村下孝蔵 - 初恋
あるコンビニの喫煙所がまるでゲットー!? タバコ嫌いからも「かわいそう」の声
2018年6月3日 8時0分
ガジェット通信
各自治体で路上喫煙禁止に関する条例が施行され、タバコ屋でさえ店頭に灰皿を置けない地域が増えています。同じようにタバコを扱うコンビニエンスストアでも、喫煙スペースがなくて吸う場所に困るということがあった人が多いのではないでしょうか。
ある『Twitter』ユーザーが、とあるコンビニの喫煙所の画像をツイートして話題になっています。
営業中に立ち寄った某コンビニにて。
喫煙者隔離もここまで来たか…。
喫煙者ゲットーというワードしか浮かばなかった。
物置を改造したと思しき喫煙所。完全にドアを閉めた状態だとかなり煙に燻されることになりそうです。
「これはひどい」「田舎の駅の待合室みたい」「差別だ」といった声が上がっていたこの喫煙所。タバコ嫌いな人からも「酷すぎる!」「かわいそうと思った」というツイートも見られた一方で、特にニオイが嫌いな人からは「煙を外にだすな」「誰かに強制されて吸うわけじゃない」といった意見も多く寄せられていました。
ほかのユーザーは次のようにツイート。
禁煙者、喫煙者
両方に優しい社会になって欲しいですね
喫煙者に人権はないんか。ってゆー。
さまざまな意見が飛び交っていたあるコンビニの喫煙所。喫煙を抑える方向に社会が進んでいる中、極端な対策を打ち出すところはこれからも増えるのではないでしょうか。
―― 表現する人、つくる人応援メディア 『ガジェット通信(GetNews)』
2018年6月3日 8時0分
ガジェット通信
各自治体で路上喫煙禁止に関する条例が施行され、タバコ屋でさえ店頭に灰皿を置けない地域が増えています。同じようにタバコを扱うコンビニエンスストアでも、喫煙スペースがなくて吸う場所に困るということがあった人が多いのではないでしょうか。
ある『Twitter』ユーザーが、とあるコンビニの喫煙所の画像をツイートして話題になっています。
営業中に立ち寄った某コンビニにて。
喫煙者隔離もここまで来たか…。
喫煙者ゲットーというワードしか浮かばなかった。
物置を改造したと思しき喫煙所。完全にドアを閉めた状態だとかなり煙に燻されることになりそうです。
「これはひどい」「田舎の駅の待合室みたい」「差別だ」といった声が上がっていたこの喫煙所。タバコ嫌いな人からも「酷すぎる!」「かわいそうと思った」というツイートも見られた一方で、特にニオイが嫌いな人からは「煙を外にだすな」「誰かに強制されて吸うわけじゃない」といった意見も多く寄せられていました。
ほかのユーザーは次のようにツイート。
禁煙者、喫煙者
両方に優しい社会になって欲しいですね
喫煙者に人権はないんか。ってゆー。
さまざまな意見が飛び交っていたあるコンビニの喫煙所。喫煙を抑える方向に社会が進んでいる中、極端な対策を打ち出すところはこれからも増えるのではないでしょうか。
―― 表現する人、つくる人応援メディア 『ガジェット通信(GetNews)』
喫煙者を採用しない企業も登場、それでも日本は″たばこ規制″後進国?
2018年6月3日 9時33分
AbemaTIMES
「においが苦手で、正直言うと分煙になっていくのはうれしい」。
世界禁煙デーだった5月31日、たばこの自動販売機が撤去された厚労省で、「受動喫煙対策推進キャラクター」の岡田結実さんが喫煙の危険性を訴えた。
日本人では20歳より前に喫煙を始めると、男性は8年、女性は10年も寿命が短縮すると言われている。また、喫煙者が喉頭がんになる確率は非喫煙者の5.5倍、肺がんでは4.8倍。さらに脳卒中と心筋梗塞の原因にもなるといわれており、受動喫煙でも肺ガン・脳卒中が1.3倍、乳幼児突然死症候群4.7倍など、喫煙に対して否定的な理由の第一に健康リスクがに挙げられる。また、煙や匂い、歩きたばこの危険性、時間を浪費しているという推計データなど、ネガティブなイメージもつきまとう。
JTの調べによると、50年ほど前の男性の喫煙率が80%を超えていた日本。会社の中でも喫煙は自由で、会議中の喫煙は当たり前。いつも灰皿は吸殻でいっぱいだった。公共交通機関もおおらかで、旧国鉄時代はホーム上はもちろん、新幹線でも全席で喫煙が可能だったが、去年3月のダイヤ改正でついに新幹線から喫煙車両は姿を消した。日本航空も、喫煙席と禁煙席に分け、カーテンで区切っていたのを1998年9月までに廃止した。
そんな規制ムードも関係してか、喫煙率は年々下がり続け、去年は男女合わせて18.2%まで減少。近年では、喫煙者の採用を取りやめる企業も現れるようになった。
「体にいいことは何でもやれ、悪いことはやるなという会長の意向がある。その結果、在職中に病気で亡くなった方はほとんどおられません」。岐阜県の化学薬品メーカー「セラツクグループ」では、創業者と親しい人が肺を患い死亡したことを機に、50年ほど前から禁煙を推奨、10年ほど前からは採用条件に"非喫煙者"であることを追加した。採用情報ページでは、いきなり喫煙の有無を問われ、「喫煙」を選択すると「喫煙者は採用致しておりません」と、同社の考え方を詳しく説明したページが表示される。
喫煙の有無が選考基準になることについて、田上嘉一弁護士は「企業が誰と労働契約をするか、誰とは労働契約を締結しないかは、基本的に企業の自由なので、法的には問題ない」と話すが、喫煙者"排除"が行き過ぎているのではないか、喫煙者への差別に当たるのでは、といった意見もある。
