Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

横に読む?縦に読む?

2016年11月12日 | 大学

 大学祭で学生たちが開いていたWARUNG BALI。ここでバリのコーヒーを販売していたことは昨日のブログに書いた通りだが、二日目、ある学生がコップの暑さを緩和するために、コンサートの余ったチラシをきれいにたたんで紙コップの周りを包む、という方法を考え出した。こうした工夫はとても重要だ。ぼくも、ちゃんと100円を支払ってコーヒーを飲んだのが、確かに飲みやすい。机の上にそのコップを置いたとき、ある文字列に目がいったのだ。あれっ、この文字の羅列はなんだ?
 この文字の「カラクリ」がわからない読者は、このカタカタを横に読むだろうか?それとも縦によむだろうか?ちなみにまず横に読んでみると「ブラマクラスティ」となる。なんとなく洒落たティー(茶)の名称にようにも思える。でもこれはティーでなくコーヒーである。次に縦に読んでみると「マスララィブクテ」となる。意味不明だが、どこか東南アジアの言語の単語のような響きだ。どちらにしても、このバリコーヒーのカップの包み紙に違和感がないのである。
 これはまさに偶然の結果。大学祭で上演したパニャンブラマ、トペンクラス、マルガパティの三演目の最後の部分つまり、ブラマ、クラス、ティが偶然にも見えてしまっただけのこと。こんなことをブログに書くのもどうかと思うが、やっぱり面白いことは記録しておかないと、明日にも記憶は薄れてしまうもの…。


WARUNG BALI

2016年11月11日 | 大学

 一昨年からだったか、大学のガムランサークルのメンバーたちが、自分たちでバリに行ってコーヒーや小物を買ってきて、大学祭で販売するようになった。もちろん強制的に砂糖がたっぷり入ったバリコーヒーを一杯100円でふるまうのである。大学祭の出店というのは基本的に場所代、電気代、水道代、人件費がタダであるわけで、「利益が上がる」のが通常である。
 おもしろいのはこのチラシと掲示板。まず木製の掲示板。これは何年か前に現4年生の女子学生が製作した作品。普段は楽器とともに倉庫に眠っているが、こうした場面(もちろんこれ以外でも用いられる)には大活躍である。さらに、コピーしたチラシに絵具で色を塗る、という超アナログな色彩方法。21世紀も捨てたもんじゃない。ぼくが学生時代も同じことをしていたわけだから。あれから30年たっても大学生の「根っこ」の部分はまだ変わっていないのかな。
 さて、WARUNG BALI、利益は上がったんだろうか…。この場所、結局、ガムランのメンバーの溜まり場だったかも。おかげで僕も落ち着ける場所があってうれしかったな。来年もよろしく。


青空ガムラン

2016年11月10日 | 大学

 大学祭の青空のもとガムランを演奏したのは何年目だろう。1982年に大学に入学して、たぶん1984年くらいから、大学祭の野外ステージで演奏を開始。毎年は青空でないにしても、それから数えれば33回目ということになるわけだ。驚きである。そして今年もこうして演奏させてもらえたことに感謝。
 それにしても今年は暖かくて晴天に恵まれた。夕方になれば気温が下がるのだが、たまたま午後3時から私が大学の保護者会(このようなイベントが現在開催されている)に参加することから、学生たちが私が出演できるように上演時間を午後1時半からに調整してくれた。ありがたいの一言。ここでも感謝。
 今回の舞台、私と古くからガムランを演奏してきたM先生の教え子たちが、K外語大学からゲストとして出演。二人の方はなんと浜松駅に9時20分過ぎに到着だから、朝、早く東京を出て出演してくれた。ありがとう。ここでも感謝。
 一人ではできないこと。たくさんの人々が助けがあってできること、それがガムランの演奏、舞台の上演。これからも大勢の人々に助けられるだろう。だから僕も、体力の続く限り、少しでも他の人々やメンバーの役に立ちたいと思う。
 
 


