習志野市民フォーラム

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ボートピア習志野反対運動の経緯⑨(住民投票直接請求)

2013年08月18日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

年の瀬も迫った2004年12月27日「市民連絡会」世話人会が開催された。
ここで今後の取り組みの方針として具体的に「住民投票直接請求」が決められた。
スケジュールとしては1月15日までに確定した受任者を選挙管理委員会に届ける準備。
署名活動は1月15日から2月4日まで(知事選の関係が選挙期間中は署名できないため2月4日がリミット)。
署名は3万人を目標とする(実際は有権者の50分の一の2600署名で良いが、無効票などあるためかなり上回ることが必要)。
並行して国、テックを相手取る訴訟の準備も元裁判所書記官であった土居を中心に進めることも確認された。
年明けの2005年1月9日の世話人会において具体的な取り組みが詰められた。
代表は杉村とする。署名期間は1月15日前から2月2日まで(2月3日から2月13日の間は知事選のため
活動が禁止となることが分かった)。
名称は「ボートピア習志野建設について市民に賛否を問う住民投票」とされた。
当面は受任者は100名を目標とした。
1月15日の世話人会において受任者が205人になったことが報告された。
前日の1月14日夜には菊田公民館で受任者会議が開催され、細かい打ち合わせや地区の割り振りや
責任者がきめられた。会場は満員でいよいよこれから始めるという緊張感と熱気に包まれていた。
各地区の受任者数は以下の通り。
東習志野・実籾(36人)、屋敷・本大久保(11人)、新栄・泉・大久保(8人)、花咲(5人)、鷺沼(7人)
鷺沼台(3人)、津田沼(13人)、藤崎(5人)、
地元では袖ヶ浦1~2丁目(26人)、袖ヶ浦3~5丁目(7人)、6丁目(7人)、香澄(9人)、谷津(20人)
秋津・・1丁目(6人)2丁目(13人)3丁目(2人)4丁目(9人)5丁目(13人)
受任者は冬の厳寒の中、一軒一軒訪問し署名を依頼して行った。
又訴訟は行政訴訟と民事訴訟の2本立てで進めることが確認され原告団100名以上を目標とした。
下記文書は住民投票条例制定請求書と「やめさせる会」のチラシ

1月27日の世話人会において、受任者数が293人になったということが報告された。又署名数も7000筆以上集まり
有権者の50分の一ははるかに超え、10,000筆を超えることが確実となった。
香澄でも受任者が当初9名から一気に32名に増えたことと在宅者の9割が署名に応じたことなどが報告された。
本大久保地区では8割、東習志野・実籾地区では9割が応じたことも報告された。
集計は中村市議会議員事務所で行い、選挙管理委員会には2月7日に届けることが決定された。
市側は40人体制で受け入れ準備中ということと、前例のないことで緊張しているということが報告された。
最終的に署名は1万1076筆に達した。
最も集めた受任者は宮内市議の256筆を筆頭に秋津のI187筆、袖ヶ浦竹川159筆、香澄T153筆、花咲立崎元市議149筆と続いた。
署名は習志野市全域にわたり、ボートピア推進派が言っていた「一部の地域」の問題でないことが明らかになった。
市民連絡会は選管に請求するとともに市議会で採択するように市議会議員に対して個別説得活動も開始した。
しかしながら、まともに話を聞いてくれる議員は僅かで、話し合いを拒否したり居留守を使う会派も中にはあった。

荒木市長は請求を受けて意見として「住民投票条例の制定は必要ない」と言い切った。
3月30日の市議会本会議では100名を超える市民の傍聴の中、条例賛成8人、反対21人と条例案は否決された。
市長及び市議会多数は民意と真っ向から対立した。
賛成、反対議員は以下のチラシの通り

      
※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
次回は訴訟への経緯と、住民投票や訴訟とは別個に活動がなされた市長リコール活動について。

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