31日放送のAbemaTV『 AbemaPrime 』に出演した"喫煙歴36年"の愛煙家、ジャーナリストの山路徹氏は「僕にはたばこを吸う権利があると思っているし、吸わないという選択をした人に"吸うな"という権利はないと思う。ある意味で価値観の多様性の否定だし、趣味嗜好に介入するのは待ってよと思う。喫煙者を採用しないということは、24時間吸っちゃいけないという事。家で吸って会社で吸わない人も採用されないということは、喫煙者というだけでその人が全否定されているようなものだ。僕は身体に悪くても、心に良いことをしたい。匂いのことを言われると何も言い返せないが、街を歩いてると、すれちがっただけで香水の匂いがすごい人もいる。たばことお酒を一緒にしていいかどうかはわからないが、酒には健康を害する可能性があるだけでなく、酔って暴れたり、人に迷惑を掛ける人もいる。たばこは犯罪にはつながらないが、酒はつながる」と訴える。
また、喫煙は悪いこと、という空気を払拭するため、倉本聰氏や北方謙三氏、養老孟司氏といった文化人らで作る「喫煙文化研究会」では、「禁煙ファシズムに物申す」としてたばこへの熱い思いを綴っている。
「昔はたばこが"かっこいい大人"の象徴で、テレビCMも流れていた。ドラマなどでも喫煙の描写がなくなり、そもそも若者が憧れるきっかけも少なくなってしまった。たばこを"かっこいいツールだと思っている人はあまりいないのではないか」と話すふかわりょうは、「喫煙者の敵は嫌煙家ではなく、ポイ捨てをするようなマナーの悪い喫煙者だと思う。その対策をしていかないと、"多数決"の差は開いていく一方だ」と指摘。山路氏が「ここが一番大事な点で、社会の中で共生できればいい。ある時、新幹線の喫煙席で隣に座った老夫婦の奥さんが、僕がたばこを取り出すと咳払いした。僕はご夫婦に気持ち良く旅してほしいなと思ったから、吸うのを我慢した。やっぱりマナーの問題だ。お互い人間同士、尊重しあえば解決すると思う」と応じると、石井てる美は「そうは言っても、飲み会で"吸っても平気?"と聞かれて断るのは気まずいという人が多いのではないか」と指摘していた。
ただ、諸外国に比べ、日本の規制は緩い方だという見方もある。186か国中、8つの公衆の場(医療施設、大学以外の学校、大学、行政機関、事業所、飲食店、バー、公共交通機関)の屋内における全面禁煙義務を課す法律があるのは55か国にのぼる。ヨーロッパでは国法や州法で受動喫煙防止法が定められ、公共施設などの屋内はすべて禁煙、バスなどの公共交通機関も禁煙の国が多い。また、ロシアでは自家用車が禁煙、オランダ・アイルランドでは、公共スペースでの喫煙の罰金は最大40万円に達する。
未だそうした法律はない日本でも、東京都千代田区での路上禁煙(2002年)を皮切りに自治体レベルでは対策が進み、路上喫煙禁止条例は現在全国243の市区町村で定められている。それだけでなく、38道府県が庁舎内を完全禁煙、15府県が議会の禁煙にしている。東京都では今年4月に「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が施行され、さらに従業員のいる飲食店を全面禁煙とする条例案も検討されている。
しかし、たばこの価格の6割は税金で、430円の商品の場合、実に276.73円が「国たばこ税」「地方たばこ税」「たばこ特別税」「消費税」として徴収されている。山路氏は「歳入の少ない行政にとって、たばこは安定財源。急激に値上げすると離れてしまう人もいるので、段階的に上げてきた歴史もある。"税金は払ってください、でも館内では吸わせません"というのは違和感もある」と話していた。
2018年6月3日 9時33分
AbemaTIMES
「においが苦手で、正直言うと分煙になっていくのはうれしい」。
世界禁煙デーだった5月31日、たばこの自動販売機が撤去された厚労省で、「受動喫煙対策推進キャラクター」の岡田結実さんが喫煙の危険性を訴えた。
日本人では20歳より前に喫煙を始めると、男性は8年、女性は10年も寿命が短縮すると言われている。また、喫煙者が喉頭がんになる確率は非喫煙者の5.5倍、肺がんでは4.8倍。さらに脳卒中と心筋梗塞の原因にもなるといわれており、受動喫煙でも肺ガン・脳卒中が1.3倍、乳幼児突然死症候群4.7倍など、喫煙に対して否定的な理由の第一に健康リスクがに挙げられる。また、煙や匂い、歩きたばこの危険性、時間を浪費しているという推計データなど、ネガティブなイメージもつきまとう。
JTの調べによると、50年ほど前の男性の喫煙率が80%を超えていた日本。会社の中でも喫煙は自由で、会議中の喫煙は当たり前。いつも灰皿は吸殻でいっぱいだった。公共交通機関もおおらかで、旧国鉄時代はホーム上はもちろん、新幹線でも全席で喫煙が可能だったが、去年3月のダイヤ改正でついに新幹線から喫煙車両は姿を消した。日本航空も、喫煙席と禁煙席に分け、カーテンで区切っていたのを1998年9月までに廃止した。
そんな規制ムードも関係してか、喫煙率は年々下がり続け、去年は男女合わせて18.2%まで減少。近年では、喫煙者の採用を取りやめる企業も現れるようになった。
「体にいいことは何でもやれ、悪いことはやるなという会長の意向がある。その結果、在職中に病気で亡くなった方はほとんどおられません」。岐阜県の化学薬品メーカー「セラツクグループ」では、創業者と親しい人が肺を患い死亡したことを機に、50年ほど前から禁煙を推奨、10年ほど前からは採用条件に"非喫煙者"であることを追加した。採用情報ページでは、いきなり喫煙の有無を問われ、「喫煙」を選択すると「喫煙者は採用致しておりません」と、同社の考え方を詳しく説明したページが表示される。
