遊廓→赤線
明治5年ごろ、業者数5、娼妓数26
昭和5年ごろ、業者数13、娼妓数103
赤線時代は「水郷園」と呼ばれていた。
残念ながら、これはと思える決定的な遺構は見つけられなかった。
手ぶらで帰るのも寂しいので、目についた古そうな建物を恣意的に撮影していく。
長島町のゲート。小さく「水郷公園」と書かれている。「水郷」の名を残す一つだろうか。
古そうな建物。妓楼にも商店にも見えないものの、気になる造りではある。
三つの入口に、出格子を備えた平屋建て。もともとはなんの建物だったのか興味深い。
小道を歩いていたら、風流な建物が現れた。玄関まわりに華やかな雰囲気がただよう。
窓におもしろい趣向が見られたので撮影。とはいえ、このたたずまいは一般住宅だろう。
元商店といった風情。遊里がこのあたりにあったのか、だんだん自信がなくなってきた。
遺構の可能性があるとすれば、この建物か。サイディング前の様子を見てみたい。
明治5年ごろ、業者数5、娼妓数26
昭和5年ごろ、業者数13、娼妓数103
赤線時代は「水郷園」と呼ばれていた。
残念ながら、これはと思える決定的な遺構は見つけられなかった。
手ぶらで帰るのも寂しいので、目についた古そうな建物を恣意的に撮影していく。
長島町のゲート。小さく「水郷公園」と書かれている。「水郷」の名を残す一つだろうか。
古そうな建物。妓楼にも商店にも見えないものの、気になる造りではある。
三つの入口に、出格子を備えた平屋建て。もともとはなんの建物だったのか興味深い。
小道を歩いていたら、風流な建物が現れた。玄関まわりに華やかな雰囲気がただよう。
窓におもしろい趣向が見られたので撮影。とはいえ、このたたずまいは一般住宅だろう。
元商店といった風情。遊里がこのあたりにあったのか、だんだん自信がなくなってきた。
遺構の可能性があるとすれば、この建物か。サイディング前の様子を見てみたい。
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