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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

二種類の『グレート・ギャツビー』

2008年05月25日 | 
 先週の出張で、だいぶ以前に古書店で買ったフィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳)を読み終えた。実のところこの本を読むのは二度目で、10数年前に読んだことがあり、きっと実家の本棚にはそのときの文庫本がまだ眠っているだろう。フィッツジェラルドは好きな小説家の一人で、この『グレート・ギャツビー』は原書を持っているくらいである。彼の言葉遣い、会話表現は、なんだか複数の螺旋が絡み合っているようで、最初はとっつきにくいのだが、徐々に慣れてくると、それが私には心地よい表現になる。
 去年だったか、一昨年だったか、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』が出版されたことは知っていたが、まだ買ってもいなかった。久しぶりにこの本を読んでから、ついでに村上春樹訳版も読んでみようと沖縄の本屋を数件まわって、やっとこの本を手に入れる。東京と違って、大きな本屋が少ない沖縄では、ネットで購入すれば欲しい本は数日で手に入るが、今すぐ読みたいと思うとなかなかたいへんである。
 今日から村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読み始めた。すぐに思ったことだが、この本はまるで村上春樹の小説を読むようなリズムを感じるのだ。もちろんストーリーは知っているが、それは私が知っている『グレート・ギャツビー』とはまるで別もののようだ。翻訳というのは、本当に原著の小説を大きく左右してしまうものだということを実感する。今夜、私は締め切りの仕事に取り組むために、この小説を読みたいという欲望をいかに断ち切るべきだろうか?


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