喫煙の有無が選考基準になることについて、田上嘉一弁護士は「企業が誰と労働契約をするか、誰とは労働契約を締結しないかは、基本的に企業の自由なので、法的には問題ない」と話すが、喫煙者"排除"が行き過ぎているのではないか、喫煙者への差別に当たるのでは、といった意見もある。
31日放送のAbemaTV『 AbemaPrime 』に出演した"喫煙歴36年"の愛煙家、ジャーナリストの山路徹氏は「僕にはたばこを吸う権利があると思っているし、吸わないという選択をした人に"吸うな"という権利はないと思う。ある意味で価値観の多様性の否定だし、趣味嗜好に介入するのは待ってよと思う。喫煙者を採用しないということは、24時間吸っちゃいけないという事。家で吸って会社で吸わない人も採用されないということは、喫煙者というだけでその人が全否定されているようなものだ。僕は身体に悪くても、心に良いことをしたい。匂いのことを言われると何も言い返せないが、街を歩いてると、すれちがっただけで香水の匂いがすごい人もいる。たばことお酒を一緒にしていいかどうかはわからないが、酒には健康を害する可能性があるだけでなく、酔って暴れたり、人に迷惑を掛ける人もいる。たばこは犯罪にはつながらないが、酒はつながる」と訴える。
また、喫煙は悪いこと、という空気を払拭するため、倉本聰氏や北方謙三氏、養老孟司氏といった文化人らで作る「喫煙文化研究会」では、「禁煙ファシズムに物申す」としてたばこへの熱い思いを綴っている。
「昔はたばこが"かっこいい大人"の象徴で、テレビCMも流れていた。ドラマなどでも喫煙の描写がなくなり、そもそも若者が憧れるきっかけも少なくなってしまった。たばこを"かっこいいツールだと思っている人はあまりいないのではないか」と話すふかわりょうは、「喫煙者の敵は嫌煙家ではなく、ポイ捨てをするようなマナーの悪い喫煙者だと思う。その対策をしていかないと、"多数決"の差は開いていく一方だ」と指摘。山路氏が「ここが一番大事な点で、社会の中で共生できればいい。ある時、新幹線の喫煙席で隣に座った老夫婦の奥さんが、僕がたばこを取り出すと咳払いした。僕はご夫婦に気持ち良く旅してほしいなと思ったから、吸うのを我慢した。やっぱりマナーの問題だ。お互い人間同士、尊重しあえば解決すると思う」と応じると、石井てる美は「そうは言っても、飲み会で"吸っても平気?"と聞かれて断るのは気まずいという人が多いのではないか」と指摘していた。
ただ、諸外国に比べ、日本の規制は緩い方だという見方もある。186か国中、8つの公衆の場(医療施設、大学以外の学校、大学、行政機関、事業所、飲食店、バー、公共交通機関)の屋内における全面禁煙義務を課す法律があるのは55か国にのぼる。ヨーロッパでは国法や州法で受動喫煙防止法が定められ、公共施設などの屋内はすべて禁煙、バスなどの公共交通機関も禁煙の国が多い。また、ロシアでは自家用車が禁煙、オランダ・アイルランドでは、公共スペースでの喫煙の罰金は最大40万円に達する。
未だそうした法律はない日本でも、東京都千代田区での路上禁煙(2002年)を皮切りに自治体レベルでは対策が進み、路上喫煙禁止条例は現在全国243の市区町村で定められている。それだけでなく、38道府県が庁舎内を完全禁煙、15府県が議会の禁煙にしている。東京都では今年4月に「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が施行され、さらに従業員のいる飲食店を全面禁煙とする条例案も検討されている。
しかし、たばこの価格の6割は税金で、430円の商品の場合、実に276.73円が「国たばこ税」「地方たばこ税」「たばこ特別税」「消費税」として徴収されている。山路氏は「歳入の少ない行政にとって、たばこは安定財源。急激に値上げすると離れてしまう人もいるので、段階的に上げてきた歴史もある。"税金は払ってください、でも館内では吸わせません"というのは違和感もある」と話していた。
タイのナイトライフに異変。夜遊びマナーを知らない日本人男性が増加で日本人への評判ダダ下がり
2018年6月3日 15時54分
ハーバービジネスオンライン
ここ最近、バンコクのナイトシーンで働く女性たち数十人を取材をしていると、日本人に対する苦情が以前より増えていることに気がついた。
日本人といえば、中国人観光客やアジア人蔑視をする欧米人よりも、タイ人に対してずっと紳士的な態度をすると、筆者自身も信じていた。
タイのストリートやゴーゴーバーで働く女性が、ホテルなり男性と夜を共にしたのちにその対価を払わないということはよくある話だったが、それは主に欧米人や中国人だとしてそうした女性の間では評判が悪かった。日本人男性の場合、“バーの女性とホテルで過ごしたが、うっかり現金を持ち合わせていなかったが、翌日帰国をするため、女性に謝り倒し、次に来たときに必ず払う約束をして帰国。半年後にタイに戻ったときに約束を果たしただけだが、女性にひどく感激された”なんて話が語られているくらい、「ヤリ逃げ」をしないという評価だった。しかしそれがどうも最近は変わってきており、今や日本人が一番多いのだという。
◆「ヤリ逃げ」する日本人男性
2016年にはこんなこともあった。タニヤという、日本人向けのカラオケ店が乱立するエリアにある人気店で、日本人男性の顔写真と共に、「ペイバー(連れ出し)をしたのにお金を払っていません。気をつけてください」といった張り紙がされたのだ。(参照記事:「G Diary」)
