っている人もいます。障害があるだけでもモンスターなのに、ましてや罪を犯したとなったら何重にもモンスター化しますよね。でも彼らはモンスターでは決してなく、あなたと同じ人間ですと言いたい。

 私も服役前は、自分のことを棚に上げて、刑務所にはどんな悪党がいるのかと戦々恐々としていました(苦笑)。でも、いざ入ってみたら怖い人なんて全然いないんです。それよりも障害のある人が多いことに、心底驚かされました。けれども、障害のある人のお世話をしていくうちに、『同じ受刑者同士、同じ人間同士』と強く思うようになったんです。とはいえ相手のことを知らないと、以前の私のようにビクビクして当然ですよね。だからこの本を通して、障害と犯罪の現実について知ることから始めてもらえればと思います」

日韓の「好感度」が逆転、“日本好き”韓国人が増えた理由は?=「若い世代は違和感がない」「問題なのは日本政府」―韓国ネット

2018-06-20 11:03:52 | ニュースまとめ・総合
日韓の「好感度」が逆転、“日本好き”韓国人が増えた理由は?=「若い世代は違和感がない」「問題なのは日本政府」―韓国ネット



2018年6月19日 16時20分

Record China

2018年6月19日、韓国・朝鮮日報によると、韓国人の日本に対する好感度が改善されているのに対し、日本人の韓国に対する好感度は悪化していることが分かった。

韓国の「東アジア研究院・韓国高等教育財団」と日本の特定非営利活動法人「言論NPO」は18日、報告書「第6回日韓国民相互認識調査」を発表した。同調査は13年から毎年実施されており、今年は5月19日?6月3日、日本と韓国の成人男女2014人を対象に行われた。

報告書によると、日本に対する印象を「よい」と答えた韓国人の割合は、16年は21.3%、17年は26.8%、18年は28.3%と毎年増加傾向を示している。一方で、韓国に対する印象を「よい」と答えた日本人は、16年は29.1%、17年は26.9%、18年は22.9%と減少傾向を見せており、日韓で「好感度の逆転現象」が起きている。よくない印象を持つ理由として、韓国人(70%)と日本人(69.3%)の双方が「歴史問題」を1位に挙げた。よい印象を持つ理由として、韓国人は「日本人の親切で誠実な国民性」(73.5%)、日本人は「韓国文化に関心があるため」(50.7%)を1位に挙げたという。

また現在の日韓関係が「悪い」と認識している韓国人は、昨年に比べて10.8%減少し54.8%、日本人は17.1%減少し40.6%となり、改善の兆しを見せている。課題としては、竹島問題(日本38.7%、韓国82.1%)、歴史認識や教育問題(日本54.7%、韓国78.1%)、日本軍慰安婦問題(日本42.2%、韓国73.5%)となった。

東アジア研究院のソン・ヨル院長は「日本に多く訪問し、情報を得た韓国の20?30代の若い層の対日好感度が改善された結果」とし、言論NPOの工藤泰志代表は「日本人が韓国を嫌いなのではなく、歴史問題などが原因で関係改善が難しいとみて関心が冷めた」と分析した。

この報道を受け、韓国のネットユーザーからは「若い世代は日本に対する違和感がない」「韓国人はいつも日本に関心がある」「日本旅行の番組や記事もたくさんあるしね」など、日本への関心の高さを訴える意見の一方で、「やっぱり日本には反感を感じる」との声や「問題なのは日本政府であって、日本という国や日本国民とは関係ない」と日本政府への批判の声が寄せられた

スマホと喫煙者数減も要因? 「ガム離れ」が進むワケ

2018-06-20 11:01:02 | ニュースまとめ・総合
スマホと喫煙者数減も要因? 「ガム離れ」が進むワケ



2018年6月20日 8時58分

STANDBY

ここ10年でガムの販売数減少に歯止めがかからず、「ガム離れ」が進行中だ。その要因が少子化によるものではなく、「代替品」の台頭によるものだと「毎日新聞」が報じたことで、ネットでは議論となっている。

「日本チューインガム協会」によると、2017年のガムの小売金額は1005億円で、2004年の1881億円からほぼ半減。また、「全日本菓子協会」によると、同じ2004年比で「チョコレート」は35%、「スナック菓子」は19%、「飴菓子」(グミ含む)は9%上昇していた。記事では、これらの「代替品」の伸びとともに、コンビニのコーヒーとの競合を指摘。利用目的はもちろん「ついで買い」を誘う用途と重なるため、その販売の好調さも見逃せないという。

だが、ライバルは食べ物ばかりではく、「スマホ」もそのひとつのようだ。米テックメディア「レコード」では、iPhoneの出荷が始まった2007年以来、欧米ではガムの売上高が15%減少したことを、スマホの台頭と結びつけている。曰く、衝動買いを狙いスーパーのレジに置かれるガムを、スマホに夢中になることで見過ごしてしまい、購買機会が失われたとのこと。

さらに市場調査会社「ユーロモニター・インターナショナル」は、「喫煙者数の減少」が要因だと分析する。ガムは、日本の商品のメインターゲットである喫煙者数の減少によって、10年以上にわたって販売数が低下していると指摘。東京五輪を前に飲食店で喫煙制限がかかれば、その流れに拍車がかかり、2022年には売上高が880億円まで減少すると予測している。

