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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

岐阜 手力園

2011年08月27日 17時30分00秒 | ◆東海
赤線→青線
もともとは金津園の疎開地。疎開終了(転出)後は一般住宅街として再出発を果たすも、
残留組や新規参入組の手によって遊里が復活。
当局との攻防もあったが、結局青線街として黙認され、以後、売防法施行まで存続した。
昭和33年1月、業者数18、従業婦数31

 
整然と区割りされた道路は当時のまま。


いずれ転出する意向だった金津園の業者は、時局を勘案し、派手な外観は避けたという。
そのことを踏まえて現地を歩くと、まず目につくのがこの長屋だ。

 
竹材の出窓、ひょうたん柄の装飾、いずれも質素で渋い趣向といえる。

 
長屋二軒。先ほどのような装飾はないものの、雰囲気は感じられる。


こちらはさほど雰囲気が感じられない。あまりにもプレーンだからか。

 
気になった建物。そういう目で見ると、カフェー風のアレンジに見えてしまう。

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