Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ブラッキーの死

2009年09月28日 | バリ
 ぼくは調査地に行く前、バイクに乗りながらなんとなくブラッキーのことを考えていた。実に馬鹿げたこと妄想で――考えてはいけないことだったと後になって思うのだが――ブラッキーが私の「ふくろはぎ」に深く噛みつき、なぜか私からは離れようとしない、悪夢のような妄想だった。ぼくはバイクで走りながら、そんな姿を脳裏から降り落そうと、なんども首を振った。数年前、ぼくは子どもを数匹生んだブラッキーに不用意に近づいたことから足首を噛まれ、血を流したことがあるのだ。
 数日前、狂犬病が私の調査地の隣村に住む二人の命を奪った。ふだん自分の家の周りを歩き回るだけの、用心深く、しかし温和な飼い犬だったという。それが突然「狂った」ことで惨事が引き起こされた。しかしどうして、突然、狂ってしまうのだろうか?それは、徐々にやってくるのではなく、あるとき、突然に、まるで悪霊が乗り移ったトランスにはいり、ひよこを食いちぎり、口のまわりの血だらけにして、それでも目がワヤン人形の悪霊のように丸く大きくまばたきもしない儀礼参加者のように、「狂って」しまうんだろうか?
 ブラッキーはたった一度だけ、私を敵とみなしたきり、その後は吠えることもなければ、尻尾を振ることもなかった。私が存在しても彼女は生命の存在しない石像のように、ただじっとして動かなかった。しかしそんな彼女もまた突然、憑依して私を襲うことがあるのだろうか?いや、そんなことはない。ぼくは再び首を振る……。そのたびにバイクは微小な蛇行を繰り返す。
 調査地の滞在先に着くなり、「ブラッキーは昨晩死んだよ」と唐突に聞かされた。誰もが悲しそうではなかったし、それは昨晩の夕食を食べた時間を(事実を)端的に伝えるような口調だった。そこには感情的な素振りのほんのひとかけらも感じられなかった。それでこの話は終りそうな気配だった。いちいち昨晩食べたその献立について、他人がたちいったりはしない。THE END? しかし私はその死因が知りたかった。彼は誰かを噛みついたから?それとも誰かに(何かに)噛みつかれた?
 「毒を食べて死んだ」のだという。狂犬病の猛威を恐れた村人たちが道路のあちこちに狂犬病の犬を殺すための毒餌を置いているのだという。しかし村の犬は鎖になど繋がれてはいない。つまりは、毒餌は、狂犬病にかかっている犬と同時に、「狂犬病にかかるかもしれない、あるいはかかっているかもしれない犬」を殺すためのトラップ。もしその条件の犬であれば、すべての犬に該当するはずだ。ということは集落における「犬の存在」を消去するためのトラップということになる。鎖に繋いでおかない限り、ほとんどの飼い犬はそのトラップにかかり、魔法のように消去される。クリアーボタンを軽くタッチように。少なくとも昨晩だけでも同じ家屋敷の数匹の犬がこの世から消えた。ぼくには理解ができない。少し混乱している。狂犬病は人間を狂わせ、そして狂犬病という病の存在により、狂った人間によって犬が殺されている?
 ぼくは、もう一匹の飼い犬の名を数回呼んだ。「ブロンニー!」
 しかし姿を現さない。人懐っこく、まだ愛らしい一歳の仔犬の姿はどこにも見当たらないのだ。(9月12日、タバナンで記す)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。