志情(しなさき)の海へ

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クマゼミが女郎蜘蛛の網に架かって餌食になっているのを見た時は鼓動が速くなった❗️

2021-06-23 22:20:00 | 動植物
昨日の朝、網戸の上のクマゼミを見た。そして夜の10時に二匹の蜘蛛の様子を見ると、クマゼミが大きな女郎蜘蛛の前にいた!

正直ショックだった。昨日の朝は「ああ、またクマゼミが元気よくなく梅雨明けだ」と思いつつ、家の内外からデジカメで写真を撮っていた。

時折小雨が降る日だ。蒸し暑いが外は少しひんやりしている。

鶏肉や野菜をミキサーにかけてオーガニックカレー粉ではじめて作ってみたキーマンカレーの残りを食べ、ゆったりとしていたが、急に台所に置いてあったアボカドと梅干し、そして苦瓜の種を大きなプランターの土に埋めて、芽が出るか試したいと思い立った。そのついでにまた女郎蜘蛛さんの所へ懐中電灯とデジカメをもって立ち寄ったのだった。小雨が降っていた。

懐中電灯を照らすとクマゼミが蜘蛛の前にぶら下がっていた。今朝のあの蝉かと思うと心が潰れるような気持ちだった。可哀想に~。地上に出て一週間の命だ。愛の讃歌がありまた卵をこの庭のどこかへ産み付けて生涯を終えたのかもしれなかった。でも蜘蛛の糸の罠に絡め取られてしまった。それほど多くのクマゼミがこの庭でなくわけではないので、あの朝の蝉かとやはり思ってしまう。なぜ遠くへ飛んで行かなかったのか。蝉は地上から這い出てくる近場で生を全うするのだろうか。

菜園を作っている最中にミミズや蝉の幼虫らしき姿を見かけたが、多くはない。ミミズは何度か顔を見せたが、丁寧に土に戻すようにしたし、2、3の蝉の幼虫は自ら土のなかに潜っていった。

以前と幾分環境が変わっているので、蝉にとっては生きにくい場所になっているのかもしれない。今年はまだ雄蝉の求愛の雄叫びが聞こえてこない。ちょっと寂しい気もするが、今からだろうか。

夜の10時に撮った写真は、蝉の姿は明らかで、深夜の3時にはただの物体の塊のようになり、そしてやがて跡形もなくなった。




食べ食べられる命のサイクル、連鎖がある。それに感傷的になってもと自嘲もするが、目が離せない庭の物語である。

     脱皮した女郎蜘蛛の夜の姿!

それにしてもなぜ女郎蜘蛛という名前がついたのか。ウィキピディアを見ると、上臈、女郎の両方のニュアンスがあるようだ。色鮮やかで美しい蜘蛛ゆえなのか、それとも人間世界の女郎のイメージが比喩されているのか、興味深い。カマキリ同様、雌が雄を捕食するとの説明もあった。雄は雌よりはるかに小さいのらしい。昆虫の世界では雌が雄より優位な位置にあるのだろうか。そういえば鳥たちも雄は求愛に懸命だ。踊ったり、美しい声で歌ったりする。クマゼミは愛の雄叫びをあげる。夏の蝉たちの求愛の時節には、負けていると思う。必死の求愛が命がけに聞こえるゆえか~。(朝書き込んでいたのだが、写真を取り込む必要があって、そのままにしていて、この時間になってしまった。)

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