そうした被害に遭った女性の何人かに直接話を聞いてみると、共通していたのは、連れ出す前に店内で事細かにプレイ内容を男性側から交渉に盛り込んできたという点だ。おそらく、日本の風俗同様のイメージなのだろう。ただ、タイ人はプレイとしての性交渉にあまりバリエーションがない。つまり、SMやコスプレなど楽しむための「プレイ」はそれほどには浸透していない。それ故に女性は理解しきれないところがあるが、交渉時に言葉の障壁もあってOKとしてしまい、ホテルに向かう。
いざコトが始まっても、彼女たちとしてはそもそもどんなことをするのかはっきりと理解していないため、プレイに応じることができず、日本人男性はプレイが終わったのちにいくつか挙げたプレイ内容のひとつでも欠けていると、約束と違うといってカネを払わないという。
これならまだマシ(それでも十分「タイでは通用しない」)なほうで、ほかの女性の証言では、事前交渉はなく、事後になにかと難癖をつけてディスカウントしようという人は払わない人よりも頻繁に遭遇するとも言っていた。最初から払う気がなく、騙すつもりだった可能性がある。
また、あるバーでは盗撮用の小型カメラを仕込んで店に来た日本人中年男性がいたそうだ。タイの夜の女性たちはプライバシーの侵害を非常に恐れる。親や親族にバレたくないからだ。特にスマートフォンが普及し、その注意力は格段に上がっている。そのため、ちょっとした盗撮カメラはすぐにバレてしまう。その日本人もすぐにバレたが、暴言を吐き続けた。おそらく風俗関係の店だから警察を呼ぶことはないと見たのだろう。しかし、警察がやってきて彼は逮捕された。泣きながら謝ったそうだが、あとの祭りである(その後、起訴されたかは不明)。
こういうマナー違反が今、日本人に増えているのだと、夜の店で働く多数の女性たちから聞いた。
◆性風俗産業だけではない、マナー劣化の日本人
こうしたマナーのない日本人客は、日本人経営の店でも増えている。
ある日本人経営の和食店では、こんな招かれざる客がやってきたことがあるという。ある晩、日本人男性ふたりがふらりと店に入ってきた。20代30代の見た目は若い人だ。筆者も防犯カメラの映像で顔を見たが、いっていても30代前半。ハーフパンツなどだったので、旅行者と思われる。
2018年6月3日 15時54分
ハーバービジネスオンライン
ここ最近、バンコクのナイトシーンで働く女性たち数十人を取材をしていると、日本人に対する苦情が以前より増えていることに気がついた。
日本人といえば、中国人観光客やアジア人蔑視をする欧米人よりも、タイ人に対してずっと紳士的な態度をすると、筆者自身も信じていた。
タイのストリートやゴーゴーバーで働く女性が、ホテルなり男性と夜を共にしたのちにその対価を払わないということはよくある話だったが、それは主に欧米人や中国人だとしてそうした女性の間では評判が悪かった。日本人男性の場合、“バーの女性とホテルで過ごしたが、うっかり現金を持ち合わせていなかったが、翌日帰国をするため、女性に謝り倒し、次に来たときに必ず払う約束をして帰国。半年後にタイに戻ったときに約束を果たしただけだが、女性にひどく感激された”なんて話が語られているくらい、「ヤリ逃げ」をしないという評価だった。しかしそれがどうも最近は変わってきており、今や日本人が一番多いのだという。
◆「ヤリ逃げ」する日本人男性
2016年にはこんなこともあった。タニヤという、日本人向けのカラオケ店が乱立するエリアにある人気店で、日本人男性の顔写真と共に、「ペイバー(連れ出し)をしたのにお金を払っていません。気をつけてください」といった張り紙がされたのだ。(参照記事:「G Diary」)
そうした被害に遭った女性の何人かに直接話を聞いてみると、共通していたのは、連れ出す前に店内で事細かにプレイ内容を男性側から交渉に盛り込んできたという点だ。おそらく、日本の風俗同様のイメージなのだろう。ただ、タイ人はプレイとしての性交渉にあまりバリエーションがない。つまり、SMやコスプレなど楽しむための「プレイ」はそれほどには浸透していない。それ故に女性は理解しきれないところがあるが、交渉時に言葉の障壁もあってOKとしてしまい、ホテルに向かう。
いざコトが始まっても、彼女たちとしてはそもそもどんなことをするのかはっきりと理解していないため、プレイに応じることができず、日本人男性はプレイが終わったのちにいくつか挙げたプレイ内容のひとつでも欠けていると、約束と違うといってカネを払わないという。
これならまだマシ(それでも十分「タイでは通用しない」)なほうで、ほかの女性の証言では、事前交渉はなく、事後になにかと難癖をつけてディスカウントしようという人は払わない人よりも頻繁に遭遇するとも言っていた。最初から払う気がなく、騙すつもりだった可能性がある。
また、あるバーでは盗撮用の小型カメラを仕込んで店に来た日本人中年男性がいたそうだ。タイの夜の女性たちはプライバシーの侵害を非常に恐れる。親や親族にバレたくないからだ。特にスマートフォンが普及し、その注意力は格段に上がっている。そのため、ちょっとした盗撮カメラはすぐにバレてしまう。その日本人もすぐにバレたが、暴言を吐き続けた。おそらく風俗関係の店だから警察を呼ぶことはないと見たのだろう。しかし、警察がやってきて彼は逮捕された。泣きながら謝ったそうだが、あとの祭りである(その後、起訴されたかは不明)。
こういうマナー違反が今、日本人に増えているのだと、夜の店で働く多数の女性たちから聞いた。
◆性風俗産業だけではない、マナー劣化の日本人
こうしたマナーのない日本人客は、日本人経営の店でも増えている。
ある日本人経営の和食店では、こんな招かれざる客がやってきたことがあるという。ある晩、日本人男性ふたりがふらりと店に入ってきた。20代30代の見た目は若い人だ。筆者も防犯カメラの映像で顔を見たが、いっていても30代前半。ハーフパンツなどだったので、旅行者と思われる。
