Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

暖を取る

2016年03月07日 | 家・わたくしごと

 「暖を取る」という日本語がある。「体を温める」という意味で間違いはあるまい。「暖を取る」といえば、冷えたからだを温めるために、暖炉の前に手をかざしたり、たき火の前で全身を温めたり、といった光景を思い浮かべる。ちょっと時代的には古いかもしれないが、そんな時代遅れな風景を連想させる日本語のような気がする。
 とうとうわが家では植物栽培が始まった。マンションで植物栽培は、同じ階の人々には好まれないらしい。なぜなら虫が来る(わく)からである。14階にいるはずのない虫に攻撃されるのがよろしくないのである。しかし、観葉植物くらいはいいだろうと、「寛容」な気持ちでとうとうランの栽培を始めてしまった。そうなると、沖縄からかみさんが持ってきた鉢は二つだったはずだが、次々と浜松で購入してしまい、今では結構な数になった。しゃべらないが、生き物なので、一人でいてもなんとなく安心するものだ。ちゃんと太陽が出ると、写真のように部屋の中で日差しをいっぱいに浴びるのである。つまり、鉢植えたちはちゃんと「暖を取っている」のである。
 このランの花や鉢植えだが、なんとなくぼんやり見ていると、沖縄の暖かさ、バリの暑さを感じられるのだ。決してこの鉢が室温を上げているわけではないのだが、体内温度はこの鉢植えのおかげで上がってくるのである。ときには、「暖を取る」ように手をかざしてみる。いいね、あったいかいね、そんな気分に浸れるものだ。なんだか上品な趣を感じる。そうだ。まさに風流だ。吉田拓郎の《旅の宿》の歌詞にこんなのがあったな。
 「ああ風流だなんて、一つ俳句でもひねって」
 ランを眺めながら頭をひねってみたが、ぜんぜん俳句なんて思い浮かばなかった。才能がないのか、花の種類が悪いのか…。