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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

横浜 綱島(1)

2012年04月15日 12時00分00秒 | ◇神奈川
温泉街→花街
一説によると、戦後は、RAA施設を経て、のちに芸娼妓の混在する花街になったらしい。
また、戦災で焼け出された青木町遊廓の遊女が、綱島の地に移ってきたという話もある。
これらの説について、はっきりした資料は得られていない。

何はともあれ、散策してみる。まずは鶴見川の南側から。

 
現役の「太平館」。綱島からはかなり離れているが、綱島温泉の一つに数えられている。

 
かつて樽町には、「菖蒲園」という観光地があった。昭和8年に開園するも、3年で閉園。
園自体はとうに見る影もないが、交差点とバス停に、いまもその名を見ることができる。


ラヂウム霊泉湧出記念碑。綱島街道の脇にひっそりとたたずんでいる。
大正3年に飲用水の井戸掘りで偶然温泉を発見。一大温泉街が築かれる契機となった。

 
玄関の造りが気になった和風建築。木々に囲まれ、建物の様子はあまり見えない。
この場所には昔、「長楽園」という温泉旅館があったが、その遺構だろうか。


鶴見川沿いのラブホテル。位置的には、温泉旅館が数軒あったあたりだが、関連は不明。

鶴見川の南側はここまで。
大綱橋を渡り、北側へ移動。いよいよ綱島駅(旧・綱島温泉駅)周辺である。


左右のマンションが建っている場所は、以前はどちらも「桐本」系列の割烹旅館だった。
右が「桐本本館」、左が「桐本別館」。

 
上記のマンションから二点。
[左]別館側の庭。石灯籠や庭石が置かれている。旅館の遺産と思いたいが、はたして。
[右]本館側の表札。マンション名が当時の屋号を受け継いでいる。

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