中国人の大後悔「日本移住は失敗だった」
2018年6月3日 11時15分
プレジデントオンライン
「日本に移住するべきじゃなかったかも」。アラフィフの中国人が、そんな後悔を口にするようになっている。彼らは1989年の天安門事件で中国を見限り、政治的にも経済的にも先進国だった日本に移り住んだ。だがその後、日本経済は沈滞。一方、中国は世界2位の経済大国となった。彼らの「後悔」に対して、日本人はどんな言葉をかけられるのだろうか――。
■「中国はダメな独裁国家」と考えていたけれど……
「来日(1991年)から10年くらい、日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家だと考えていたんですよ」
2015年の春、関東地方の地方都市のショッピングモール内にある喫茶店で、私にそう話したのは元中国人の呂秀妍(当時53歳)だ。黒龍江省出身だが、日本での生活はもう20年以上。すでに日本国籍を取得している。
このとき、私は『八九六四』(KADOKAWA)という書籍の取材のため、「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる1960年代生まれの中国人たちに片っ端から話を聞いていた。彼ら彼女らは中国国内での世代別人口が最も多いグループのひとつで、現在の年齢は50歳前後だ。
彼らの青年時代である1980年代の中国は学生運動が盛んな時代で、民主化運動にシンパシーを持った人も多い。また、彼らが若い頃はちょうど日本のバブル期に相当し、エリート層には日本留学経験者も多いことから、中国における「親日」第一世代と呼べる人たちでもある。
■天安門世代の中国人があこがれた往年の日本
呂秀妍も例外ではない。中国国内で大学を卒業して大学講師になった(当時の中国で大卒はすぐに講師になれた)彼女は、故郷の黒龍江省で後の天安門事件(1989年6月4日、学生運動のデモ隊を人民解放軍が武力鎮圧した事件)につながるデモを目の当たりにしている。
このとき、当時27歳だった彼女は、学生を取り締まる立場だったが、「心情的には学生の主張に反対していなかった」「むしろ、彼らは正しい」と考えていたと話す。
やがて、せんだって日本に留学していた夫を追いかけて1991年に来日、そのまま日本で暮らした。言論の自由が保証された日本で、呂秀妍は中国の民主化問題に関係するパンフレットをむさぼるように読み、冒頭のように「日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家」と信じるようになった。
当時の彼女が日本を称賛したのもムリはない。1991年当時、中国の名目GDPが4156億ドルだったのに対して、日本の名目GDPは3兆5844億ドル。日本は中国の8.6倍の経済大国だった。国際社会における存在感も圧倒的で、世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本の台頭がやや恐れを込めて見られていた時代である。
同じアジア人の国家なのに、なぜ日本はこんなに強くて豊かでクールで、中国は貧しくてダサいままなのか? 当時の中国人の若者はそう考えた。彼らの多くが出した答えは、「日本の政治が民主主義体制だから」というものだった。
■考えが変わりはじめたのは2000年代になってから
国民が自由に政府を批判できて、政策を監督できる社会。言論の自由が保証され、おかしいことを自由に指摘できる社会。それゆえに、中国は「ダメな独裁国家」であり、日本は立派なのだというわけだ。
「考えが変わりはじめたのは、2000年代になってからです。中国は独裁的だけれど、ちゃんと発展するようになった。国民の生活がそこそこ自由で、(政治面以外では)権利も保証されるなら、別に体制が独裁的でもいいのかもしれない。いっぽうで、日本の社会の問題も見えてくるようになりました」
これは彼女のみならず、日本と接点を持った天安門世代の中国人に共通する考えである。やがて、そんな考えはゼロ年代後半から決定的になっていく。
まず、中国は2008年の北京五輪と2010年の上海万博に成功した。そして世界金融危機を生き残り、一時は「チャイナ・モデル」として欧州からも称賛を受けた(実情は相当ムリしていたようだが)。極めつけに、中国のGDPはいまや日本を数倍も上回って堂々たる世界2位となり、都市部の中産階層は海外で「爆買い」をおこなえるほど豊かになった――。
■中国人であることを誇れる時代が来てしまった
海外の情勢を知るようなエリート層の中国人にとって、天安門事件が起きた1989年からの十数年間、遅れた貧しい祖国は「恥ずかしい存在」だった。だが、そんな時代は過ぎ去り、中国はちっとも恥ずかしい国ではなくなった。政治を民主化しなくても、全世界に向けて自分が中国人であることを誇れる時代が来てしまったのだ。
いっぽう、かつて自由の新天地に見えた日本は、中国とのGDPが逆転した2010年ごろから、ゆるやかだが不可逆的な衰退が確実視されるようになった。しかも「民主的」に選ばれたはずの政府は、少子高齢化や労働問題のような誰の目にも明らかな問題点の解決にすら手をこまねき、むしろ自国の停滞を座視しているかにすら見える。呂秀妍は言う。
「いまは日本の民主と中国の独裁、半分半分くらいの社会が理想だと思えるんですよね」
「もちろん、習近平の政策はやりすぎだと思うし、私は好きじゃない。でも、前の胡錦濤の時代は、社会がそこそこ自由で、かつ国民が豊かになれるなら、私は中国共産党の独裁体制を支持してもいいとすら思っていました」
