先週、東京で久しぶりにガムラン・アンクルンの練習がありました。アンクルン本来の曲ならまだしも、5音音階で2オクターヴを使える曲を、違う音階でしかも4音音階1オクターヴの曲に置き換えるなんて、そりゃあ、わけわかんなくなりますよね。原曲を知っていたらなおさらで、ゴング周期は同じでも、時にはいったい何の曲をやっているのかわからなくなっちゃうし。その気持ちはよーくわかります。右から左へ、左から右へと、4つの鍵板を行ったり来たりだもの。でも浜松の大学ではそんなガムラン・アンクルンでさまざまな活動をしようと考えたのです。
私が最初にガムランを始めたのは、当時、大学で民族音楽学を教えてくださった教員の持っていたガムラン・アンクルンでした。大学にあったわけではありませんでしたから、毎週日曜日に先生のお宅の書斎でガムラン・アンクルンをたたいていた時のことを今でも覚えています。途中の記憶がすっかり抜け落ちてもその経験だけは一生、脳裏での再生が可能なはずです。
私にとってガムラン・アンクルンは原点です。アンクルンから、グンデル・ワヤン、そしてクビャルへと活動を広げていった時代でした。だからといって、自分の思い出探しに浜松の学生達を巻き込もうとしているわけではありません。クビャルの演奏に慣れてしまうと、時にアンクルンは「複雑怪奇」なガムランになってしまうのかもしれませんが、私のように最初にアンクルンを演奏したものにとってはそれがガムランでした。それでいいんじゃないかと思います。楽器博物館に置かれたクビャルに興味も持った学生が、クビャルに向かいたければきっといつの日かそれがかなうはずです。1980年代の東京がそうだったように。
種を蒔いて、大切に育てていけば、いつの日か花が咲き、豊かな実りがあるのです。それには本当に時間がかかります。もうだいぶ前に亡くなった植物学者だった祖父は、10年先、20年先に自分の研究成果がどのように結実するかという話をして私を驚かせました。「なんて気の長い人なんだろう」って。だから植物学者にはなれないとあきらめて、音楽学者になったのかもしれません。でも、やっぱり、私も祖父譲りの性格だったのでしょう。10年とはいわないまでも、「いつか、いつか、きっと花は咲くよ」、って気長に思えるようになったのですから。ガムラン・アンクルンといえば「浜松」という時代を夢見て、ゆるやかに前に進んでいこうと思います。ゆっくり、ゆっくりね。