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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

武蔵野 八丁

2012年02月11日 16時30分00秒 | ◇東京
青線
昭和25年2月、洲崎や新宿の業者が8軒を開業。
業者の予定では、最終的に50軒ほどの特飲街(特殊飲食店街)にする計画だったが、
地域住民の反対(撤廃)の声が強く、店舗は8軒のまま推移(廃止には至らず)。
昭和33年1月13日、一斉廃業。
八丁という当時の地名から、「武蔵八丁」「八丁特飲街」などと呼ばれた。

昭和27年、業者数9、業態婦数57
(業者数が店舗数より多い理由は不明。同じ店舗に複数の業者が入っていたのだろうか)


青線は正面の一画にあった。当時の住所は、武蔵野市吉祥寺3007番地。

 
建てられた八軒は、二階建ての検番を除いて、すべて平屋建てだったという。
すると、この建物が旧検番だろうか。欄干や石畳など、普通の住宅には見えない。

 
往時を偲ぶことのできるよすがはほとんど残っていない。
とはいえ、長方形状に地割りされた路地は、昔のまま変わっていないようだ。


気になった集合店舗。遺構と断定したいところだが、平屋ではないのが引っかかる。
平屋を解体して、二階家に建て直した可能性はあるのだろうか。


特飲街跡から八丁通りを挟んだ反対側。昭和を感じさせる建物と小路が残っている。

 
娼家が当初の八軒から増えなかったという資料はおそらく信頼できる。
となると、このあたりの建物は、特飲街の客目当ての飲食店だったと考えるのが妥当か。


表通り沿いの看板建築。路地の物件と同様、古びたたたずまいを見せる。

時間がないため早々に辞去。もう少しゆっくり見て回りたかった。
八丁稲荷も見逃してしまったので、いずれ再訪したい。

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