私は『八九六四』の取材中に、かつては中国民主化運動のシンパだったはずの中国人たちから、似たような意見をたびたび聞いた。
■上海人スナックママの嘆き
「正直なところ、人生の選択肢を間違えたかもしれない。あのまま中国に残っていたほうがよかったのかな。自分の親戚には、地方の県のトップくらいになっている人もいるんですよ」
私にそう話したのは、やはり50代の在日中国人女性・李美(仮名)だ。彼女は上海の軍高官の家庭出身。1989年、大学在学中に天安門の学生デモが起きたが、実家が体制側だったので民主化運動には一切参加せず、関心もゼロだった(なので、彼女は拙著『八九六四』には登場しない)。
卒業後に軍人と結婚したが、性格の不一致で間もなく離婚。当時の上海はまだ貧しかったので、思い切って日本に留学した。やがて日本で働くうち、稼ぎのいい水商売の仕事をはじめ、持ち前の頭の良さでのし上がってしまい、現在は東西線沿線の某繁華街でチャイナパブのママにおさまっている。
だが、21世紀に入り故郷の上海は未曾有の発展を遂げた。生活実態に即した購買力平価ベースでは、上海の一人あたりGDPはすでに日本を追い抜いた可能性が高い。李美のように上海戸籍を持つ軍人の子女なら、ずっと中国に残っていれば、現在はおそらく日本で暮らすよりも豊かな生活を実現できていたはずだ。
「水商売を選んだことは後悔していない。なにより、私は日本になじんでしまった。日本は空気もきれいだし医療や福祉もいいから、年をとるほど住みやすい国なのも確か。私はこの国でこのまま年をとって、死ぬと思う」
彼女はそう話すが、息子はさっさと英語圏に留学させ、現地の大学で学ばせている。将来的にはそのまま留学先に定住して、移民してもらってもいいと話す。日本という国は、自分の世代が住んでいるぶんにはまだいいが、次の世代が拠点とするには役不足の場所だからだ。
■デモに熱狂した学生たちは日本人よりカネ持ちに?
拙著『八九六四』に登場する22人の天安門世代のうち、取材時点での中国国内在住者や、中国と仕事上で一定の接点を保っていた人は以下の7人である。以下に1989年の天安門事件当時の身分と現在(取材当時)の職業、最終学歴を紹介しておこう。
郭定京(仮名)……北京在住 当時:浪人生(19歳) 現在:大手出版社勤務 学歴:大卒
張宝成……北京在住 当時:家具店経営者(29歳) 現在:無職 学歴:専門学校卒
魏陽樹(仮名)……北京在住 当時:大学生(19歳) 現在:投資会社幹部 学歴:大卒
余明(仮名)……北京在住 当時:大学教員(26歳) 現在:経営者 学歴:大卒
呉凱(仮名)……東京在住 当時:在日留学生(25歳) 現在:ジャーナリスト 学歴:院卒
マー運転手……深セン在住 当時:労働者(24歳) 現在:タクシー運転手 学歴:小学校卒
凌静思(仮名)……北京在住 当時:夜間大学生(27歳) 現在:司書 学歴:大卒
趙天翼(仮名)……河北省在住 当時:在日留学生(20代) 現在:大学教授 学歴:院卒
呂秀妍(仮名)……関東地方在住 当時:大学講師(27歳) 現在:出版関連業 学歴:大卒
このうち、同世代の平均的な日本人とほぼ同等か、それ以上に豊かな生活や社会的地位を得ているように見えたのは、郭定京・魏陽樹・余明・呉凱・趙天翼・呂秀妍の6人だ。すなわち、中国民主化運動を続けて政治亡命などをしなかった大卒者に限れば、私が出会った天安門世代の7人のうち6人は、中国が民主化していない未来の世界で「勝ち組」になっていたのである。
もともと、1989年の天安門事件当時の中国の大学進学率は2.5%程度(ちなみに2016年の中国は42.7%、2017年の日本は52.6%)で、大学生は限られたエリートだった。1989年の中国で起きた民主化デモの中核を担ったのは、大部分がこうした大学生や、大学教員などの知識人層だった。
私が話を聞いた相手でも、トップクラスにお金持ちだと思われる投資会社幹部の魏陽樹は、天安門事件以後の中国の社会と政治体制について下記のように話している。『八九六四』本文から引用しよう。
「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった二十五年間(注.取材当時)でこれだけの発展を導けると思う?」
「だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
■経済の数字以外で日本が中国に勝てるものとは
いかがであろうか。日本人としては釈然としない気もするが、かといって反論も難しい意見だろう。今後、中国が大きなオウンゴールを決めない限り、経済面の数字の勝負では、日本が中国に勝てる日はまず来ない。魏陽樹のような意見は、この先に説得力を増しこそすれ、減ることはない。
だが、それでも「日本の民主と中国の独裁、半分半分」が理想という呂秀妍や、中国の発展を誇る魏陽樹の意見を抵抗なく認められる日本人は決して多くないだろう。街中が監視カメラだらけで、チャットの会話まで当局に残らず把握され、政府に反対すれば戦車で轢かれるような社会は、いくら金持ちになれたとしても、御免こうむりたいはずだからだ。
ここで、私たちが失いたくないと感じるものこそ、日本の社会や政治体制が本質的に中国に対して優越している部分のひとつだろう。それは、中国の天安門世代の勝ち組たちが、大人になってから妥協して切り捨ててしまったものだ。
日本が中国に「負けた」後で、それでも世界で認められ続けるために大事なものは何か。その答えは、天安門世代の中国人の姿から逆説的に見えてくるとも言えるのである。
