「アラーが少女たちを市場で売り飛ばせと言っている。女は奴隷だ」「西洋の教育は終わらせるべきだ。少女たちよ、≪学校≫を去れ!」
変わらない伝統習俗や宗教の前で奴隷化される存在、貧困と格差とファナティックな盲信、取り残される者たちの暴力化、やれやれの現実!矛盾の渦はどこにも、それぞれが抱える矛盾、それでもそれを放置することはできないはずだね。他者を食らって生きざるをえない人間社会のひずみ?表も裏も、誰かが常に犠牲になる仕組みになっているのかもしれない。そしてその犠牲は、類として生き延びる人類の歴史の必然のようにあり続ける。生まれてそして死ぬサイクルを繰り返しながら生命の束ができる。すべて夢現(幻)、たまさかの命の揺らぎを生き生かされるその時が、誰かの奴隷ではなく、何かの仕組みの奴隷ではなく、己自身として生き死にたい。人生ドラマの個々の主人公として、クライマックスをめざしそして果てるその循環を生きる権利が奪われる脅威、それを取り除くのが人類の知恵であって当然に見えるが、お祓いの儀礼儀式でも払えないひずみの淵に罪悪なものたちがまた潜んでいるのらしい。見えないこの空間には、見える犠牲のありようがない、あるいは、はびこっていない、と誰にも言えない。他者をモノ化するあらゆる仕組みを否定する闘いは続く。