(健児の塔と第32軍司令壕の間の長い階段を歩く。このエッセイとは直接関係ないです!多くの戦争犠牲者を飲み込んだ絶壁です。)
最近首里城再建に関して知人から思いがけない話を聞いた。どうも利権が絡んでいて、日本政府の意向を受けた学者の威光に他の研究者も物が言えない雰囲気があるとのことに、驚いた。一瞬ホモソーシャル社会はこの沖縄でも変わらないのだと、思った次第だ。
研究者同士のホモソーシャルな付き合いと、利害関係、忖度がそこに見え隠れしているようだ。安倍政権のお友達優遇政策はよく話題になり、公文書の黒塗りの偽造からそのほか諸々は、もう嘘つきと忖度でこの世を渡っていいのだ、ということが国会論戦の実況中継でビンビン伝わってきた。学生たちには、「政治家のように、心臓に毛が生えるくらい強く生きるのよ」と授業のはじめに話すようになった。つまり何があっても知らぬ存ぜぬでシラを切るほどに、ハッタリで嘘をついても生きるのよ、という事に他ならない。『女帝小池百合子』の本を読んでもそうだった。嘘とハッタリで生きていけるこの日本社会なのだ。「嘘で固めても自らの利害が増えていけば勝ちだ」というこの社会のありようから学ぶものは大きい。
「真実とは何か」を追求することは学問研究の第一義に来ると言えるのだが、つまり「真・善・美・究極の良識」の追求は、かけがえのない哲理であるはずだと考えているが、決して研究者のすべてが美しい目的のために、新しい発見を目指しているわけでもないことがわかる。科学技術が戦争と一体となって発展してきた事実にもそれは明らかだと言える。
ここでは、その研究がお金と絡んでいるという事実があり、最も国の政治中枢の権力に近い方々が、潤沢な資金を得て研究ができる仕組みにもなっている事実があることをまず認識しておきたい。国の利益にかなう研究が大切にされるのは、どの国でも同じでありえる。そしてそれが全人類に恩恵を与えることになればこの上なく地球市民としての誇りにもなる。ナショナリズムとインターナショナリズムなりグローバリズムの融合になる。
ここで書きたかったことは、首里城再建に関して、いわゆるその方向性において、歴史や文化の琉球王府時代からの検証において、必ずしも民主的ではない方法で、どうも政治的意向(威光)で一方的に再建計画が進んでいるという話を小耳に挟んだがゆえに、疑問が湧いたということを書いておきたかったのである。再建計画のそれぞれの部会における専門部門の人選を含め、どうも政治的意図を匂わせる流れがあると聞いた。中心になる研究者に忖度して、同じ琉球史や民俗の研究者たちが貝になっているということ、つまり政府と密接な関係性をもつ中心人物に忖度している状況があると聞いた。真実の追求はどこに飛んでいったのだろうか。ホモソーシャルな傾向がある大学の研究者の姿が浮かんでくる。
背後には権力に忖度しないと研究費が得られないという学問研究の弱さも潜んでいるのかもしれない。それぞれの学会の権威者への忖度もまたありえるのだろう。
忖度が日本の流行語になった。優秀な官僚の皆さん方でも人事権を握られると、権力に忖度せざるを得ない生の政治ドラマを見せつけられると、政治の怖さが迫ってくる。同様に研究領域においても忖度がはびこっているこの日本や沖縄の社会というのは、未来に希望が持てない。それを打ち壊す方法はホモソーシャルな男性の絆を壊すことである。そうした利害関係と無縁の女性たちの独創的な参入が可能性としてはあるのかもしれない。家父長制の残滓を実践している沖縄の歴史研究者たちは、沖縄文化研究の第一人者と誇っている方々は、どうも自己保身のために真実の追求に及び腰のようだ。やれやれ!首里城は本来の姿(?)を再現できるのだろうか?極めて怪しいのは研究者の事大主義的、自己保身的ホモソーシャルな姿勢である。首里城の原型はどうだったのだろうか。朱色の幾分浮世離れした雰囲気に魂がこもっていただろうか。美化(粉飾)ではないリアリティが見たい。リアリティや真実もらしさ(幻想)になるのかもしれないが~。
【雑談】彼女は言い切った。「あの沖縄文化研究の第一人者、Hはポチだね」と。彼女は鋭い!(2003字)
健児の塔から第32軍司令壕の方へと階段を登って行った。
健児の塔に歩く途中蝶やトンボが舞っていた。
最近首里城再建に関して知人から思いがけない話を聞いた。どうも利権が絡んでいて、日本政府の意向を受けた学者の威光に他の研究者も物が言えない雰囲気があるとのことに、驚いた。一瞬ホモソーシャル社会はこの沖縄でも変わらないのだと、思った次第だ。