こうしたさまざまな要因が考えられる「ガム離れ」。Twitterでは、

“自分は昔からあまりガム好きではなかったので気づかなかったけど、確かにガムを噛んでる人をあまり見かけないし道に落ちてるのも減った気がする。”
“たしかに、この間帰国したときグミコーナー拡大したなと思いました。グミとガムは噛み応えで競合している気がする…。ガムは捨てるのもめんどくさいし。”

とガム離れを実感している声が数多く寄せられている。さらに、

“スマホが出てから買わなくなったし、競合はスマホだったよねー”
“スマホ普及が影響大。基本的に【~離れ】の主たる原因はスマホだと考えても良いんじゃないかな。。”

と「レコード」の分析と同様、スマホが一因だとする声もあった。また、

“中年が噛んでいる理由は、歯周病による口臭が気になるからか、禁煙対策くらいかなと思う。”
“禁煙の進捗と比例してるのでは?昔は「喫煙の代わりに、口寂しいからガム」だったのが、禁煙が進んで「口寂しいガム」のニーズが少なくなった”

と「ユーロモニター・インターナショナル」の分析通り、喫煙との関係を指摘する声も出ている。

ガムを取り巻く環境が厳しさを増している中、歯の健康を考えた商品や人気キャラクターをパッケージに採用するなど努力は続いているが、果たして打開策は見つかるのか。

ネットもスマホもなかった時代、学年誌が子供たちの情報源に

2018-06-20 10:57:40 | ニュースまとめ・総合
ネットもスマホもなかった時代、学年誌が子供たちの情報源に



2018年6月20日 7時0分

NEWSポストセブン

 平日の放課後は、友達の家に集まってファミコン。土曜日のお昼、授業が終わるとお腹をすかせて家に帰る。テレビで松田聖子や西城秀樹が歌うのを見ながら母の作った昼食を食べる──小学生だったあのころに、少しだけ戻ってみませんか?

「誌面に載っているヘアアレンジを見て、“伊藤かずえ風ポニーテール”をやってみたのが、私の初めてのおしゃれだった」(40代女性)
「ハレー彗星の特集を読んで親に望遠鏡を買ってもらった」(40代男性)

 子供のころ、『小学一年生』をはじめとした学年誌に掲載されたニュースや芸能、スポーツ、ファッションの情報に胸を躍らせた人は多いはず。そんな人たちに喝采をもって迎えられたのが『学年誌が伝えた子ども文化史 【昭和50~64年編】』(小学館)。大好評で重版となった前作(昭和40~49年編)に次ぐ2作目だ。

「当時の読者になつかしんで読んでもらうのはもちろん、小学生の目線に立って作った記事を集めているので、今の子供たちが読んでも楽しめる。さらにあのころ親だった祖父母世代にとっても思い出深い内容なので、3世代で読んでいるご家庭もあるようです」(同書の編集担当)

 昭和50~64年にかけては、小学生を取り巻く環境が大きく変化した時代だった。教育評論家の石川幸夫さんが解説する。

「暗記による知識量の増大に重きを置く『詰め込み教育』に批判が集まり、授業の内容が変わり始めた時期でした。当時は1時間目から6時間目まできっちり授業があって、土曜日も午前中は学校。子供たちが学校にいちばん長くいた時期で、先生との距離が近かった。1クラスの人数も多かったので、教室に活気があった。電子ゲーム機の登場をきっかけに、子供たちの遊び場が屋外から室内へ切り替わった時代でもありました」(石川さん)

 次々にアイドルが登場し、女の子たちはピンク・レディーの振り付けを覚えるのに夢中になり、聖子ちゃんカットに憧れた。エリマキトカゲやウーパールーパーなど変わった動物が流行するなど、振り返れば子供たちが夢中になれるものがたくさんあった。

 まだネットもスマホもなかった時代、学年誌が子供たちの大事な情報源だった。

「学年誌がいちばん発行部数を伸ばしていた時期。小学生の7割は読んでいたのではないでしょうか」(石川さん)

 当時生まれたファミコンやカラオケなどは一時的な流行にとどまらず、日本が誇る文化として定着し、松田聖子も健在。早見優のように“ママドル”として生き残っている元アイドルもいれば、昭和60年に大ヒットした荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』が再び注目を浴びるなど、昭和50~64年に花開いた文化は今に通じている。

 なかでも、当時も現代も変わることなく、子供たちの心をわしづかみにしているのが、オリンピックだ。

 学年誌ではオリンピックのたびに特集が組まれた。『学年誌が伝えた子ども文化史』にも、モントリオールオリンピックでの女子バレーの金メダルや「コマネチブーム」、ロサンゼルスオリンピックでの山下泰裕選手の活躍ぶりがピックアップされている。

「1964年の東京オリンピックをきっかけに、子供にとってもオリンピックが身近になり、夢中で応援した。日本人選手が活躍すると、彼らに憧れてスポーツを始める子供が増えました」(石川さん)

 2020年には再び東京でオリンピックが開催される。『学年誌が伝えた子ども文化史』を家族みんなで繰りながら、過去の日本人選手の活躍やエピソードを振り返り、2年後の夏への期待を膨らませてみてはどうだろう。