志情(しなさき)の海へ

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12月20日未明ではなく12月19日夜に始まった「コザ暴動」(コザ騒動/コザ蜂起/反米軍市民蜂起)なんですね!

2020-12-27 12:32:55 | 沖縄の過去・現在・未来
コザの市民蜂起から50年経った12月、沖縄のメディアはこぞってコザ暴動(蜂起、騒動)を特集している!今回、写真展示だけではなく、シンポジウムが開催され、ライブの映像放映、コンサートと復帰前の1970年の動向が捉え返されている。論評の連載も~。その中で今回始めて女性たちの経験、証言の特集が組まれた。それは興味深かった。もっと角度を変えた証言も出てくるのかもしれない。写真集だけではなく、その中身や本質を問う冊子もまた書かれていくのだろう。それはシンポジウムであえて「コザ暴動」という言葉を発している喜名昌吉さんは当時の火を辺野古に向けなければならないと語っている。「1609年(薩摩侵攻以来の)呪縛から開放されて瞬間だった」「私たちの先祖の魂が火をつけたのかもしれない」と語ったと紙面で紹介されている。弁護士の新垣勉さんは「コザ暴動から50年、あのときの社会不満・怒りは形を変えて、より深刻な形で着実に鬱積しているように感じる」と論評を紙面に書いている。『憲法体系」と「安保法体系」の2つの法体系が存在し、せめぎあっている日本を切開している。沖縄は米軍基地優先の社会/法構造を解消し、人権保障を徹底する「憲法体系」に収斂することが不可欠とも........。納得できる。

当時、暴動(蜂起、騒動)の発端の現場にいた知人の話を窺うと、それは未明に起こったのではないことが分かった。彼女は目撃者の一人だ。戦後沖縄の歴史を象徴する一人の女性のライフ・ストーリーから見ているが、メディアはもっと多様な人々の経験を網羅する必要があるのかもしれない。

時間の経過と共に当時の表記に違いがあることは興味深い。82台(108台の証言もあり)の米軍車両が被害にあったという。横転され、ガソリンを掛けられ燃やされた事実は大きい。(シンポジウムでそれらの破損車両が米軍(アメリカ)によって保証されたことが紙面に記録されている。)いけはらえりこさん(在米研究者・Ph.D)は「黒人差別と黒人兵の沖縄への連帯感」について新聞連載『不条理への抵抗ーコザ騒動50年」で論評を寄せている。BLMと関連させて、すべての人の平等を問うている。

その時、あなたはどこにいて何をしていたのか。翌1971年、一人の著名な歌者が永眠した。(備忘録)


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