2018年6月3日 11時15分
プレジデントオンライン
「日本に移住するべきじゃなかったかも」。アラフィフの中国人が、そんな後悔を口にするようになっている。彼らは1989年の天安門事件で中国を見限り、政治的にも経済的にも先進国だった日本に移り住んだ。だがその後、日本経済は沈滞。一方、中国は世界2位の経済大国となった。彼らの「後悔」に対して、日本人はどんな言葉をかけられるのだろうか――。
■「中国はダメな独裁国家」と考えていたけれど……
「来日(1991年)から10年くらい、日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家だと考えていたんですよ」
2015年の春、関東地方の地方都市のショッピングモール内にある喫茶店で、私にそう話したのは元中国人の呂秀妍(当時53歳)だ。黒龍江省出身だが、日本での生活はもう20年以上。すでに日本国籍を取得している。
このとき、私は『八九六四』(KADOKAWA)という書籍の取材のため、「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる1960年代生まれの中国人たちに片っ端から話を聞いていた。彼ら彼女らは中国国内での世代別人口が最も多いグループのひとつで、現在の年齢は50歳前後だ。
彼らの青年時代である1980年代の中国は学生運動が盛んな時代で、民主化運動にシンパシーを持った人も多い。また、彼らが若い頃はちょうど日本のバブル期に相当し、エリート層には日本留学経験者も多いことから、中国における「親日」第一世代と呼べる人たちでもある。
■天安門世代の中国人があこがれた往年の日本
呂秀妍も例外ではない。中国国内で大学を卒業して大学講師になった(当時の中国で大卒はすぐに講師になれた)彼女は、故郷の黒龍江省で後の天安門事件(1989年6月4日、学生運動のデモ隊を人民解放軍が武力鎮圧した事件)につながるデモを目の当たりにしている。
このとき、当時27歳だった彼女は、学生を取り締まる立場だったが、「心情的には学生の主張に反対していなかった」「むしろ、彼らは正しい」と考えていたと話す。
やがて、せんだって日本に留学していた夫を追いかけて1991年に来日、そのまま日本で暮らした。言論の自由が保証された日本で、呂秀妍は中国の民主化問題に関係するパンフレットをむさぼるように読み、冒頭のように「日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家」と信じるようになった。
当時の彼女が日本を称賛したのもムリはない。1991年当時、中国の名目GDPが4156億ドルだったのに対して、日本の名目GDPは3兆5844億ドル。日本は中国の8.6倍の経済大国だった。国際社会における存在感も圧倒的で、世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本の台頭がやや恐れを込めて見られていた時代である。
同じアジア人の国家なのに、なぜ日本はこんなに強くて豊かでクールで、中国は貧しくてダサいままなのか? 当時の中国人の若者はそう考えた。彼らの多くが出した答えは、「日本の政治が民主主義体制だから」というものだった。
■考えが変わりはじめたのは2000年代になってから
国民が自由に政府を批判できて、政策を監督できる社会。言論の自由が保証され、おかしいことを自由に指摘できる社会。それゆえに、中国は「ダメな独裁国家」であり、日本は立派なのだというわけだ。
「考えが変わりはじめたのは、2000年代になってからです。中国は独裁的だけれど、ちゃんと発展するようになった。国民の生活がそこそこ自由で、(政治面以外では)権利も保証されるなら、別に体制が独裁的でもいいのかもしれない。いっぽうで、日本の社会の問題も見えてくるようになりました」
これは彼女のみならず、日本と接点を持った天安門世代の中国人に共通する考えである。やがて、そんな考えはゼロ年代後半から決定的になっていく。
まず、中国は2008年の北京五輪と2010年の上海万博に成功した。そして世界金融危機を生き残り、一時は「チャイナ・モデル」として欧州からも称賛を受けた(実情は相当ムリしていたようだが)。極めつけに、中国のGDPはいまや日本を数倍も上回って堂々たる世界2位となり、都市部の中産階層は海外で「爆買い」をおこなえるほど豊かになった――。
■中国人であることを誇れる時代が来てしまった
海外の情勢を知るようなエリート層の中国人にとって、天安門事件が起きた1989年からの十数年間、遅れた貧しい祖国は「恥ずかしい存在」だった。だが、そんな時代は過ぎ去り、中国はちっとも恥ずかしい国ではなくなった。政治を民主化しなくても、全世界に向けて自分が中国人であることを誇れる時代が来てしまったのだ。
いっぽう、かつて自由の新天地に見えた日本は、中国とのGDPが逆転した2010年ごろから、ゆるやかだが不可逆的な衰退が確実視されるようになった。しかも「民主的」に選ばれたはずの政府は、少子高齢化や労働問題のような誰の目にも明らかな問題点の解決にすら手をこまねき、むしろ自国の停滞を座視しているかにすら見える。呂秀妍は言う。
「いまは日本の民主と中国の独裁、半分半分くらいの社会が理想だと思えるんですよね」
「もちろん、習近平の政策はやりすぎだと思うし、私は好きじゃない。でも、前の胡錦濤の時代は、社会がそこそこ自由で、かつ国民が豊かになれるなら、私は中国共産党の独裁体制を支持してもいいとすら思っていました」
