なりとろ日誌

なりとろの『考え』を色々書いていきます。 更新はクダクダです。

名血への祈り ~サッカーボーイ~

2011年10月07日 17時42分01秒 | 競馬

2003年頃に書いたモノです。

サッカーボーイへの愛。

ここに集約されています。

つたない文章ですが、良ければ読んでください。

 

☆☆☆

『なりとろ』。

このハンドルネームには代々受け継がれていく、血のドラマが隠されているのです。

皆さんはサッカーボーイと言うお馬をご存知でしょうか?
GⅠ3勝馬・ヒシミラクル、菊花賞馬・ナリタトップロード、秋華賞馬・ティコティコタック等の父親と言えばわかりますよね。
1987~88年に強烈な末脚で競馬界を魅了したアイドルホースです。


このサッカーボーイと言うお馬、それはもう素晴らしいお馬でした。
割と珍しい毛色『栃栗毛』に、尻尾は金髪と言う派手な見た目もさることながら、

そのレース振りはまだ競馬ビギナーだった私を釘付けにするには十分でした。
勝つときはぶっちぎる、その走る姿はこれぞサラブレッド!!と言う代物でした。

彼を追いかけるきっかけとなったのは、当時『東高西低』と言われた競走馬のレベルからでした。
私が競馬を始めた頃は、まだ関東馬の方が断然強くて、

GⅠレースのほとんどが関東馬に勝たれていた時代でした。
そんな関西馬の屈辱的な時代背景の中で見つけたのがサッカーボーイだったのです。
初めて彼のレースを見たのは『もみじ賞』。2着馬に大差をつけて圧勝しました。
そして、次の阪神3歳S(この頃はまだ東西で3歳・・・今で言う2歳チャンピオンが決まっていました)での鳥肌が立つくらいの圧勝劇。

杉本清アナウンサーが『テンポイント以来の関西の期待馬』と絶叫したレースです。
残り300mで先頭に立ったサッカーボーイは、そこから2着馬に「8馬身」もの差をつけてレコード勝ちをしました。
瀕死の関西競馬界に救世主のように現れた天才ストライカー、それがサッカーボーイだったのです。

それまで競走馬に対して「思い入れ」などほとんど持っていなかった私は、
このサッカーボーイを追いかける事によって競馬の世界にどっぷりはまって行きました。
彼の勝利に酔い、心躍らせ、歓喜し、また敗戦には悲しみ、、悔やみ、落胆しました。
そして次の出走レースを待つ間の期待と不安・・・それは知らないうちに彼への愛へと変わって行ったのです。
今から思うと確かに私はあの頃、サッカーボーイに恋してましたね(笑)

私がそのサッカーボーイを生で見たのはたったの一回だけ(マイルチャンピオンS)ですが、
その時の情景がいまだに頭を離れません。
パドックでは、これぞイレコミ!という感じでのツルクビ、そして白目の部分を真っ赤にして歩いていました。
いや、歩いてたと言うよりは、スキップをしているようにさえ感じましたね。
私の後ろで見ていた若いカップルの女性が、
『なに~?あの馬こわ~い』と彼氏に話してた、と言うエピソード(実話)があるんですが、
これを見てもサッカーボーイがどれほどの気性だったかが解りますね。
でも彼はレースではそれ以上のパフォーマンスを見せてくれました。

初めて見る彼の生レース。

最初で最後の生レースとなりましたが、それはもう感動モノでしたよ。

ターフの上を走ると言うよりはむしろ、空を飛んでいるかのような走りでした。

実に滞空時間が長いトビでした。

今から思うとこのキレイで大きなトビが、ナリタトップロードに伝えられたんでしょうね。

そんな彼が現役を退いて、既に16年が過ぎようとしています。
それでもこうして産駒たちを通して彼を応援できるのは、本当に幸せなことだと痛感しています。

同世代の種牡馬たちが今ひとつ後継者に恵まれない現状を見ても、その思いはいっそう深くなります。
サッカーボーイがダービーで15着に負けてからの宿願。
『サッカーボーイ産駒が、ダービーを1番人気で勝つまで追いかけ続ける』
もし、万が一それを達成できなければその「孫」へ、そして「ひ孫」へ・・・・。
『血』への想いと願いは永遠に続いてゆくのです。

それができる喜び・・・。
競馬って、サッカーボーイってほんとに素晴らしいものですね!!

 

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