ガムラン・アンクルン

2016年11月09日 | 大学

 勤務する大学にはゴング・クビャルという大きな楽器で大編成のガムランはない。「浜松市の楽器博物館にあるから」というわけではないが、大学でガムランの楽器を購入すると決まった時、その保管場所、価格そして授業ができるように大人数で可能なガムランを考えたとき、やっぱりガムラン・アンクルン以外に考えられなかったからである。
 この楽器が大学にきてからほぼ4年がたつ。すでに大学の顔になったかもしれない。ガムランを知らないほとんどの学生たちがこの小型のガムランをバリのガムランとして認識は、この編成がバリの代表的なガムランとはいえないことから少々寂しいが、音は立派なガムランである。
 たいていの曲はガムラン・アンクルン用に編曲すれば演奏は可能である。「変だ」とか「覚えにくい」と言われるが、それはゴング・クビャルのための元曲を知っている人が言うセリフであり、はじめからガムラン・アンクルンで勉強すれば、「変」でもなければ、覚えにくくもない。「そんなもの」なのである。来年の2月18日には市内のアートセンターでコンサートを開催する予定である。だから大学祭が終わってもまだまだ練習は終わらない。浜松での密かな楽しみはまだまだ継続するのである。


晴天の大学祭

2016年11月08日 | 大学

 先週の土日が大学祭でした。沖縄時代から書き続けていますが、私は学生とともに毎年、ガムランの演奏に参加します。学生の祭典なのに、という人がいないではありませんが、これは「大学の祭典」なので、そこに所属している私も学生とともに参加させていただいています。
 9階の研究室棟の窓から2階部分に広がる「出会いの広場」を撮影。2階なのでそこに土を敷いて、広い芝生がひろがっています。ちなみに、この芝生の下は駐車場です。
 この写真は初日の午前中かな。まだ人もまばらです。大学祭にお決まりの「出店」のテントが広場をぐるりと取り囲み、奥に野外ステージが組み立てられている様子がわかります。なんとなく出店スペースと舞台スペースが別々のようにも見えるのが気になりますが、そこは臨機応変なガムラン。演出でなんとでもなるものです。学生と同様に、教員の私だって学生の時と同じくらいにわくわくするものです。そんな気持ちがなくなった時には、つまらない教員になってしまっているんでしょうね。


張り紙

2016年11月07日 | 大学

 現在の大学は構内の張り紙は一切禁止で、指定された掲示板に大学の許可の印をもらったもの以外を貼ることのできないシステムになっている。だから当然のごとく、学内に張り紙が一切ない「壁が美しい大学」である。お客さんはみな「きれいな大学ですね」と言ってくれる。確かにきれいである。これは間違いないが、僕には少々物足りない気もする。
 しかし考えてもみれば、東京大学にしても京都大学にしても、大学の壁は張り紙でいっぱいであり、時々は懐かしい立て看板文字のチラシまである。はがしたあとに再び貼ることを繰り返しているから壁の表面はガタガタだ。前にいた大学も、音楽棟の階段の壁という壁にはチラシが張り付けられていたし、そんな風景こそが大学だと思っていたのである。
 ところで、わが大学も大学祭の期間だけは壁が掲示板になる。もちろん学生会の印をもらっていないチラシを貼ることはできない(なかなか厳しい)のだが、それにしてもやっと2日間だけは大学らしい壁になるのだ。とくに僕が好きなのは、蛍光灯に不気味な感じで照らされたチラシだ。蛍光灯もあと10年もすればLEDに代わるだろうし、こんな光景もいづれは見れなくなるのかもしれない。


練習の必需品

2016年11月05日 | 大学

 大学祭に向けての最後の練習日。やっぱり練習の必需品はこれ!18時から21時までの3時間に、一度だけ休憩をとります。でもお菓子がないと休憩した気がしない、というのが学生のグループです。なんだか沖縄時代を思い出します。
 それにしてもこの二週間でだいぶ上達した気がします。やっぱり練習。当たり前ですが、練習しなければどんなものだって上手にはなりません。私だって練習に参加しなくては「カン」が鈍ってしまいます。そういう意味で、もうペロッグ音階のゴング・クビャルには戻れないかもしれませんね。ずっとガムラン・アンクルンとグンデル・ワヤンのスレンドロ音階ばかりですから。
 大学祭が終わっても2月の自主コンサートが待っています。ということは当分、週二回の楽しいお菓子の時間も続くわけです。


