ゲ-ムの名は誘拐 東野圭吾 2005年05月19日 16時52分19秒 | 本 資力や知力のある人は殺人までも隠蔽できるのかという 感想ですが、これは推理小説だしそれは野暮なことなのでしょう。 登場人物のゲ-ムの達人振りには感心しました。 頭がいいのですね-。面白かったです。
法句経 2005年05月19日 12時17分23秒 | Weblog 「親しさより憂いは生じ親しさよりおそれは生ぜん 親しさを離れし人に憂いなしいずこにか又おそれあらん 人は少しでも自分の気持ちをわかつてくれそうな人に 親しみを抱く。そして相手も同じように自分に親しみを 抱いてくれると期待する。 勝手に期待されることこそ迷惑なことかもしれない。 親しみという感情の持つ身勝手さとそれがもたらす 苦しみに目覚めてほしい。 親しみという気持ちと親しさを期待しない気持ちは 車の両輪なのだ。」 人間関係ではこういう気持ちのすれ違いを度々経験します。 肝に銘じています。
生活の柄 山之口貘 2005年05月17日 21時51分59秒 | 音楽 歩き疲れては夜空と陸との隙間に もぐり込んで草に埋もれては寝たのです 所かまわず寝たのです歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです 歩き疲れ寝たのですが眠れないのです 近ごろは眠れない陸をひいては眠れない 夜空の下では眠れないゆり起こされては眠れない 歩き疲れては草に埋もれて寝たのです 歩き疲れ寝たのですが眠れないのです そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか 寝たかと思うと寝たかと思うと またも冷気にからかわれて 秋は秋からは浮浪者のままでは眠れない 歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで 草に埋もれては寝たのです所かまわず寝たのです 高田渡さんの唄です。ほのかなユ-モアが漂って・・・・・ 自転車に乗って逝ってしまいました。☆ ☆ ☆
そのままのあなたで百点満点 山崎房一 2005年05月17日 10時43分43秒 | 本 心は言葉によってコロコロ変わる 人生にとって最も大切なことは 心の持ち方よりも言葉の使い方です。 言葉によって言葉どおりの自分に変わる。 自分の中の良い心悪い心 長所や欠点をひっくるめて 自分はこれでいいのだと納得すれば 心は自分の中に安住の地を得るのです。 そうすれば自分探しの果てしない旅に 終止符がうたれ新しくて楽しい人生が始まります。 勇気のもらえる言葉がつまっています。
静心 大石静 2005年05月16日 11時10分55秒 | 本 あまりに品行方正な生き方にしがみついている人は面白くない という考え方に共感。(それが一番とはわかってはいても) 高嶺の花のくだりはそうかな?と不思議。どこから見ても かなわない人 そういうものだろうか? 高嶺の花だと言われ失恋した経験者としては、失恋した時点で 相手が高嶺の花になった訳で、体のいい断りの文句と理解し それ以来高価な花や珍しい花には興味が失せた。 幸いなことに貧乏なので、文字どおり高値の花には縁がない。
最低にして最高の道 高村光太郎 2005年05月16日 09時57分25秒 | Weblog もうよそう。 ちひさな利欲とちひさな不平と ちひさな愚痴とちひさな怒りと さういふうるさいけちなものは ああきれいにもう止そう。 わたくし事のいざこざに みにくい皺を縦によせて この世を地獄に住むのは止そう。 こそこそと裏から裏へ うす汚い企みをやるのはよそう。 この世の抜け駆けはもう止そう。 さういふ事はともかく忘れて みんなと一緒に大きく生きよう。 見栄も掛け値もない裸の心で らくらくとのびのびと あの空を仰いでわれらは生きよう。 泣くも笑ふもみんなと一緒に 最低にして最高の道をゆこう。
フランチェスコの祈り 2005年05月15日 13時07分38秒 | Weblog 私を平和の道具にしてください。 憎しみのあるところには愛を 争いのあるところには赦しを 分裂には一致を 疑いには信仰を 絶望には希望 闇には光 悲しみには喜びをもたらす者にしてください。 慰められるより慰める者に 理解されるより理解する者に 愛されるより愛する者に・・・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
シラネアオイが咲いたとです 2005年05月14日 10時09分47秒 | 花 始め2本だけでした。種をトリマキしているうちにどんどん増えました。 隣の家の庭にも飛んで行き立派な株になっているとです。 親より立派になるのは世の常人の常、花もなのでしょうか? シラネアオイです・・・・・
ある一行 茨木のり子 2005年05月11日 11時14分55秒 | 本 1950年代 しきりに耳にし 目にし 身に沁みた ある一行 「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」 魯迅が引用して有名になった ハンガリ-の詩人の一行 絶望といい希望といってもたかが知れている うつろなることでは二つともに同じ そんなものに足をとられず 淡々と生きていけ! というふうに受け取って暗記したのだった 同じ訳者によって 「絶望は虚妄だ 希望がそうであるように」 というわかりやすいのもある 今この深い言葉が一番必要なときに 誰も口の端にのせないし 思い出しもしない 私は時々つぶやいてみる むかし暗記した古風な訳のほうで 「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」 私は時々この詩を思い出します。