最近、家からほど近いところに浜松市の施設である浜松復興記念館があることに気が付いた。実は、その道路を隔てた場所には、はまホールとよばれた浜松市民に愛された浜松教育文化会館があったのだが、耐震性の問題からすでに閉鎖されてて、今ではひっそりとした場所になってしまっている。
この記念館に先日、初めて入ってみた。入場料は無料で、小さな展示室が二つ、三つある。その多くは浜松の空襲とかかわるもの、またその後の復興の様子を、展示物や写真で紹介している。ただ歩いてまわるだけなら数分あれば見終えてしまうのだが、浜松に住んで数年たっている私にとっては「今」と比較しながら写真を見たりするため、とても興味深く見学できたのだった。
浜松の空襲をネットで調べると、Wikipediaに「浜松空襲」という項目があった。博物館にも空襲の日時や死者などが表になって展示されていたが、4月30日、6月19日の空襲が大きかったようで、それぞれ死者が1,000人、1,900人となっている。それよりもっと驚いたのは、敗戦間近の7月29日には、戦艦サウスダコタ、マサチューセッツ 、インディアナ 、キング・ジョージ5世等による艦砲射撃があって、国鉄浜松工機部・浜松駅・日本楽器・東洋紡績などが標的になったことだ。もう少し早く終戦を宣言していれば、原爆を含めてどれだけの人が助かったのだろう。もちろん、歴史に「もしも」はないのだけれど。
この記念館に先日、初めて入ってみた。入場料は無料で、小さな展示室が二つ、三つある。その多くは浜松の空襲とかかわるもの、またその後の復興の様子を、展示物や写真で紹介している。ただ歩いてまわるだけなら数分あれば見終えてしまうのだが、浜松に住んで数年たっている私にとっては「今」と比較しながら写真を見たりするため、とても興味深く見学できたのだった。
浜松の空襲をネットで調べると、Wikipediaに「浜松空襲」という項目があった。博物館にも空襲の日時や死者などが表になって展示されていたが、4月30日、6月19日の空襲が大きかったようで、それぞれ死者が1,000人、1,900人となっている。それよりもっと驚いたのは、敗戦間近の7月29日には、戦艦サウスダコタ、マサチューセッツ 、インディアナ 、キング・ジョージ5世等による艦砲射撃があって、国鉄浜松工機部・浜松駅・日本楽器・東洋紡績などが標的になったことだ。もう少し早く終戦を宣言していれば、原爆を含めてどれだけの人が助かったのだろう。もちろん、歴史に「もしも」はないのだけれど。