私は『八九六四』の取材中に、かつては中国民主化運動のシンパだったはずの中国人たちから、似たような意見をたびたび聞いた。
■上海人スナックママの嘆き
「正直なところ、人生の選択肢を間違えたかもしれない。あのまま中国に残っていたほうがよかったのかな。自分の親戚には、地方の県のトップくらいになっている人もいるんですよ」
私にそう話したのは、やはり50代の在日中国人女性・李美(仮名)だ。彼女は上海の軍高官の家庭出身。1989年、大学在学中に天安門の学生デモが起きたが、実家が体制側だったので民主化運動には一切参加せず、関心もゼロだった(なので、彼女は拙著『八九六四』には登場しない)。
卒業後に軍人と結婚したが、性格の不一致で間もなく離婚。当時の上海はまだ貧しかったので、思い切って日本に留学した。やがて日本で働くうち、稼ぎのいい水商売の仕事をはじめ、持ち前の頭の良さでのし上がってしまい、現在は東西線沿線の某繁華街でチャイナパブのママにおさまっている。
だが、21世紀に入り故郷の上海は未曾有の発展を遂げた。生活実態に即した購買力平価ベースでは、上海の一人あたりGDPはすでに日本を追い抜いた可能性が高い。李美のように上海戸籍を持つ軍人の子女なら、ずっと中国に残っていれば、現在はおそらく日本で暮らすよりも豊かな生活を実現できていたはずだ。
「水商売を選んだことは後悔していない。なにより、私は日本になじんでしまった。日本は空気もきれいだし医療や福祉もいいから、年をとるほど住みやすい国なのも確か。私はこの国でこのまま年をとって、死ぬと思う」
彼女はそう話すが、息子はさっさと英語圏に留学させ、現地の大学で学ばせている。将来的にはそのまま留学先に定住して、移民してもらってもいいと話す。日本という国は、自分の世代が住んでいるぶんにはまだいいが、次の世代が拠点とするには役不足の場所だからだ。
■デモに熱狂した学生たちは日本人よりカネ持ちに?
拙著『八九六四』に登場する22人の天安門世代のうち、取材時点での中国国内在住者や、中国と仕事上で一定の接点を保っていた人は以下の7人である。以下に1989年の天安門事件当時の身分と現在(取材当時)の職業、最終学歴を紹介しておこう。
郭定京(仮名)……北京在住 当時:浪人生(19歳) 現在:大手出版社勤務 学歴:大卒
張宝成……北京在住 当時:家具店経営者(29歳) 現在:無職 学歴:専門学校卒
魏陽樹(仮名)……北京在住 当時:大学生(19歳) 現在:投資会社幹部 学歴:大卒
余明(仮名)……北京在住 当時:大学教員(26歳) 現在:経営者 学歴:大卒
呉凱(仮名)……東京在住 当時:在日留学生(25歳) 現在:ジャーナリスト 学歴:院卒
マー運転手……深セン在住 当時:労働者(24歳) 現在:タクシー運転手 学歴:小学校卒
凌静思(仮名)……北京在住 当時:夜間大学生(27歳) 現在:司書 学歴:大卒
趙天翼(仮名)……河北省在住 当時:在日留学生(20代) 現在:大学教授 学歴:院卒
呂秀妍(仮名)……関東地方在住 当時:大学講師(27歳) 現在:出版関連業 学歴:大卒
このうち、同世代の平均的な日本人とほぼ同等か、それ以上に豊かな生活や社会的地位を得ているように見えたのは、郭定京・魏陽樹・余明・呉凱・趙天翼・呂秀妍の6人だ。すなわち、中国民主化運動を続けて政治亡命などをしなかった大卒者に限れば、私が出会った天安門世代の7人のうち6人は、中国が民主化していない未来の世界で「勝ち組」になっていたのである。
もともと、1989年の天安門事件当時の中国の大学進学率は2.5%程度(ちなみに2016年の中国は42.7%、2017年の日本は52.6%)で、大学生は限られたエリートだった。1989年の中国で起きた民主化デモの中核を担ったのは、大部分がこうした大学生や、大学教員などの知識人層だった。
私が話を聞いた相手でも、トップクラスにお金持ちだと思われる投資会社幹部の魏陽樹は、天安門事件以後の中国の社会と政治体制について下記のように話している。『八九六四』本文から引用しよう。
「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった二十五年間(注.取材当時)でこれだけの発展を導けると思う?」
「だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
■経済の数字以外で日本が中国に勝てるものとは
いかがであろうか。日本人としては釈然としない気もするが、かといって反論も難しい意見だろう。今後、中国が大きなオウンゴールを決めない限り、経済面の数字の勝負では、日本が中国に勝てる日はまず来ない。魏陽樹のような意見は、この先に説得力を増しこそすれ、減ることはない。
だが、それでも「日本の民主と中国の独裁、半分半分」が理想という呂秀妍や、中国の発展を誇る魏陽樹の意見を抵抗なく認められる日本人は決して多くないだろう。街中が監視カメラだらけで、チャットの会話まで当局に残らず把握され、政府に反対すれば戦車で轢かれるような社会は、いくら金持ちになれたとしても、御免こうむりたいはずだからだ。
ここで、私たちが失いたくないと感じるものこそ、日本の社会や政治体制が本質的に中国に対して優越している部分のひとつだろう。それは、中国の天安門世代の勝ち組たちが、大人になってから妥協して切り捨ててしまったものだ。
日本が中国に「負けた」後で、それでも世界で認められ続けるために大事なものは何か。その答えは、天安門世代の中国人の姿から逆説的に見えてくるとも言えるのである。
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