志情(しなさき)の海へ

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上原栄子さんは慰安婦にされたのだろうか?彼女は7、8人の抱えジュリをもつアンマーだった!

2013-01-16 10:31:42 | ジェンダー&フェミニズム

      (ちょっと見えにくいが是非『軍隊は女性を守らないー沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力』をお求めください!)

『軍隊は女性を守らない』の報告書(カタログ)を見ると、上原栄子さんの著書をもとに彼女が慰安婦だったと断定するような表記がなされていて少し気になっています。彼女が戦場で抱えた女の子たちといっしょに米兵にレイプされたことまた収容所から楚辺部隊に洗濯作業で赴いた先でも物資と引換のようにレイプされたこと、さらに米将校のハウスメイドになることは抱え妾のように性の接待も伴っていたことがわかりますが、彼女自身が立ち並ぶ日本兵の性の処理のために慰安婦として身をゆだねたかどうかは、わたしには曖昧です。でもカタログは断定していますね。

上原栄子が慰安婦だったと断定する根拠が薄いのではないかと疑問も起こりました。書かれた方にとっては元ジュリとしてのネームバーリューの高い彼女の位置づけはかなり衝撃的なので、そのような書き方をしたのだろうけれども、慰安婦になったとは書かれていませんね。慰安婦にされた抱え子(ジュリ)をもったアンマー格であったのかもしれません。ただ、その構図の中で位置づけられたにしても、彼女が将校たちの性愛の対象にならなかったという証拠もありません。慰安婦にさせられた、はとても強烈ですね。性の収奪をこれでもかと直截に彼女は書き記しています。一方で女性としての情念(愛情)ののびやかさがまた書かれています。

辻遊郭の女性たちが慰安婦として強制的に軍命に追随していかなければならなかった戦時中の事実(実態)が炙り出されているカタログ(報告書)だが、辻遊郭(公娼制度)を温存した沖縄の近代でもありました。そのシステムの中で貧困層の女性たち、中にはもと士族の娘たちが女性を中心に据えた特別な空間(実際は現在の嘉手納飛行場と同じで、土地や建物を所有する近代沖縄の資産家たちがそこから利潤を吸い取っていた)で性愛の社交界・サロン(非日常空間)を生きざるをえなかったのです。彼女たちを伊波普猷も醜業婦と記しています。しかしその遊郭は単に悪所だったのだろうか?遊郭の消滅が米軍による10・10空襲ゆえだったという紛れもない事実は、その後の米兵による性暴力を考えると、人間の宿業を考えざるをえません。生きるうえの食と性の問題が本質的なものとして迫ってきます。エロスとタナトスが波打つ生きるという人の営みがあります。そこにあった芸能とは何だったのだろうか?性と聖なるもの、宗教、ことば、芸が意味するもの?!

カタログが意図した編集の中からこぼれてくるジュリの女性たちの姿!それらをまた掬っていきたいと切に思います。

(なぜか毎日のように自衛隊ヘリが上空を低空飛行する騒音がいらだたしい日々である。異常な那覇上空である。海岸線を飛んでほしい。日常に侵入してくる騒音が昨今頻繁になっている。那覇市議会や県は空の暴音に抗議する決議をしてほしい!ヘリの騒音が続いている。誰か取り上げてほしい)


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