明治15年、免許地指定
その後の歴史がわからない。早々に閉鎖されてしまったのだろうか。
遊里がどこに設置されていたのか、有力な情報は皆無。
日没が迫っているため、あまり適当にぶらついている時間はない。
地図であらかじめチェックしておいた場所を目指す。
気になった場所、その1。まっすぐ進むと青森湾。
事前チェックでは注目していたのだが、実際に見ると単なる広い道に見える。
気になった場所、その2。クランクが連続する謎の道路。
同上。遊里を思わせる物件は見つからず。クランクの謎だけが残った。
銭湯その1。
銭湯その2。いつもは安直に遊里と結びつけ、勝手に独り合点させて
もらっている銭湯だが、今回はお手上げである。
その後の歴史がわからない。早々に閉鎖されてしまったのだろうか。
遊里がどこに設置されていたのか、有力な情報は皆無。
日没が迫っているため、あまり適当にぶらついている時間はない。
地図であらかじめチェックしておいた場所を目指す。
気になった場所、その1。まっすぐ進むと青森湾。
事前チェックでは注目していたのだが、実際に見ると単なる広い道に見える。
気になった場所、その2。クランクが連続する謎の道路。
同上。遊里を思わせる物件は見つからず。クランクの謎だけが残った。
銭湯その1。
銭湯その2。いつもは安直に遊里と結びつけ、勝手に独り合点させて
もらっている銭湯だが、今回はお手上げである。
明治7年、免許地指定
明治12年、貸座敷数3、娼妓数7
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数30
本項では遊里だけでなく、気になった場所も一緒に取り上げる。
訪問前にインターネットで調べたところ、書籍やウェブサイトでしばしば紹介される
この建物は遊里とは関係ないらしい。
立派な木造建築。産院だったようだ。
国道338号線と小松野川が交差する付近。古い飲み屋が連なっている。
やや北方面のスナック街。かなりの規模に驚かされる。
奥まったあたり。個性的なデザインの小店舗が密集している。
青線の二文字が頭をかすめたが、そこまでの築年数はないように思える。
龍本寺の近く。遊里はこのあたりに存在していたという。
遺構らしい物件は見あたらないものの、妓楼の名前のついた橋が健在。
妓楼はこの売地にあったのだろうか、と妄想。
明治12年、貸座敷数3、娼妓数7
昭和5年ごろ、業者数10、娼妓数30
本項では遊里だけでなく、気になった場所も一緒に取り上げる。
訪問前にインターネットで調べたところ、書籍やウェブサイトでしばしば紹介される
この建物は遊里とは関係ないらしい。
立派な木造建築。産院だったようだ。
国道338号線と小松野川が交差する付近。古い飲み屋が連なっている。
やや北方面のスナック街。かなりの規模に驚かされる。
奥まったあたり。個性的なデザインの小店舗が密集している。
青線の二文字が頭をかすめたが、そこまでの築年数はないように思える。
龍本寺の近く。遊里はこのあたりに存在していたという。
遺構らしい物件は見あたらないものの、妓楼の名前のついた橋が健在。
妓楼はこの売地にあったのだろうか、と妄想。