Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ワヤン上演と誕生日

2018年04月09日 | 家・わたくしごと

 昨日4月8日は、昨年に続いて東京の崇福寺でのワヤン上演、そして私の誕生日でした。控室でワヤンの台本を読んでいたら、突然、驚きのケーキをメンバーの皆が用意してくださいました。本当に感謝です。しかも大好きな生クリームがいっぱい!
 4月8日はお釈迦様の誕生日。昨日のワヤンもお釈迦様と関わるお話でした。花粉症がひどくて鼻の奥やのども荒れていて、いい状態でワヤンができなかったことは残念ですが、開演前にプレゼントしていただいたケーキをたくさん食べたおかげで、自分の力を出しきれました。
 歳を一つとったところで、本日から大学はオリエンテーション、そして今週後半から授業です。年齢も新たにがんばらないと。今年度もやることが山盛りです。
 


かかりつけ医

2018年04月05日 | 家・わたくしごと

 浜松に来て恵まれたことは、とにかく病院が多いことだった。那覇にもやたらと病院があって、赴任した頃は驚いた記憶があるが、浜松も同じだった。やはり医学部をもつ大学が近隣にあることが大きな理由なんだと思う。琉大には医学部があったし、こちらには浜松医科大がある。地域の大学が地域医療に貢献しているのであればこの上もなく医療政策の成果であろう。
 私のかかりつけ医は、大学から歩いて数分、しかも大学の校医でもあるこのつばさ内科である。なんで「つばさ」なる名前がついているのかは聞いたことがないが、もしかしたら「キャプテン翼」のファンなのかもしれないと勝手に思っている。ここの医院長は女医さんであるが、私の持病である高血圧、よくひく風邪、そして毎年3月から5月まで苦しむ花粉症などなど、とにかく「内科」に関わる症状が出るとすべてここに行く。定期的に血液検査や尿検査もしてくれるし、人間ドックの記録もすべて提出する。そういう意味で、私の健康管理をしてくれているわけだ。まさにかかりつけ医の見本である。
 子どもの頃、外科も内科も整形外科も、たいていのものは診療してくれてしまうスーパーな医者がかかりつけ医だった。軍医出身で、ちょっと「痛い」なんて言ったもんなら、戦場では麻酔なんてしないんだよ、と呟かれた。大声で言われるより、そっちの方がずっと怖かった。そんな総合医は今ではほとんどなくなったが、子ども頃から今にいたるまで、かかりつけ医に恵まれているのは、幸せなことである。


散り始めた桜

2018年04月04日 | 浜松・静岡

 暖かさのせいだろうか、明後日が大学の入学式だというのに、あっという間に桜の花が散り、葉桜になってしまった。SNSでは満開の桜の写真がこれでもか、とアップされていたが、そこはぐっとこらえてひらひらと花びらが散り始めて、さわやかな葉が芽吹きだした桜の写真をアップした。青い空に満開の桜はよく映えるが、そこに緑が加わってもなかなか風情がある。季節感というのはこういう彩から感じられるものだ。
 バリから帰ってバタバタと一日一日が過ぎていき、結局、落ち着いて「花見」なるものはできなかった。浜松城公園に足を運べばよかったのだが、今年はそれもかなわなかった。来年にとっておこう。
 この時期になると、教員にとって、実質的には大学の新たな年度の始まりである。4月8日の花祭り(私の誕生日)には東京でワヤンの上演もあるし、今年はインドネシア芸能研究の新たな科研にも通ったし、まあ出だしは順調といったところか。思わぬ落とし穴に出くわさないように、今年度も健康に気を付けて、注意深く前進開始である。


