習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑭(市民連絡会結成1周年集会と裁判)

2013年12月30日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

2005年10月に工事は着工されたが、運動は衰えることはなく、逆にすそ野はさらら広がっていった。
無関心だった人も工事が開始されると関心を持つ人も出てきた。
裁判も東京、千葉で進行して、これを支援することも含め市民連絡会結成1周年集会が10月の世話人会で提案され準備が始まった。
実行委員会が結成され秋津のOが委員長となり10数人の体制で進められた。
開催日は2005年12月3日 場所は新習志野公民館と決まった。
スローガンは「“ボートピア・ノー”の私たちの不退転の決意をいっそう鮮明にし、広く全国の仲間とも手を結んで運動を発展させていくために」
当日集会には約90名が集まり以下の行動提起が採択された。
・長期戦に備えた構え、運動の継続
・原告など運動の中心部分と市民の団結維持
・定期的な集会、リレートークの継続
・メールニュースなどの継続発行
・市長、市議会への抗議及び働き化の継続
※世話人会段階で公正な裁判を求める署名と2007年市長・市議選にBP反対議員を当選させる勝利させる件も
討議されたがいずれも否決。主な理由は署名運動はこれまでの度重なる反対署名で地元が疲弊していることと
選挙は連絡会としては特定候補の応援は趣旨と違うとのことであった。もっともなことではある。
又、「文教都市にギャンブル場はいらない市民の会」(代表木村しず子)が連絡会から脱退。市民連絡会が
リコールに着手しないことへの不満であった。

一方裁判は回を重ね佳境に入ってきたる2005年12月14日東京地裁傍聴20人。12月21日千葉地裁25人。次回は2月。
行政訴訟は5月に判決が出る見通しとなっていた。山場の原告陳述を控え陳述人が絞られ陳述書が作成された。
並行して全市宣伝行動が取り組まれて行く。
2006年1月6日JR津田沼駅前(習志野賀詞交歓会)14人でチラシ400枚
   1月20日実籾駅前5人でチラシ420枚
   1月22日袖ヶ浦ショッピングセンター12人でチラシ250枚、大久保駅前6人でチラシ350枚
その他各戸配布・・・秋津、香澄、袖ヶ浦、津田沼一丁目、谷津1~2丁目、谷津パークタウン
※推進派は誹謗中傷のビラを貼り、連絡会のホームページの掲示板に妨害書き込みが集中した。
  

※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
 次回へ続く

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