Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

バリに行きたいと思う気持ちにどう応えるか?

2013年05月24日 | 家・わたくしごと

 バリと付き合いはじめてもう30年を超えた。この間、私の周囲の人々にはバリの関係の人々が増えて、今では300人以上のフェイスブックの友人の、たぶん9割以上はバリと無関係ではない人々のネットワークになっている。だから、「あの人、今、バリなんだ」とか、FBの発信元がバリなんて別に驚くほどのことじゃなくなった。それどころか、あまりにも普通のことになっている。
 今、浜松の大学の学生が、夏休みの間だけでも、バリで音楽の勉強に取り組みたいと思っているようだ。「Pがまた、けなげな学生を焚きつけたな?」なんて言う友人達もいるかもしれないが、決してそうじゃない。たぶん、私が学生だったはるか昔、本気でバリに行って音楽を学びたいと思ったように、その学生もまたそう思っているに違いない。それを聞いて、前の大学にいたつい数年前だったら「そうですか、じゃあ行ってみたらどうですか」となったのだろうが、今は、学生が自分の息子の歳とほとんど変わらなくなっている。そうなると「親」のことを考えてしまうのである。
 「娘」が「インドネシア」なんてはるか南方の国に出かけて、本当に大丈夫なのかしら、と思う親がいて当然である。ましてや海外の経験が少ない親であればもっともである。考えても見れば、沖縄の学生が最初にジャワとバリにガムランを勉強に行った時、私は「引率」したことを思い出したのだった。今、思えばそれはそれで「お笑い」だけれど、でもそれが、沖縄とガムラン音楽の本当の意味での「出会い」だったことも事実だ。その旅を共にした学生たちが、後輩達に、今なお沖縄の中に息づくバリの音楽を繋いでいったわけだから。
 正直、今、ボクにはそれだけのバイタリティがないんだね。自分の時間がなくて、それでも海外で調査をするには限られた期間でやらなくちゃならない。自分のことしか考えられなくなっている。「大丈夫だよ。バリなんて一人行っても」と言って自分の行為を正当化しているんだけ。確かにそんなに危険な場所ではないけれど、始めていく人にこんなこと言い切れるかい?
 新しい大学で、バリを真剣に見つめて、それに挑戦しようとしている学生を目の前にして、「できますよ、なんとかなりますよ」なんて言っていていいのだろうか?(そりゃ、なると思うけど)つながる人がバリにいたり、先輩からのアドバイスがあればそれでもいいかもしれない。でも今時点では何もないんだよね。自分がまいたガムランの種から、今、まさに芽が出ようとしているときに、ただ水だけやって、それでいいんだろうか?
 


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