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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

マハーバーラタ -ナラ王の冒険ー

2018年05月08日 | 家・わたくしごと

 昨晩、静岡県舞台芸術センター(SPAC)による「マハーバーラタ ナラ王の冒険 」を静岡で行なわれていた「ふじのくに 世界演劇祭」で観劇した。演出は演出家として名高い宮城聰。すでにこの劇は、アビニヨン演劇祭の石切り場で上演するほどの世界的な舞台といっても過言ではない。確かに噂に違わないすばらしい演出と内容だった。訳者、語り手、演奏者もそれはそれはすばらしかった。
 私もワヤンを通してマハーバーラタを上演する一人だが、このナラ王の冒険(普通は「ナラ王の物語」とよばれる)は、ワヤンで上演されることはない。この部分は、バラタ一族の物語であるマハバラタの本筋ではなく、あくまでも挿話としての扱いである。しかし、この挿話は本筋と深く関わっており、それゆえマハーバーラタ物語の一挿話として深い意味を持つ。逆にいえば、この物語は完結していて美しい話なのだが、マハーバーラタの本筋を知らなければ、この物語の面白みは半減する。
 これはパンダワ一族がいかさま賭博に負け、12年間の森での放浪期に、絶望していたパンダワ一族のユディスティラに修行僧が語った物語である。その内容は、「おまえたちパンダワ一族のように賭けごとに負け絶望し、森をさまよった王がいたが、努力をすればその苦労は報われるのだ」ということをナラ王の事例を通して語るのである。マハーバーラタ物語においては、あくまでも聞き手はユディスティラであり、私はこの物語を通してユディスティラの心の内を感じるのだ。
 まあ、そんな薀蓄はどうでもよかろう。この上演形態は、文楽、ジャワのワヤン・ウォンを参考にしているそうだが、私から見るとまさにバリのスンドラタリを土台にしつつ役者の語りが入る演劇である。そういう意味で語り手はひじょうに重要な役割を担う。ト書きを言い、セリフを語る。この役者は本当にすばらしかった。私はいわゆる演者よりも、舞台において私と同じ役割を担うこの語り手のすばらしさに夢うつつとなった。語り手として参加する来月のホノルル公演に向け、自分なりに考えることが盛りだくさんの公演だったことはいうまでもない。