院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ドラマ「南極大陸」

2011-10-18 07:32:02 | Weblog
 普段テレビドラマをあまり見ない私だが、10月15日(日)のTBS系のドラマ「南極大陸」は見た。

 キムタクが主人公で、第一回目は南極観測船「宗谷」の建造から出発までの物語だった。

 筋立てはさほどでなく、適当に山があったり谷があったりする平凡なものだ。だが、最後まで見てしまった。

 そのわけは、ドラマが私の少年時代の物語だったからである。ドラマでは少年たちが、必死になって「宗谷」や「南極観測」を応援していた。その少年たちと私自身がダブったのだ。

 思い出せば、「宗谷」は当時の私たち少年の夢を支えてくれた。一個5円のコロッケを食べながら、南極大陸に思いを馳せた少年時代。甘食(あましょく、知らない人が多いだろうなぁ)も5円だった。ドラマの「宗谷」は本物のように造られており、当時の思い出を引っ張り出してくれた。

 「宗谷」が氷の海に閉じ込められて立ち往生したとき、ソ連の「オビ号」が救助に来た。それを私たち少年は悔しく思った。「宗谷」の性能は「オビ号」にかなわないのかと。

 そのころの紅白歌合戦では、「宗谷」からの電報を読み上げるのが定番だった。それだけで、紅白歌合戦は盛り上がった。

 友人の父親が「宗谷」の乗組員(探検隊員ではない)で、南極の氷を持ち帰り、私たち少年に食べさせてくれた。高圧でできた氷なので、空気が閉じ込められており、水に溶けるときに炭酸のようにピチピチと音がした。

 そんなことを思い出させるドラマだった。丁度その時代は「三丁目の夕日」の時代と一致している。

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2 コメント

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同世代の記憶 (かわひらこ)
2011-10-18 18:58:26
宗谷については先生と想い出が完全に重なります。オビ号に救けられた「くやしい思い」も同じです。映画館で「日本南極地域観測隊の記録 南極大陸」という記録映画を子供料金40円で観ました。私は随伴船、「海鷹丸」が好きでした。この時に昭和基地の建設。なお、宗谷丸が、戦時中、奇跡的に生き延びた特務艦であったことはWIKIPEDIAの「宗谷)船」に詳しいです。
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昭和30年代 (管理人)
2011-10-18 22:36:52
私も思い出を綴る年齢になりました。あの頃の小学校の教師は平気で生徒を殴りましたよね。私は多動児だったので、毎日殴られていました。いまなら大問題ですね。中学校に入って、殴る教師がいなかったので、マジでホッとした覚えがあります。
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