Tempo Dulu(古き良き時代)風

2018年04月03日 | バリ

 Tempo Duluを、なんと訳すのが最適なのかわからないが、直訳すると「前の時代」となる。前といっても、いつぐらいなのか、はこのduluという単語からでは全く想像できない。そこで重要なのが、オランダ時代の綴り、つまりuをoeと表記し、tempo doeloeと書くとなんとなくニュアンスが伝わってくる。
 植民地時代は現インドネシア、特にジャワやスマトラの人々にとってはオランダによる搾取の時代であったことはいう間でもない。しかしそんな時代はとうに過ぎ、人々はそんな雰囲気を残した風景などを懐かしむようになった。それがTempo Dulu(Tempo Doelue)である。つまりただ「前の時代」なのではなく、西洋文化がインドネシアの中に共存しはじめた「古き良き時代」なのである。そんな背景の中で、それまでは壊して立て直してしまった家も、リフォームして素敵なレストランなどに代わっているのだ。
 今回宿泊したホテルにもそんな雰囲気のお店ができていた。外見は、クタやサヌールの洒落たレストランとはその趣はだいぶ異なっており、古い白黒の写真に写された1030年代のような様相を醸し出している。いい雰囲気だ。中はオシャレな作りとはいえ、やはり当時を反映した内装である。このお店に腰かけて道路の反対側に建つバリ・ホテルを眺めていると、なんとなく自分が1930年代のバリにタイムスリップしてしまったような錯覚に陥るのだ。


浜松まつりの季節

2018年04月02日 | 浜松・静岡

 4月第一日曜日は、私の住む田町地区の凧揚げ会の会所式です。もちろん冬から凧の準備は着々と進められているわけですが、本日の会所式を持って目に見える形でこちらの自治会の浜松まつりが始まります。マンションのエレベーターの中には祭り関係のお知らせがいっぱい。この季節がやってきた、と実感します。浜松が一年でもっとも華やかで賑やかな季節がやってくるのです。
 田町の御殿屋台や会所はこの神社に置かれています。桜も咲く季節、しっかり田町の凧印が神社入り口に設置されました。朝から法被を着たお兄さんやおじさんたちが忙しく出入りしています。私は決して法被を着て「中」には入りませんが、こんな雰囲気を「外」から眺めているだけでもワクワクします。
 夜になると、ラッパと太鼓、ホイッスルの音が聞こえてきました。会所祝いで街中を練っているのですね。素敵な季節がやってきます。今は花粉症の薬のせいで「ボーッ」としている毎日ですが、祭りまでには良くなって、祭りを外から楽しみたいと思います。


Sate Pleching (サテ・プルチン)

2018年04月01日 | バリ

 今回のバリのブログに豚サテのことを書いたのだが、正式にはサテ・プルチンという。このプルチンだが、PをFと間違えてはいけない。この言葉は、ロンボック島の香辛料の名称だと思うが、トウガラシやトマト、そのほかさまざまな香辛料のペーストで、ロンボックでは鶏肉に塗って焼く。ゆえにロンボックに行くと「ロンボック島特製の鳥プルチン(Ayam Plecing Khas Lomboku)」と書かれた看板をよく見る。バリにも同様にロンボック風の鳥焼きのお店がある。
 バリの人々は、このプルチンの味付けをヒンドゥー教ならではということで、「豚肉」につかって、サテにして焼いたのである。私が何度か通ったこの店Ciu Ciuだが、このタレに付け込んだ豚肉をそのまま冷蔵庫に保管して、注文があると焼くそうだ。不思議なことにこのタレに付け込むことで、肉が少し柔らかくなるらしい。
 バリの豚サテは、ヤギのサテのように、普通はピーナッツとケチャップ、トウガラシの混じった独特の甘辛ダレで食べると思ったのが、こんな新しいサテがあるとは知らなかった。このプルチン、ロンボックのものだと私には辛すぎるのだが、この店の味付けは、日本の少々辛い焼き肉のたれ程度である。だから私の口に合うのだろう。ちなみにこの店の近くにARJUNAという有名な豚サテー・プルチンの店があり、いつも込み合っている。