山内さんたちのマイクのないライブの実験はいいですね。わたしは辻遊郭の実際の座敷芸を再現させたいですね。
昨今の料亭の芸ではなく、明治・大正・昭和初期のあの絵葉書の中の造形です。
もはや遊郭がないから再現は難しいのですが、たとえば山入端つるさんや多嘉良カナさんの声に似た女性歌者や、城間千鶴さんの筝曲の腕前の方と、そして十代の舞踊家ですね。
女性芸能者たちの歌・三線、箏、の地謡、もちろんライブでマイクなしです。そして10代の少女たちが若衆踊り、二才踊りを踊ります。
女性だけの組踊や女性だけの舞踊や地謡も最近は登場していますが、実際に座敷芸として、どうなのか、興味あります。昨今の料亭ではなかなか箏の奏者がみられないですね。女性たちが見られる芸能をどう踊ってきたのか、狭い座敷で懸命に歌を披露していたその声音を聴きたいと思います。料亭の踊りはパターン化していて、もっと異なる空気があるような気がしています。芸者芸が沖縄ではないですね。でも戦前まではその雰囲気があったのです。
しかしその痕跡や継承が全くないのかというとーーー。舞踊の中に、お芝居の中に結晶となって何度も再現されているのですね。
組踊の女形も10代の少年たちが踊って、演じて、本物ですね。、オリジナリティーをどう再現するのか、昨今は古典化、格式化でちょっとオリジナルとは遠いですね。初原の形態を再現してほしい。多良間の八月踊りのいいところは、十代の少年少女たちが踊って、演じているところです。新鮮です!組踊保存会がまねできません。10代の身体性はないのですからー。技巧的になって古典化されていく組踊、額縁舞台の造花のようで、面白みないですね。観客が反応できない劇場ですから、ちょっとね、矯正される身体と精神はやはりよくないです。民俗芸能こそが大きな花なのかもしれませんね。芸術、式楽←お能の役者は切り殺されることもありえる緊張感の中で演じたのですね、組踊は??お役人の芸道?まれな国家をあげての祭典だったのですね。でも遊里、遊郭では毎日、ライブで歌・三線が奏でられ、そこに箏も交わって、少女たちが踊ったのですね。真剣な芸道。生きるための芸道。エロスとタナトスが背後でエコーしていたのですね。遊里に本物の芸があったのかもしれませんね。と書くと格式ばった古典芸能をたしなむみなさんから顰蹙されます!!!でも古典音楽は恋の歌、愛の歌が圧倒的です。戦前の古典の大家には、辻で三線を鍛えた方々もけっこうおられたのでしょう。