時代は変わる

2016年11月04日 | 大学

 学生たちがバリで購入した行進用のガムラン編成、ブレガンジュル用のレヨンの台が大学に届いた。不思議な形である。これを肩から担いで、一人で二個のレヨンを演奏する台であり、ひじょうに便利である。なぜなら、これまでは一人の楽器を片手に持つことで、複雑なリズムの音型の一つの音だけを演奏していたものが、リズム型そのものを演奏することが可能になったため、初心者にとって演奏は容易になったからである。
 昔は(といってもほんの数年前まで)一人一個だったんだけどね、なんてつぶやいたら「先生は古い」と学生に笑われてしまった。どうも現在はこれで演奏することが普通らしい。たしかにこれまで二人必要だった演奏者は一人ですむわけだし、演奏もこれまでにくらべれば難しくないとくればいいことづくめである。特に人数が十分ではない私たちの大学にとってはありがたい一品である。
 時代は変わるものだ。それにともなって音楽だって変わる。それについていかなければ置いていかれてしまう。これが現在に息づく伝統音楽の姿だ。そんなことはわかっているつもりだが、いざそんな現場に立ち会ってみると、そんな「今」にたじろいでしまう自分がいることが悲しい。
 


秋の装い

2016年10月31日 | 大学

 研究室の扉も秋の装い。といっても春夏用の水色と秋冬用の紅葉色しかありません。せめて冬用のすてきなのれんを買おうと思うのですが、そう思うときにはすでに冬は過ぎてしまっています。今年の目標は、寒い冬が来る前に冬用ののれんを探すこと。できれば、レース状になっている方がいいのです。扉に学生へのメモを張り付けたりするから透けて見えないと困るのです。
 嫌いな冬をなんとか快適に過ごせる方法を毎年探すのですが、結局見つからずに終わっていくわけです。北向きの研究室の片隅に置かれた机の前に腰から下は毛布をぐるぐる巻きにして、仕事をする毎年の冬。ああ、考えただけでも嫌だ。自分の意志で浜松に移住したものの、沖縄をうらやましく思うのはまさにこれから季節です。こうなったらショック療法で、スキーでも行ってみるか?
 冬用ののれんがこのブログに掲載されること、読者の皆さん、楽しみに待っていてくださいね。もちろん、クリスマスプレゼントにいただければ、最高ですけど。


研究室のある9階から

2016年10月29日 | 大学

 大学の研究室は9階にある。昔の大学は4,5階建てだったが今は、特に都内の大学などは大学も高層ビル化している。私の職場も12階建ての建物が一番高い。疲れてエレベータに乗ると、自分の住んでいるマンションの階数「14」のボタンを探して「あれ、あれ?」と動揺したり、逆にマンションのエレベータに乗ると、無意識に9階を押してしまい、降りると「ありゃりゃ?」となる。最近はお疲れ度がかないひどいようだ。
 さて話を戻そう。9階の研究棟の共有スペースの窓からは大学近くの風景が窓いっぱいに広がる。なかなか風光明媚?である。窓がないよりマシなのだ。もし窓がなければ、昔の映画に出てくるような薄暗い大学病院の病棟にしかみえないから。そんな窓の下には、いつもたくさんのチラシが置かれている。とくに美術研究をする先生方が多いことから、美術展、博物館の特別展のチラシであふれているのだ。
 ところでこの写真。窓に不思議な形の紙がたくさんたてかけてある。実はこれ、やはり美術展のチラシならぬ厚紙なのである。手に取ると「福井の仏像 10月14日(金)~11月23日(水・祝)」と書かれている福井市郷土歴史博物館のものだ。よく見れば、仏像の光背の形をしているではないか!なかなかやるね。洒落てるね。でも、福井までは行けないのでご興味のある方はどうぞ。ちなみにこれは、割引券になっていて、大人600円のところ、480円になるようである。差額120円の価値あり。