遊廓(芸娼混在)→茶屋街(花街)
明治17年、業者数35、娼妓数71
明治27年、業者数103、娼妓数85
大正元年、業者数117、娼妓数64
娼妓数より業者数が上回っている時代は、芸妓主体の業者が多かったのだろうか。
主計町茶屋街、にし茶屋街と並ぶ、金沢三茶屋街の一つ。
平成13年、重要伝統的建造物群保存地区に指定。現役の花街でもある。
この町の中心地だったと思われる場所。
このような広場になっている空間は、遊里ではあまり見かけない。
ひがし検番(東事務所)。芸妓はここで稽古したりするようだ。
重要文化財「志摩」。文政3年(1820年)からの歴史を持つ。二階にさがった提灯が特色。
江戸後期の茶屋建築「懐華楼」。あでやかな玄関から往時の繁栄ぶりがうかがえる。
それにしても逆光がうらめしい。
柳との組み合わせがいかにも花街らしいたたずまい。
重厚かつ渋い色合いの和風建築。内部には何部屋くらいの座敷があるのだろうか。
ひがし茶屋街にもタイル張りの建物が二軒見られた。こちらは市松模様のタイル。
もう一軒のタイル張りの建物。白い六角タイルが敷きつめられる中、雪の結晶を思わせる
色タイルがぽつんと控えめに配置され、それがスマートなアクセントになっている。
明治17年、業者数35、娼妓数71
明治27年、業者数103、娼妓数85
大正元年、業者数117、娼妓数64
娼妓数より業者数が上回っている時代は、芸妓主体の業者が多かったのだろうか。
主計町茶屋街、にし茶屋街と並ぶ、金沢三茶屋街の一つ。
平成13年、重要伝統的建造物群保存地区に指定。現役の花街でもある。
この町の中心地だったと思われる場所。
このような広場になっている空間は、遊里ではあまり見かけない。
ひがし検番(東事務所)。芸妓はここで稽古したりするようだ。
重要文化財「志摩」。文政3年(1820年)からの歴史を持つ。二階にさがった提灯が特色。
江戸後期の茶屋建築「懐華楼」。あでやかな玄関から往時の繁栄ぶりがうかがえる。
それにしても逆光がうらめしい。
柳との組み合わせがいかにも花街らしいたたずまい。
重厚かつ渋い色合いの和風建築。内部には何部屋くらいの座敷があるのだろうか。
ひがし茶屋街にもタイル張りの建物が二軒見られた。こちらは市松模様のタイル。
もう一軒のタイル張りの建物。白い六角タイルが敷きつめられる中、雪の結晶を思わせる
色タイルがぽつんと控えめに配置され、それがスマートなアクセントになっている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます