どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

長髄彦の兄・安日(2)

2011年10月04日 05時47分38秒 | 
尾張氏・物部氏の系譜は、先代旧事本記から、七海が図化した。

長髄彦の兄・安日(2)

前回の件で、解りにくい点を補足します。

上記の系図にある通り、饒速日尊は、天火明命ともいう。
正確な表記は、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊という。上記は一人の人物です。
長脛彦の妹と結婚し、二代目宇摩志麻治を生む。甘美真手(うましまで)ともいう。これが、物部氏の遠祖です。

一方、天道日女との子は、天香具山で、尾張氏の遠祖です。
どちらも、神武朝時代の人物で、宇摩志麻治や天香具山は、長脛彦と義理の兄弟となります。したがって、兄の安日も義兄弟です。

長脛彦の兄・安日は、安倍将軍:日下将軍であった。
日下将軍は、東大阪市日下町で戦い、神武が破れた時の将軍をそのまま、陸奥国でも使っていたのです。

お解りにくい点は、次の点でしょう。
なぜ、神魂神(かみむすびかみ)の子のスクナヒコナが登場するのか。

実際、安日は、神武即位後、何処を通って、何時ごろ陸奥へ行ったのかが、解りません。
少彦名命は、大巳貴と国造りした時代の人で、神武以前です。
沙沙貴神社 (滋賀県蒲生郡安土町常楽寺)を出してきたのは、大彦の系譜に安日がかこつけられていたからです。

大彦は、伊賀開拓の祖で、敢国神社(あえくに)に祭られています。ここにも、スクナヒコナと金山ひめが祀られています。

ところが、安日は、少彦名とは関係なく、少彦名の親の神魂神が、見通していた。あるいは、神同志を結ぶ役目を為し、安日を天神に結びつけた。
なぜならば、神魂神は、山田の案山子ともいい、歩けないが何もかもよく知った神でした。
この神が、安日をよく見ていたということです。
また、事実、捨て児を大彦は育て、沙沙貴山君として育ちました。

したがって、安日は、長脛彦と同じく、蝦夷であり、安日は、神武紀から遠蝦夷でした。
あくまで、安日は、尾張、物部との義兄弟で、天神でした。
蝦夷は、喜田貞吉のいう国津神ではありません。
その理由(わけ)は、神武紀にあります。
天の羽羽矢(ははや)と歩鞍(かちゆき)を、長脛彦も神武天皇も持っていたからです。(10・9訂正、歩鞍⇒歩靫)
二人とも天神です。ゆえに安日も天神です。
饒速日尊は、長脛彦の性質がねじけて言い聞かせても変わらないので、長脛彦を殺し、神武にさっさと帰順したのです。

ここで、気が付く重要なことは、饒速日尊も神武天皇も東夷で、蝦夷でしょう。
理由は、同族の争いが、日本書紀に沢山あらわれてくるからです。
いずれにしろ、蝦夷とは、三種に分類されていようが、すべて東夷の範疇で、エビスでした。

もっと単純化すれば、中国の中原の天子からみれば、国津神:大国主もみな東夷です。神代紀の天照大神も素戔鳴烏も神武天皇も、皆、東夷です。
なるべく、消化して手短に描ければよいと思っています。

なお、羽羽矢の羽羽は、蛇の古名で、帚、掃くともいうから、これに荒または麁(あら)を付けると、麁蝦夷(あらえみし)となります。つまり荒吐族(あらはばき族)に変身可能です。
継体紀の物部麁鹿夷(あらかい)は、もまた鹿角信仰の継続があります。源氏物語の帚木(ははき)の帚も同じです。

したがって、羽羽矢は、帚星のように飛んで正確に的を射るという信仰でしょう。
ややこしい話は、国津神の少彦名が登場したからです。
この点は、誤解なきようにお願いします。

最後に、系譜の左下の菊は、旧菊水町江田船山の鉄剣のもので、現在は菊池市です。この鉄剣は、卑弥呼の使い難升米と都市牛利の物でした。
上記系図の妙斗米(六人部連等祖)は、57年、後漢へ遣使、107年も後裔が遣使、238年も然り、卑弥呼の使いでした。六人部は(むとりべ)と読む。

上記系図の安毛建美(六人部連等祖)は、都市牛利でしょう。時代が適合するからです。
安毛建美(あけたけみ)は、都市牛利の異名でしょう。
安日の系譜は、日下将軍だから、似ているというよりも、尾張、物部と同族でした。

よく見極めないと、日本古代史は、間違いをしでかすシロモノでした。
天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
(あまてる、くにてる日子、ほあかりくしたま、にぎはやひ)
この神格は、神武紀の日下の草香が決め手です。
実際には、日が地平線の下にあるが、日が浮き上がって見える現象です。ゆえに、櫛玉:妙玉で、にぎにぎしい太陽と言っています。
天照る国照るは、天も地上も照らす状(さま)を指していました。
草香は、早朝、草に水滴が付いているので、草が香るという現象です。
これを稲田の後光、または御光という。
神武は、日に向かって戦ったのがまずかったと反省していた。


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