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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

歴韓国の図

2010年07月30日 09時36分20秒 | 歴韓国

歴韓国の図・・・くぬぎからくに

前回の説明で、歴韓国を掴み切れなかったのではないか。これを補足します。
また、書いて居る七海本人が、錯誤していた個所を訂正します。
1拘邪韓国、拘耶韓国、狗邪韓国は、現在の亀浦洞です。耶:邪の俗字。
2歴韓国は、囗の範囲で、涜盧国を含むとみられます。
3訂正文・・・其の西北界の説明文
(訂正、現在の方位で、其の西北界:邪馬臺國(宇佐)の西北界で、水際線を指す。つまり、海は、スサノオの占めるところです。例示:後漢書韓伝で、涜盧国は、倭と接す、でした。)

以下、より理解しやすくするために、変遷を列記します。

(年代、韓國の名称、日本域の国名の順)
前75年以前、歴韓国、拘邪韓国、邪馬臺國
後171年以前、歴韓国、拘耶韓国、拘奴國、狗奴國・・・下図を見よ
後171年以降、歴空国、狗邪韓国、邪馬壹國(卑弥呼)、狗奴國
(歴韓国は、拘抜ぎ空国となって、狗奴国が占拠。同時に、下図の拘奴國を、狗奴国が排除して卑弥呼を迎え、國名も、邪馬壹國ヤバイとなる)
なお、57年の倭奴国は、狗奴国に同じです。同時に邪馬臺國でした。
狗奴国は、卑弥呼の就任後、豊後高田市の界(地名)より、東に居ます。

ついでに、前108年、漢の武帝が衛氏を滅ぼす前、武闘派の臣・歴奚[奚を谿に訂正]卿は、部下を引き連れて衛氏に見切りをつけました。これが、歴韓国の主になりました。後裔は、171年以降、拘奴国:穴戸に居た逸都彦です。理由は、伊都国を逸した彦でした。崇神65年、任那王子が出くわした人物です。