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台風2号はニガウリ畑をメチャメチャにしてしまった。鉢植えで根がはり、大木になったバンシルーの木がまた横倒しになっている。
台風最中にも、猫たちは庭に出入りするので彼らの様子を見守る。雨に濡れて戻って来るので、タオルで拭いてあげる。風邪をひいてしまうので〜。
そんな中、電話は、台風について、大丈夫かと、いつもの高いMさんの声だった。
そろそろドイツで出版されるという彼女の待望の本の事が知りたいと思っていたので、まさに時宜を得た電話だった。本は出版され、彼女の所にやってきた。ページ数が多くないのに70ドルの値段で高い。簡単に手に入らないと、不満の声、それでも7年間取り組んだ翻訳は、新たな解釈に基づいている。
Mさん、おめでとう、良かったね。Amazonからすぐ購入するね、と話したら、高い本を送って下さるという。
続いて彼女は英語で書いたお母様の物語を日本語に翻訳しているとの話が続いた。以前読ませていただいた随想は、流石語学に長けた文章で、クリスチャンのお母さまと彼女の信仰ゆえに、詩的で聖書から引用された言葉が生かされていた。
話の中で、再び小林秀雄の「無常といふ事」や「モオツァルト」「私小説論」などについて言及した。20代の頃読んで、たまに短い「無常といふ事」などを読み返していた。彼女が小林秀雄について何度か遠くカリフォルニアからの電話で触れてくるので、日本文学全集を見ると、第42巻が小林秀雄の作品集で、めくってみると「無常といふ事」は、鉛筆で線が引かれていた。
「生きている人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考へているのやら、何を言いだすのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか、鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまった人間といふものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだらう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは人間になりつつある一種の動物かな」
この最後の部分はよく引用されているように思える。確かに「歴史には死人だけしか現れてこない」のだ。
引用が長くなったが、無常と云ふ事は、つまり、くっきり人間として浮かび上がってくる、死者としての人間の実存を暗示しているようだ。
現し身も死者として人間になる。
どことなく不気味にも感じるが永遠の死者になる私たちなんだ。
あらためて批評家、評論家小林秀雄の凄さが迫ってきた。台風(狂い風)の夜だった。