研究者同士のホモソーシャルな付き合いと、利害関係、忖度がそこに見え隠れしているようだ。安倍政権のお友達優遇政策はよく話題になり、公文書の黒塗りの偽造からそのほか諸々は、もう嘘つきと忖度でこの世を渡っていいのだ、ということが国会論戦の実況中継でビンビン伝わってきた。学生たちには、「政治家のように、心臓に毛が生えるくらい強く生きるのよ」と授業のはじめに話すようになった。つまり何があっても知らぬ存ぜぬでシラを切るほどに、ハッタリで嘘をついても生きるのよ、という事に他ならない。『女帝小池百合子』の本を読んでもそうだった。嘘とハッタリで生きていけるこの日本社会なのだ。「嘘で固めても自らの利害が増えていけば勝ちだ」というこの社会のありようから学ぶものは大きい。
「真実とは何か」を追求することは学問研究の第一義に来ると言えるのだが、つまり「真・善・美・究極の良識」の追求は、かけがえのない哲理であるはずだと考えているが、決して研究者のすべてが美しい目的のために、新しい発見を目指しているわけでもないことがわかる。科学技術が戦争と一体となって発展してきた事実にもそれは明らかだと言える。
ここでは、その研究がお金と絡んでいるという事実があり、最も国の政治中枢の権力に近い方々が、潤沢な資金を得て研究ができる仕組みにもなっている事実があることをまず認識しておきたい。国の利益にかなう研究が大切にされるのは、どの国でも同じでありえる。そしてそれが全人類に恩恵を与えることになればこの上なく地球市民としての誇りにもなる。ナショナリズムとインターナショナリズムなりグローバリズムの融合になる。
ここで書きたかったことは、首里城再建に関して、いわゆるその方向性において、歴史や文化の琉球王府時代からの検証において、必ずしも民主的ではない方法で、どうも政治的意向(威光)で一方的に再建計画が進んでいるという話を小耳に挟んだがゆえに、疑問が湧いたということを書いておきたかったのである。再建計画のそれぞれの部会における専門部門の人選を含め、どうも政治的意図を匂わせる流れがあると聞いた。中心になる研究者に忖度して、同じ琉球史や民俗の研究者たちが貝になっているということ、つまり政府と密接な関係性をもつ中心人物に忖度している状況があると聞いた。真実の追求はどこに飛んでいったのだろうか。ホモソーシャルな傾向がある大学の研究者の姿が浮かんでくる。
背後には権力に忖度しないと研究費が得られないという学問研究の弱さも潜んでいるのかもしれない。それぞれの学会の権威者への忖度もまたありえるのだろう。
忖度が日本の流行語になった。優秀な官僚の皆さん方でも人事権を握られると、権力に忖度せざるを得ない生の政治ドラマを見せつけられると、政治の怖さが迫ってくる。同様に研究領域においても忖度がはびこっているこの日本や沖縄の社会というのは、未来に希望が持てない。それを打ち壊す方法はホモソーシャルな男性の絆を壊すことである。そうした利害関係と無縁の女性たちの独創的な参入が可能性としてはあるのかもしれない。家父長制の残滓を実践している沖縄の歴史研究者たちは、沖縄文化研究の第一人者と誇っている方々は、どうも自己保身のために真実の追求に及び腰のようだ。やれやれ!首里城は本来の姿(?)を再現できるのだろうか?極めて怪しいのは研究者の事大主義的、自己保身的ホモソーシャルな姿勢である。首里城の原型はどうだったのだろうか。朱色の幾分浮世離れした雰囲気に魂がこもっていただろうか。美化(粉飾)ではないリアリティが見たい。リアリティや真実もらしさ(幻想)になるのかもしれないが~。
【雑談】彼女は言い切った。「あの沖縄文化研究の第一人者、Hはポチだね」と。彼女は鋭い!(2003字)
健児の塔から第32軍司令壕の方へと階段を登って行った。
健児の塔に歩く途中蝶やトンボが舞っていた。
実は、きょうの私のブログで、志情さんの文章を引用させていただきました。
事後報告になり申し訳ありません。
何卒ご了承いただければと思います。
よろしくお願いいたします。
急にこのブログへの訪問者が増えたようです。
今日は日曜日、明るい陽射しが入ってきます。
真善美と究極の良識の在りかは常に問われているのですね。
「究極の良識」の言葉が念頭にこびりついているのは、それがアウシュビッツを生き延びた女性が発した言葉だった故かもしれません。残虐な戦争中自ら恐ろしい経験を経て、戦後再び収容所に立った彼女は、最後に「~かつ人間の究極の良識を信じたい」と、話していました。