大正13年ごろ伝馬町と旅籠町から鴨江へと移転し、二葉遊廓を形成。
昭和5年、業者数22、娼妓数300
戦災により建物はほぼ焼失。復帰できた業者は半数だったという。
残念ながら、当事の建物は残っていないようだったが、
「豊本」「島屋」「駒屋」といった屋号が、現在の旅館名に引き継がれている。
地図で見ても明らかに異様な広い通り。過去、この場所が遊廓であったことを示している。
左手に「ビジネス旅館 豊本」のポール看板が見える。
界隈でもっとも雰囲気のある「旅館しまや」。
しかし、建物の状態から考えると、往時のものではないだろう。
「旅館しまや」玄関の軒下。
「島屋」→「しま屋」→「しまや」と変遷をたどったようだ。
大通りからやや離れた場所にあった「しんげつ」。
遺構の可能性があるとすれば、この建物だろうか。
「こまや」裏門。
昭和5年、業者数22、娼妓数300
戦災により建物はほぼ焼失。復帰できた業者は半数だったという。
残念ながら、当事の建物は残っていないようだったが、
「豊本」「島屋」「駒屋」といった屋号が、現在の旅館名に引き継がれている。
地図で見ても明らかに異様な広い通り。過去、この場所が遊廓であったことを示している。
左手に「ビジネス旅館 豊本」のポール看板が見える。
界隈でもっとも雰囲気のある「旅館しまや」。
しかし、建物の状態から考えると、往時のものではないだろう。
「旅館しまや」玄関の軒下。
「島屋」→「しま屋」→「しまや」と変遷をたどったようだ。
大通りからやや離れた場所にあった「しんげつ」。
遺構の可能性があるとすれば、この建物だろうか。
「こまや」裏門。
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